最終章 6.モルファー

「モルファーさんじゃないか! 今日はこの肉がお得じゃよ」


 今日も魚肉屋の店主がお得な特売品を教えてくれる。一人で市場へ買い物に出かけていた。年の離れた食べ盛りの兄弟がいると知った彼はいつもにこやかにお得情報を教えてくれる。


「ああ、美味しそうだな」  


 自分は店主へ向かって微笑み、柔らかくそう答えた。今では自分のこの傷だらけの顔は街中へ知れ渡り、魔術士ではなく、術符士としての知名度を上げ始めていた。サーザント家の仕事はもう請け負ってはいないが、今でも術符を安価に取引してくれ、どうにかこの仕事を続けられている。術符発動機も引き続き使わせてもらいたいと願い出た。サーザント家は改良にも携わってくれるとのことだった。それはきっとクリス君が自分の近くにいるからだろう。仕事ではなく、友人としての自分に、「あの子が世話になっているから」と言い、あのような惨事を起してしまった己に、今までの行いを恥じるかのように親切にしてくれた。全てが万全とまではまだいかないが、今の自分はこれまでにない程に、この上なく幸せであった。それもこれも彼らと出会ったおかげだった。


 サーザント家の仕事に仕え、クリス君の様子を伝えるよう彼の両親から受け賜ったあの日から、彼をいつも観察していた。自分があの人と出会ったのも、その一部に過ぎなかった。


 あの日もそんな仕事の合間に起こった出来事だった。今でもはっきりと覚えている。それ程までに深い印象を自身の中へ刻んでいた。


 露店が並ぶ市場の街並みの中で、クリス君と、サンダリアン君、そしてあの人が仲良く3人で買い物か、もしくはどこかへ出掛けている最中だった。


 クリス君の様子を報告する仕事を遂行するため、3人に気が付かれぬよう、いつもの黒きローブを脱ぎ去り、街人に扮し、顔の傷も大き目なストールで覆い隠し、ひっそりと影から3人を伺っていた。3人ともそれは楽しそうに始終にこやかな時を刻んでいた。友人がいない自分は、そんな3人をとても羨ましく思えた。今思えば、君達の仲の良さにあの頃からずっと憧れていたのかもしれない。それ程までに君達は魅力的だった。君達は全く知らないだろうが。


 君達3人は道中、二手に別れた。自分はクリス君の後を追うことに決めた。仕事としてクリス君の道中を追うのは迷うことなき選択だった。


 しばらく歩いた二人は、女性下着専門店の前で足を止めた。あのような場所で何をしているのかと思いきや、なんと二人は躊躇しながらも女性下着専門店へおずおずと入店してしまった。クリス君の様子の報告義務があると言えど、さすがに男一人で女性下着専門店へ入る勇気はなく、二人が店から出て来ることをひたすらに待った。この件をサーザント家の者達に一体どのように報告していいのかひたすらに考えながら。


 もしかすると、二人のどちらかに女性下着を身に着ける趣味でもあるのかと、考えを巡らせた。もしくは誰かへの贈り物か。恋人だろうか。勝手に家を出て行ったクリス君の両親に、恋人がいるようです、という報告も酷な気がし、若干のめまいがした。色んな考えがぐるぐると繰り返されては自分の脳の中は酷く混乱した。そのように頭を抱えている時、ついに二人が店から出てきた。クリス君の手には一つの紙袋があった。二人とも顔を真っ赤にしており、その表情からはほっとしたような安堵と、これから訪れる喜びと満足感が垣間見えた気がした。


 自分は確認の必要があった。どちらかの己の趣味なのか、それとも、どちらかの恋人への贈り物なのか。もしくは二人の趣味なのか。


 自分はサーザント家に真実を報告する必要があったのだから。


「よし……、行くぞ」


 自分は己を鼓舞するかのように一言吐き、堂々と彼らへ向かった。


「すみません、あの、」


「はい?」


 二人は背後から話し掛けた自分へ同時に振り向いた。


「自分の体格には、その、乳押さえ、というのかな、えーどのサイズが最適だと思いますか? 参考にお聞きしたく……」


「え……?」


 二人はかなりの戸惑いを見せている。緊張してしまい、いきなり切り出しすぎた感が否めない。だがもう時既に遅しだ。あまり表には言いにくい趣味を、急に道端の他人から暴露され、かといってあからさまな拒否反応を顔にも出せず、二人は眉を寄せ、かなりの戸惑いを見せている。思わず天を仰ぎ、手で目元を覆い隠した。いい子達だ、そう思った。自分が唐突に聞きすぎてしまった。すまない、本当にすまない。

 

 ここでもし、彼らの顔が華やいでいたのならば、その為に買ったのだろう。そうであれば、自分の乳押さえサイズの相談に快く乗ってくれるはずだと算段していたが、これはどうやら空振りのようだった。


「……というのはまた別の話でしてね、自身の恋人にその、乳押さえ、をプレゼントとして渡したく、参考にあなたの恋人の体系を教えていただけないでしょうか?」


「え? は、はい……」


 クリス君が答えた。隣の奇抜な髪型のサンダリアン君はなぜかずっと黙り、赤面している。もちろん自分に恋人なんていう存在は皆無だ。だが、こう切り出すしかその真実を知るすべはなかった。戸惑いを見せながらも彼らは、二人の優しさからか、ここは親切に教えてくれるようだった。やはり恋人への贈り物か、そう思った。


「ですが、僕達がこの……乳押さえ、を贈る相手は恋人ではありません。……恩人です」

 

 クリス君がおずおずと自分を見上げながら恥ずかしそうに答えた。


「恩人?」


「そうっす! 俺達の恩人っす! 俺達をどん底から救ってくれた人っす!」


 サンダリアン君は何も揺るぐことがない、その輝くような垂れ目の瞳を向けて、そうはっきりと答えた。


「そうか……、恩人か……」


 自分はそれを聞いた時、気が付いた。先程道で別れたあの人に渡すのだと。これまでクリス君達の様子を見てきた自分からはそれは容易に想像出来た。


 私は咄嗟に「お腹が痛い」と言って二人から身を引いた。実際に少し胃痛がしていた。当時、術符の反動に負けぬよう、体力や筋力だけではなく、胃腸も鍛えようと、自生ミントティーを飲んでいたからだ。おかげで今では耐性が出来たようで、お腹を下すこともなくなった。あの人が出したミントティーで手が震えていたのは若干の緊張とトラウマのせいでもあった。今では淡い思い出だ。そんな自分の急な退散に二人で困惑し、一時の間、顔を見合わせていたが、すぐ様また道を歩き出した。そして自分はまた二人を尾行した。


 辿り着いた彼らの目的地には、あの人がいた。そして、彼らの感動的な場面を目の当たりにした。純白の乳押さえを二人から受け取り、泣いて喜ぶあの人を見て、自分も密かに微笑んだ。君達3人から底知れぬ絆を見せつけられてしまった。嗚呼、自分もあの輪に入れたらいいのに、そう心から思った。それは決して叶わぬ願いだと思っていた。理解していたはずだった。


 だが、今、自分はその陽だまりの中にいる。

 

 迷った。ずっと迷い続けた。3人へ酷い仕打ちをしたこの自分が、あの輪へ入っていいものなのかと。自分はこの3人にふさわしい人物なのか何度も考えた。だが、どうしても諦めきれなかった。諦めたくなかった。


 こんな自分にあの人は言った。「これからよろしくな」と。己が過ちを犯してしまった後も、その言葉とあの温もりをくれた。それはずっと自分が、何年も、ひたすらに待ち望んでいたものだった。それが叶った瞬間だった。


 だが、あの人との時間はもう終わりを告げようとしている。彼女は旅立つ、自身の故郷へ。


 人はいつか別れの時がやって来る。それは決して誰にも避けられない事実であり、この世のことわりだ。その事は突然両親を亡くしたあの日から誰よりもよく理解していた。だが、決して慣れる事ではなかった。その時がまたこのように突然やってきては、自身にまた重い闇を背負わせる。


 この3人が作る暖かな光の中でまたずっと笑い合える日が続くと思っていた。クリス君は今まで以上に立派な画家になり、サンダリアン君はもっと強靭な剣士として名を馳せ、あの人もこれまで以上にあの二人を支え続けるとばかり、そう思っていた。そしてその中に自分という存在も含まれいているんだと。


「これは自分のわがまま、か……」


 店を出るなり、闇に飲み込まれそうになっている赤くて黒い夕闇を見つめ、呟いた。


 自分は矛盾している。あの空のように。自身の中は光と闇が入り組み、絡まり合うように存在している。あの人の幸せはあの人の中にある。自分という存在のせいで、故郷へ戻る友に負荷を追わせてはいけない。己は闇に決して負けてはいけないのだ。


 今日も一番星が美しい存在を輝かせ、瞬いていた。そんな姿を見つけると、自分は決心した。


「レイ君、君をもう悲しませたくない」


 あの星のようにあの人の前で最後まで輝いていたい、そう強く思った。

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