2章 5.術符を使ってみた。

 木々がざわめく場所へやってきた。小鳥達が気持ちよくさえずっている。


 比較的その森の入口に近い場所を術符行使場所として選んだ。奥深くまで入り込めば魔物と鉢合わせしそうだが、この入口付近なら出会うことはないとサンダリアンは言う。それなら安心だ。木々に囲まれている草花の上で白い布に包まれていた小さな小石をじっと見つめた。この白い布は店主の話によると、ただの布ではなく、いわゆる銃の安全装置みたいなものらしい。この布に巻いておけば誤って投げたとしても術符の発動はしないとか。確かに何かの衝動で投げてしまい急に術符が発動したらたまったものではないだろう。


 ほのかに赤く染まる記憶石で出来た術符は、枝の隙間から差し込む木漏れ日に美しく輝いているようにも見えた。


「しかし、そんな危険なものを販売するという商売が成り立つとは不思議なものだな」

 

 小さな記憶石で出来た術符。命は落とさないとしても、これまでの話を聞く限り、まぎれもなく扱いにくいものだろう。そんな危険なものが易々と護身用として売られていてもいいのだろうか。その答えをクリスが丁寧に教えてくれた。


「この術符作りは、魔術士にとって仕事の一部として成り立っているんです。1つの石に自分の魔術の力を入れ込み記憶させ、それを卸業者、または店へ買い取ってもらう。製造する者がいれば、売る者がいて、買う者がいる。需要と供給でこの3つが成立していて、決して術符はこの世から除外されるようなものではありません。皆が必要としているんです。例え危険なものでも、です」


 すぐ側に佇むクリスの全身に一瞬力がこもった気がした。


「なるほどな。皆それぞれに出来る限りの仕事に従事し、こなしているわけだな」


 どの職業の者も、どの戦士も自分の生業で食べて行こうと必死にもがいているわけか。この場にいる私も含め、クリスやサンダリアンもそうだ。例え危険なもの作りだとしても、命を懸けた仕事だとしても、その循環サイクルには抗えない場合もある。そして手段を選べない時も。


「よし! あの大木目掛けてこの術符を投げてみてもいいか? 威力はそこまで強くないのなら私一人でも大丈夫な気もするが」

 

 そう言った瞬間、サンダリアンがすかさず横入りするかのように口を開いた。


「甘くみちゃいけないっす! 俺、以前複数で請け負った行商団体の警備で、術符を使っていた剣士を見た事あるっす! その人は出発前にこの威力を一度試してみたいと楽しそうに言ってたっす。それで出てきた魔物に早々と投げたんすよ。そしたら……」


「そしたら?」


 言葉を出した私の側でクリスもいつの間にか固唾を飲み、サンダリアンの次の言葉を待っていた。その時だった。


「レイさん、クリス君! はやく逃げてっす!」


 突然意表を突くようなサンダリアンの大声が森中へ響いた。同時に彼は、鈍い金属音を立て素早く抜剣し、眉を吊り上げらせた顔で茂みの中へ視線を移した。途端にそこからガサっとした音と鼻をつまみたくなるような獣臭が立ち込めた。もわっとする強烈な匂いに思わず眉間にシワがよる。それはぬっと姿を現した。


「魔物!?」


 私は急に姿を現した魔物に驚き、後退していまい、後方にあった木の切り株に足を取られ、転倒してしまった。その際、パチンコ玉のように隣のクリスへぶつかったかと思うと、草の上に勢いよく二人で転がった。うめき声を上げながらどうにか起き上がり、サンダリアンの方角へ目を向けると、遠くでアレと対峙している彼が目に飛び込んできた。オークだ。サンダリアンは今その魔物のおぞましい牙と押し問答している。前回よりは若干小ぶりなオークだったが、鋭い牙は相変わらずの健在ぶりで、興奮しているのか、その魔物も渾身の力でサンダリアンを押し倒そうとしている。そんな彼は地に足を踏ん張るように耐え忍び、震える腕で応対していた。彼の顔には焦りがほとばしっている。ここは魔物が出没することはないとは言っていたが、とんだ間違いだった。


「サンダリアン! 大丈夫か!?」


 私は離れてしまったサンダリアンへ声を張り上げ、投げかけた。


「レイさん達は、早くっ、ここから逃げるっす……」


 サンダリアンは顔に血管を浮き上がらせ、目線をオークに向けたまま苦しそうに言葉をどうにか走らせた。


「いやいやいやいや置いて行けるか!」


「けどっ……」


 言葉を発するのさえ辛いのか、今にも押し負けてしまいそうなサンダリアンが目前にいた。踏みしめた足はじりじりと後退し、どんどんと顔は苦痛で歪み始めている。その時ふと気が付いた。この術符が役に立つのではないかと。


「今、使わなきゃ、いつ使うんだ」


 なぜか私まで死亡フラグビンビンな言葉を紡ぎ、ずっと右手で握り締めていた記憶石である術符を更にぎゅっと強く握った。


「レイさん、だめです! サンダリアンさんのサポートもなしにそれを使ったら……!」


 涙目のクリスまでも私の死亡フラグに加担してくる。うるうるとこちらのを見つめ、私の右腕をがしりと掴み、必死に懇願してくる姿は私のこの胸を締め付けた。これは比喩だ、とか思っている余裕はない。


「大丈夫だ、ただ胸が苦しいだけだ。これは比喩だ」


「はい?」


 言葉には出してみた。疑問符を漂わせるクリスの右肩にぽんと手を軽く置くと、彼の手を振りほどき、すくっとその場から立ち上がった。そして私はプロ野球選手の如く大きく振りかぶり、ピッチャーさながらの体勢を取った。


「行くぞ……!!」


「ちょっ、レイっ、さん!! 待っ……!!」


 クリスの悲痛な声が後ろから響いたが、それどころではない。サンダリアンは今にも力尽きそうだ。


「ファイアーーーー!!」


 私は思い切り投げ放った。この火の力が練り込まれているというこの記憶石を。「掛け声はいらなっ……」そんな声が微かに背後から聞こえた気がしたが、動じない。私の全てを込めたと言ってもいいあの術符は私の手から離れた瞬間、けたたましく業火のような音を立て、燃え広がった。熱風を伴う想像以上の炎だった。威力が弱いなんて詐欺だというほどに。あの熱を直で浴びれば間違いなく全身火傷を負うことになるだろう。使用した私もただでは済まなさそうだ。これが反動か。恐らく自然エネルギーを行使する者がこれを使えば、体内に力を循環させているおかげで火と一体化したような状態になり火傷もしないのであろう。実際にこの術符を使ってみて自然とそう感じた。そんな束の間、私はもう今の状態をどうすることも出来なかった。目の前から吹き荒れる嵐のように訪れる熱風。熱い。このままこれを浴び続けば自分の身体も危ういはずだ。向かい風のせいで足が地面についていられるのも時間の問題だ。だが、サンダリアンの命と私の怪我。天秤にかければ、どうってこともない。これで彼が助かって私が怪我をする程度なら何も文句はない。いや、先程まで死亡フラグビンビンだったから下手すればあの世行きかもしれない。それでも迷いはなかった。


 次の瞬間、重力に逆らったような妙な感覚が全身を巡った。地から足が浮いたのだ。吹き飛ばされる、そう予感した。それに目の前には炎が踊り狂い、私を飲み込もうとしていた。もし二人のサポートがあればそれなりに対策を出来ていたかもしれない。地面は私の足を逃がすこともなかったのだろう。私はそれなりの覚悟をした。放った術符がどうなったのか視界に映すことも出来なかったが、あの魔物に直撃したことを願うしかない。そう思った瞬間、私の目の前は真っ暗な闇に包まれた。



***



「ううう……、俺のために……、レイさんが……」


「まさかここまでレイさんがやるだなんて……」


 またあの時見た、白いもやの中の空間で二人は佇んでいた。今回はすぐに夢だと理解出来た。サンダリアンはしゃっくりを鳴らしながら嗚咽を漏らし、クリスはいつもより至極低い声でぼそりと呟いていた。二人とも泣いているようだった。   

 

「……やっぱり死亡フラグ回収した?」


 至って真面目にそう尋ねたその時だった。


「レイさんっ!」


 クリスがこちらへ振り向き応答した途端、視界の中の白い世界は一気に色を取り戻した。そこは青空の下で木々が生い茂る緑豊かな空間だった。更にその真下には、私の顔を覗き込む、目を真っ赤にさせた見慣れた二人の顔があった。


「え、夢じゃない?」


「それはこっちのセリフですって!!」


 泣き腫らした目で続けざまに「物騒な寝言言わないでください!」と突っ込んでくるクリス。笑い泣きじゃなく、怒り泣きだ。そのすぐ隣では私の顔を見るなり、「良かったっす~、生きてたっす~~!!」とひっくひっくと体を揺らしながら頬に涙をたくさん付けたサンダリアンがいた。


「間一髪だった! ははっ! 君達は運がいい!!」


 そして見た事もない、やたらと体格のいい男もいた。

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