2章 9.お茶を出してみた。

 3日後の朝、万能魔術士バラスト・モルファーがクリスの家までやってきた。先日と同じ全身黒いローブに包まれた姿だった。この服装で肖像画を描いてもらうのだろう。恐らく仕事着か。完成した肖像画は戦士カード用として使用するのだろうか。そんなことを思いながら彼を見つめた。大柄な男がこの狭い部屋に入ると益々部屋が狭くなった気がした。


「この日を非常に楽しみにしていた! わくわくして昨晩は眠れなかった!」


 豪快に笑いながら、まるで子供の遠足前のようなことを話す万能魔術士。無邪気な表情や言葉がその恐ろしく巨大な体格の埋め合わせをするように皆を安堵させているのかもしれない。お茶を用意しながら、私はそう思った。


「先日は助けてくれて、ありがとな!」


 恐らくミントだと思われるものから抽出させたハーブティーを小さな丸テーブルへ置きながら言った。ハーブは元々好きで、地球にいた時は少しベランダで育てていたから若干詳しい。この世界でもミントらしいものが近くの野原で自生していたので、積んでみた。私も飲み、特に異常が無かったのできっと友人に出しても大丈夫であろう。モルファーは机の上に置かれた白い陶器のティーカップを筋肉の固まりのような右手で取りそっと持ち上げたが、なぜか少しその手が小刻みに震えていた。まさか自生していたハーブティーだとばれてしまったのだろうか。いやまさか。しかし、モルファーはランキング上位の凄腕魔術士だ。千里眼的な魔術でもいつの間にか使ったのだろうか。お金に困っている身とはいえ、さすがに自生はまずかったか。ただの草と言えばそうだ。その辺の草の茶を客人とも言える友人、それもこの辺りでは有名な万能魔術士に飲ませるヤツなんてそういないかもしれない。私以外は。


 そう思ったのも束の間、彼はにっこりと微笑み私へ礼を言うと、「ミントティーか。私も好きでよく飲んでいた。スッキリして気分の上がる飲み物だからな」と爽やかに言った。私の心配は杞憂きゆうに終わった。隣で少し緊張気味に控えていたクリスも、森での出来事へのお礼を礼儀正しく述べた。


「本当にこの間はありがとうございました。助けていただいた上に肖像画まで依頼してくださり、感謝しかありません」


 クリスは頭をペコリと下げ、深々と言った。時折、クリスの律義さや真面目さが目立つことがある。風格というか、雰囲気というのか。やはり彼は貴族出身なんだなと時々感じる事があった。


「いやいやとんでもない。元々君の噂を聞いていて依頼したいと思っていたところなんだ。これも何かの縁だろう。完成を楽しみにしている!」


 そこまでかっこよくスラスラ述べた後に「……友達として」と照れたようにぼそりと付け加えた。先日から少し気になっていたが、やけに友達を強調するくせに、恥ずかしさが常にあり、照れを醸し出すのはなぜだろうか。そんな性格なのだろうか。だが、ツンデレではなさそうだ。ツンデレでなければヤンデレか。しかしそんな男には見えない。まさかクーデレという部類か。クール&デレで私達の心を惑わす気かもしれない。しかしクールでもない気がする。かなり物腰も柔らかい上に体育会系のパワフルさがある。けれども文科系の魔術士なわけだ。人を見た目では決して判断してはいけない。心からそう思った。


 クリスは私が何かを一生懸命考えているのに勘付いたのか、一瞬眉をしかめたが、いつものように私を流し、モルファーに笑顔で「僕は準備をしていますので、いつでもこちらへどうぞ」と言った。その後モルファーは自生ミントティーをすぐに飲み干すと、画廊部屋へゆっくりと入って行った。お腹は壊さないでほしい。


 今から夕方まで時折休憩を挟みながら肖像画の完成を目指す。もちろん1日では終わらないので、数日かけての作業になる。モルファーの仕事がない日はこのように足を運んでもらい、キャンバスと一緒に過ごす算段になっている。このようにして、クリスの肖像画制作は始まった。


 それからモルファーは時間さえあればこの家に何度も訪れ、毎度のように手土産まで持って来てくれた。「みんなで食べてくれ」とにこやかに言った。有り難く頂戴し、クリスと時々サンダリアンとも分けあった。モルファーが持って来てくれるものはどれも普段食べられないような珍しい食材や菓子ばかりで、節約を重ねている私達3人は「美味しい!」と言いながら食べ合った。自生ミントティーしか出せない私を許してほしい。


 彼がここへ訪れる度にクリスは肖像画と何度も何度も向き合った。モルファーは非常に協力的だった。本当にただ顔を見合わせ、向き合っているだけの日もあった。クリスがモルファーを描き出した当初、何も描かずにほとんど白紙のキャンバスだけをじっと見つめていることがあり、まるでキャンバスに映された己と対峙しているようにも見えた。モルファーはそのようなクリスに辛抱強く付き合ってくれた。じっと待ってくれた。他の者ならこのような画家にイライラする者もきっといるはずだろう。だが、モルファーは仕事で疲れていても嫌な顔一つせずに心からこの時間を楽しんでいるようだった。モルファーのその精神力はどこで培われたのだろうか。まるで何が起こっても揺るがないような堂々とした大きな石のようだった。


 そしてついにその日はやってきた。窓から夕日が差し込む頃、画廊部屋のドアがゆっくり空いたかと思うと、今にも倒れそうな青白いクリスが立っていた。


「で、出来ました……!」

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