2章 15.彼を問いただしてみた。

「気が付かれていたか……、レイ君」


 大男は、私のヘッドアッパーカットをお見舞いした顎を撫でるのをやめると、背筋を正し、銀色のナイフを手からこぼすように地へ捨てた。それは土の上で虚しくコロンと転がった。彼は目元に着けていたマスクをゆっくりと外す。同時にフードを脱ぎ去り、その姿を潔くさらした。そこには両頬に大きな傷を持った見慣れた顔があった。


「も、モルファーさんっ、すか!?」


 サンダリアンは面食らったかのように両手でずっと握り締め構えていた剣をだらりと脱力させた。ようやく気が付いたのかと、突っ込みたかったが、今はそれどころではない。

 

「これは一体どういうことだ。私達を裏切ったのか? いや、……最初からそのつもりで近付いていたのか」


 私の予想はいつの間にか確信へ変わり、自分で頷くようにその言葉を走らせていた。


「……全てがお見通しか」

 

 モルファーは目を閉じ、独り言のように言うと、また目を開け、私達を静かに見つめた。その顔は今まで見たどの彼よりも神妙な面持ちだった。


「全て仕事の上でやった。……サーザント家からの極秘依頼というものだ」


「なんだって……!?」


 私はサーザント家の馬車に乗っていたという、大柄な男の存在をすぐさま思い出した。


「自分はクリス君の監視役として以前から雇われ、様子を伝えるように指示を受けていた。そして……、画家としての道を諦めさせる仕事を請け負っていた。サーザント家の願い、それはもうすぐ成人を迎える跡取りであるクリス君に戻って来てもらいたい、その一心だった」


 私もサンダリアンも言葉を発するような余裕もなく、ただ愕然とし、その真実だけが耳に届いていた。


「無理やり連れ戻したとしても彼はまた出て行ってしまうはずだ。そこで君達へ近付くためにオークを森の近くで放った。まさかレイ君が術符を発動するとは思いもしなかったがね……。そこから……、全て君達が経験した通りだ」


「も、モルファーさん、嘘っすよね……? だってあんなに……」


 サンダリアンの声は震えていた。未だに信じられない様子で、酷く憔悴していた。何かきっと理由があるはずだと、必死にそのありもしないような真実を探すかの如く、モルファーの顔を見つめていた。彼の問いにモルファーはバツが悪そうに少し下を向き、苦い顔をまた浮かべただけで、一切何も答えなかった。


「自分が新たに請け負った仕事は、クリス君に自身の肖像画を描かせ、それをののしることだった。そして彼を落胆させ、画家としての道を諦めさせ、自らの足によってサーザント家に戻らせる、手筈だった……」


「若干、話が違うようだが。まさか、それが出来ずに、こんな荒い手段を行ったというわけか」


 私は声に怒号を利かせ、モルファーへ強い視線を浴びさせながら、問いただすように言った。


「……レイ君。君がなぜ、クリス君のパトロンとして成功しているのかよく分かったよ」


 モルファーは私を優しく見つめ、緩やかな声で何かを悟ったように言った。その目は赤く、憂いを帯びていた。


「……ふざけるな! クリスはな、クリスは、どんな思いで、お前のっ、万能魔術士モルファーの絵を描いたのか、分かっているのか!?」


 私はその理由を十分すぎるほどに理解していた。なぜなら私はあの場にいたのだから。それは目の前の男もそうだ。私よりも誰よりも理解しているはずなのだ。クリスがどのようにしてあの絵と向きあい完成させたのかを。クリスがあの絵に掛けた情熱とその想いを。モルファーがクリスの絵をののしることが出来なかった理由もそこに確実にあると思えた。あの時、モルファーはクリスの絵を見て至極喜んだ。あの場で、二人はしかと見つめ合い、きつく握手を交わした。二人の間には、私には到底計り知れない絆と、二人しか分かち合えない世界が間違いなく存在していた。


 だがそれは裏切られた。


 クリスは命を削りながらもあの絵と向きあい、モルファーの素晴らしさを、その美を誰よりも極限までに表現し、自身を追い込み、描ききったのだ。例え何かの事情があったとしても、決してそのような理由で、罵声を浴びせられる上で、描かれていいはずのものではない。彼の覚悟を、想いを、目の前の男は最初から踏みにじっていたのだ。目の奥がかっと熱くなったが、ぐっと我慢をし、込み上げて来るものを無理やり押し戻した。


「……すまない、本当にすまない」


 モルファーは私の顔を見るなり立ちすくみ、その場でうなだれるようにぼそりと告げた。


「その言葉はいらない。……私達の友情も偽物だったということだな」


「……それはっ!」

 

 途端にモルファーは口走ったが、咄嗟に口をつぐみ、それ以上何も口にする事はなかった。


「もういい。サーザント家に言っておくんだな。クリスが戻ることはないと」


 私は勢いよく踵を返した。まだ剣をぶら下げながら茫然と立ち尽くし、モルファーの顔と私の顔で右往左往しているサンダリアンの左腕をすぐに鷲掴みにした。そのまま彼を引きずるようにしてその場を後にした。気を抜けばまた熱いものが込み上げてくる。


 そんな自身に言い聞かせるように、誰にも届かない声で呟いた。


「……さよならだ。マイフレンド、モルファー」

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