1章 6.才能を目の当たりにしてみた。

 二人から様々な事情を聞いているうちに森を抜け、明るい城下町が見えてきた。ずっと降っていた雨もいつの間にやら上がっていた。雲の隙間から朝の眩しい陽射しが差し込む中、広場には賑やかな市場が広がっており、行きかう人々も活気に満ち溢れている。


「討伐ギルドへ行く前にさすがにこの濡れた服を着替えたいな。それに、このはだし状態もどうにかしたい。クリス、服を借りれるか?」


「はい、僕も着替えたいので一度家へ戻ろうかと……」


「じゃあ1時間後に討伐ギルドへ現地集合で! 俺も着替えてくるっす」


「分かりました、レイさんは僕が連れて行きますね」


 クリスがサンダリアンへそう答えると、それぞれの自宅へ向かった。と言っても私は少しふてくされたクリスの後を追っているだけだが。


「言っておきますけど、僕の家はかなり狭いですから。それに着替えも僕のものしかないですよ」


「分かってる、贅沢は言わない。落ち着いたらちゃんと家も探すから」


 落ち着くか。その言葉が実現するとしたらこの世界で私は仕事をして金銭を稼いで、しっかりと生活をしているという事実を意味するはずだ。地球に果たして帰れるのかも謎であり、ここはもう腹をくくってこの世界で生きてみるしかない。自分でも言うのもなんだが、大分前向きな奴だと思う。考えたって仕方ないことは考えない。これが私のモットーだ。


 クリスの家はいわゆる古いレンガ作りのアパート的な建物の中にある1室だった。かなりガタが来ている建物らしく、外壁も室内も、至るところにヒビが入り、階段にも虫があちらこちらにひっくり返っている有り様だ。そんな彼の自宅は階段を登った2階にあった。


 クリス曰く部屋は1DKらしく、木製のドアを開けた先には、キッチン付きの8畳程のダイニングが広がっており、タンスやベッド、小さな丸机と一脚の椅子、二人掛けのソファーなどの生活家具が置かれ、それだけでかなり窮屈な部屋だった。玄関のすぐ隣にはドアが一つあり、クリスが一言「ここは僕の画廊部屋です」と教えてくれた。中に首だけを入れ、覗かせてもらうと、様々なサイズのキャンバスや、使い古された絵の具類など、色々な画材が積み上げられた小さな仕事部屋がそこにあった。


 その画廊部屋の小窓から差し込む朝日がなんとも神秘的な空気を作っている。ドア付近の足元には、壁に立てかけられて置かれた数多くの絵画があり、凹凸のある塗りのタッチから油絵のようだ。写真さながらに緻密に描かれた風景画だった。


「すごいな、この絵、全部クリスが描いたのか……」


「ええ、そうですよ。全然お金にはなりませんけどね……。描くこと自体は楽しいですが……」


 肩を落とし、弱々しくそう答えながら隣のダイニングにあった引き出しから洋服やタオルを引っ張り出していた。


「すごい才能じゃないか。16歳にしてこれだけの技術があればまだまだ才能は開花していくはずだ」


「だといいですけどね……」


「どこかで絵の描き方は習ったのか?」


 これだけ緻密に写実が出来る技術があるのだ。そんなクリスの師匠は一体誰なのか、非常に気になった。

 

「はい、幼い頃から祖母に習ってました。僕のばーちゃんは昔から絵がとても上手で、周りの評価も高かったらしくて。とても熱心に教えてくれました。僕の師匠です」


 懐かしむように愛しい表情を見せながら、けれども少し寂しそうにしていた様子が、やけに印象的だった。そんなクリスは私にタオルや服を手渡してくれた。


「とりあえずこれに着替えてください。女性用じゃないですけど……。僕も隣の部屋で着替えてきます。今日から僕はそのソファーを使ってこの画廊部屋で寝ます。レイさんはこの部屋でそのベッドを使ってください。シャワーやトイレ、洗濯場はこの建物の住人と共同です。先程の階段の近くにありますから、森でかなり汚れてますし、そこを使ってください」


 このダイニングにあるソファーやベッドを指さしながら色々と親切に教えてくれた。


「ああ、そうさせてもらう。ベッドまで使っていいのか? 申し訳ないな」


「僕は画廊部屋にいることが多いですし、その方が都合いいので。そのソファーは、あとで向こうの部屋へ持っていきます」


「分かった、何から何までありがとな」


 そう言うとクリスは画廊部屋へ赴き、ぱたんとドアが閉まった。クリスが着替えているうちに、私も階段の近くにあるシャワー室へ行き、ぐっちゃりと濡れた水玉パジャマを脱ぎ捨てた。身体中の汚れをお湯で落としながら、先程のクリスの絵、そして彼の弱々しい発言を思い出した。私は思った。彼はまだ世の中からその才能を見つけられていないのではと。なぜあれ程の技術を持ちながらこのような貧困生活をしているのか私には分からなかった。


 シャワー室から出た後、麻素材で出来たアイボリー色のふんわりシャツを深緑のボトムスにインして着用した。私の身長は165センチと日本人女性の中では高身長だが、恐らくクリスも同じくらいだろう。そこまでサイズ感は気にならない。しかし着替えたはいいものの、胸元がなんだかスースーする。普段しているものをしていないというこの違和感。そうアレだ。はやく欲しい、何がなんでもはやく欲しい。これじゃまともに走ることも出来ないじゃないか。せめてさらし的なものがあれば四方八方に揺れ動くこのおムネを固定出来るかもしれない。あとで聞いてみよう。


 部屋へ戻ると、着替え終わったクリスが靴を履き、外出の準備をしていた。


「僕の靴貸しますからそれを履いて下さい。靴下も。靴は紐靴なのできつく縛ればサイズが大きくてもどうにか歩けると思うので……」

 

 そう言いながらクリスが焦げ茶色のブーツを手渡してくれた。


「ああ、わかった、ありがとう。クリスって見かけによらず意外としっかりしてるんだな。あんなすごい絵も描いてるし、一人で暮らしてるし、偉いな!」


「ぼ、僕だって、一応毎日必死に暮らしてるんです。今は家を出る時にばーちゃんにこっそりもらった金貨でどうにか暮らしてるんですが……。いつか立派な画家になって、ばーちゃんにその金貨を返すと約束したんです。ばーちゃんだけが僕の夢、応援してくれてるから……」


 消え入りそうな声で、紐靴を結びながらそう言うと、クリスはさっと立ち上がり「さぁ、行きますよ」と言って一人外へ先に出ていってしまった。その照れ隠しのような態度も、ばーちゃんっ子なのも、可愛い16歳といった感じだ。


 ばーちゃんだけが応援している、か。年甲斐もなく意外と苦労しているのかもしれない。

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