2章 11.買い物へ出掛けてみた。

 晴れやかな昼下がり。今日は少しだけ特別だ。肖像画の完成祝いも兼ねて、モルファーと一緒にサンダリアンも呼び、夕食会を開くこととなっている。いわゆるパーティーだ。


 サンダリアンは本日討伐の仕事があり、夕方にはやって来るそうだ。料理は私が担当する。クリスが筆をとっている彼の傍らで、普段からほとんどの家事は私が担当をしていた。以前、一人暮らしもしていたのでそれなりに心得てはいるが、料理はそんなに得意ではない。だが壊滅的に味音痴や料理下手ということではない。そんな中でそれなりにクリスと共に楽しい日々を過ごしていた。


 だが彼はお年頃だし、なるべくはやく別の家へ引っ越ししたほうがいいのは、とも思う。そのためにも、クリスのサポートを的確に行い、パトロンとして応援し、銭を稼ぐ他ない。私はクリスから預かっている小さな財布を見つめ、ぐっと握り締めた。


 夕食の支度のため、近所にある市場へ食材を買いに一人で出かけた。この場所は1年を通して気温が一定であり、旬なものは恐らくそこまで出回ってはいなかったが、それなりに地球と似た植物や肉、魚などが販売されていた。もしくは別の国からの輸入品なのかもしれない。クリスが以前そのようなことを言っていた気もする。


「お、レイちゃん、今日は一人で買い物かい?」


「おう、魚肉ぎょにくじっさん! そうだ、クリスは家で仕事中だ」


 店の奥から顔を出したのは、白髪頭姿の快活のいいじっさんだった。魚と肉、両方を珍しく扱っている店の店主だ。略して魚肉じっさんと読んでいる。名前を呼ぶたびに、私の好物、魚肉ソーセージを作ってくれないだろうか、と思う。今度言ってみようかな。


「クリス君も最近じゃ結構有名になってきたんじゃないかい? 時々彼の噂を聞くぞ。前はくらーい顔していつもうちに一番安い肉や魚を買いに来てたんじゃが。レイちゃんがやってきてからだいぶ明るくなったし、わしも安心じゃい!」 


 ガハハっと豪快に笑うじっさんは、商売人のイメージをそのまま付けたかのような人だ。そしてこの男の凄いところは街の情報屋だということだ。恐らく色んな客から会話をすることによって情報を引き出しているだろう。そこから店の品揃えなどにも反映させているのかもしれない。さすがはベテラン商売人。長く商いを続けているだけはある。


「ああ、最近じゃ依頼者も増えて、少しずつ画家としての成果を出しているからな」


「そりゃ、頼もしい! わしの遺影でも今度描いてもらおうかのう!」


 老人が言うブラックジョーク程困るものはない。まさか本気か。「終活はお早目に」と言いかけた時、魚肉じっさんはまた口を開いた。


「じゃが、クリス君は貴族の子なんじゃろ? しかもサーザント家と言えば貴族の中でもかなりの名家じゃないか。わしゃークリス君の苗字までは知らなかったからのう。噂で耳にしてから、びっくりしたわい」


「どんな噂だ?」


 噂と言えばあまりいい覚えがない。気になり、すかさず尋ねた。

 

「いや、悪い噂ではないぞ? 先鋭の画家はあのサーザント家の者らしい。画家の夢を捨てきれず、家を出ていったらしいと、どこかの客が言っておったわい。あんな可愛らしい顔して彼もなかなかやりおるのう」


 にこやかにそう言うなり、「 ワシももうちょっと若ければ」と自分で相づちを打つように言っていたが、急に何かを思い出したのか、声を落としながら話を続けた。


「その直後ぐらいだったかのう、サーザント家の使用人と名乗る者がここに訪れての。身なりも綺麗にしていたし、サーザント家のペガサスの家紋が入った馬車にも乗っていたから間違いないと思うんじゃが」


「使用人がか? 何か聞かれたのか?」


 私は急に胸騒ぎを覚え、問いただすように尋ねた。


「いや、なにただ、クリスという金髪の少年はここに来るか、と聞かれての。身内の者だし正直に答えたんだがまずかったかの……」


「いや、大丈夫だ。問題ない」


 商売人の魚肉じっさんに嘘をつかせて迷惑をかけることだけはさせたくはない。


「それでな、その馬車に大柄な黒尽くめな男が乗っておってな」


「大柄な男だと?」


「あまり見かけない男じゃったからの、クリス君の親族かのう」


「……分からないな」


 何か怪しい匂いが漂っている気がする。なぜサーザント家が動いているのだろうか。何のためだ。クリスの住む家を突き止めようとしているのだろうか。まさか、クリスを連れ戻す気か。今更なぜだ。それに黒尽くしの大柄な男とは誰だ。サーザント家の馬車に乗っていたということは、その家の関係者には違いないだろう。


「あとこれをレイちゃんに言っていいのか分からないんじゃが……」


 魚肉おっさんは少し躊躇する顔で言い淀んだ。


「なんだ、聞かせてくれ。私達のことなら心配するな。私がパトロンとしての役割をきちんと果たし、彼らを守る」


 噂が何であれ、クリスやサンダリアンが気持ちよく仕事が出来るよう、支えてやるのも私の生業の一つであり、友人としての気持ちでもある。


「そうか、ならいいんじゃが……。その、クリス君の絵は最悪だと言っている者がおると。ああ、もちろんわしはそんな噂を信じているわけじゃないぞ? ただ少し心配になってな……。ほら、以前も同じような事があったじゃろ? そこから結構な騒ぎになったからのう……」


 魚肉じっさんはもじゃもじゃの白髪眉毛を下げながら言った。以前のこととは、ラズユーの件だろう。当時のサンダリアンとラズユーが剣を合わせたこともあり、クリスの件も大きく噂されるようになった。おまけに私もだ。何にせよ色んな方向から注目の的になった事には違いない。しかし腹いせのようにクリスの事を言いふらしている者がいるとは。だが、いずれにせよそのような者が出て来るとは予想出来ていた。この情報通のじっさんが知っているということは、いずれここからもっと広まるに違いない。


「クリスの絵を受け入れられなかった者がいるのは事実だ。表現の世界だからな。必ず気に入られるとは限らないんだ。だが、クリスも私もそこは理解しているから大丈夫だ」


 私は事実のままにそう告げた。先日の肩を落としていたクリスの姿が一瞬思い出された。あれから彼なりに一生懸命前を向き、挑んだ。今後もまた繰り返されるかもしれないが、完成したモルファーの肖像画はきっとその糧となることだろう。もしかすると今後、また新たな表現方法を見つけるかもしれない。何かを成し遂げる時は必ず立ちはだかる壁がある時だからだ。


 魚肉じっさんは満足そうに「そうかそうか」と頷きながら、買い上げた生肉を丁寧に紙で包んでくれた。店を出た後、他の露店で野菜やパンを買い上げている最中、どこかから後ろ指を刺されている感覚があった。誰かが私を見ながら陰湿な言葉を投げかけているようだ。このようなものには勘が働き、すぐに肌で感じてしまうタチだ。もう出回っているのかもしれない。私は何を言われても構わないが、あらぬ噂までに肥大すればクリスの仕事上たまったものではない。もしかして意図があり、また誰かが言いふらしているのだろうか。だが噂の元は真実であり、クリスの表現を気に入らない者が数人いたのは事実だった。サーザント家の動きも気になる。だが今はこれ以上は何も分からない。下手に動いて事を大きくする必要はない。


「様子を見るしかないな……」


 買い物を済ませた私は道端でぽつりと呟き、帰路へ着いた。


 大荷物を抱えたまま玄関のドアをどうにか開けると、既にモルファーが目の前に立ちはだかっていた。やはり壁のように見上げるほど大きい。


「おかえり、レイ君! いやー大荷物だ! 大変だったろう? 仕事が思ったよりも早く終わってしまってね。何か手伝うことはないかと思って早くに来てしまったが、早すぎてしまったようだ……」


 気恥ずかしそうに苦笑を浮かべ、赤い短髪へ片腕を載せ、頭をかいた。


 そう言いながら、モルファーは私が断る隙もないままに、買ってきた材料をさっと取り上げ、代わりに持ってくれた。気遣いまでも出来る魔術士上位ランキング男がここにはいた。体格も似ている剣士上位ランキング男だったラズユーとは大違いだ。私が「大丈夫だ」と口を開く前にクリスが飛びついてきた。


「モルファーさん、座ってください! 僕達がやりますから! 仕事帰りですし、ゆっくりされてください。家は狭いですが……」


「構わない。私がこうしたいからこうしている。なぜなら、……友人だから」


 今5秒ぐらい貯めたぞ。そんないかつい顔をしているのに、恥ずかしくて言えなかったのだろうか。しかも最後だけ声がやけに小さいのがまた余計気になる。しかしそこまで友人を強調しなくてもいいのでは、と小さな疑問が浮遊した。クリスも恐らく不思議さを通り越してそろそろ疑問符を掲げる頃だろう。そんなクリスを見て、先程魚肉じっさんから聞いた、サーザント家の怪しい動きを伝えたほうがいいのだろうか、そう浮かんだ。それに馬車に乗っていた大柄な男の件も。しかし、今はクリスにとって大事な時期だ。心の揺らぎも完璧に消え去ったわけではないはずだ。不安をあおるようなことはしないほうがいいだろう。


「モルファー、ありがとな。後は私に任せてくれ! 美味しい手料理をご馳走してやるからな!」


 彼の心遣いを有難く頂戴し、恩義に感謝した。私の言葉を聞きながら荷物をそっと優しく手放した彼は「嬉しいな」とぼそりつぶやいた。その言葉がやけに印象的だった。

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