2章 21.新しい友人と出会ってみた。
「あれから1か月か……」
私は窓際にあるベッドに腰かけ、ガラスの向こうに広がる青空をぼーっと見つめていた。
私達はあの日からいつもの日常を取り戻そうとしていた。サンダリアンは益々討伐や護衛の仕事に剣士として励み、日々の鍛錬も怠らず、前をしっかりと向いていた。
クリスは、彼の表現に文句を言う者は未だに消えることはなかったが、それ以上に熱狂的に支持を与えてくれる依頼者が増え、この世界のアート界で次第に先鋭の画家として名を知れ渡らせていた。「あんなものは絵画ではない」という者もいたが、「言わせておけばいいですよ」という言う日もあった。「表現は自由ですから」と。クリスはあの日以来少しだけ頼もしくなった。背も高くなった気がする。
モルファーはあれから無事に命をつなぎ留めたらしく、彼の言った通り、記憶石を打ち負かしていた。だが、彼の件は様々な問題となり、多方面から物議が醸されていた。魔術士や術符を取り扱う者からはずっと騙されいたとモルファーを批判する者が現れ、過去にモルファーと共に仕事をした者からも魔術士ではなかったと言う事実に憤慨している者も多かった。
彼はずっと嘘をつき、人々を騙し、生きてきたのだ。それが例え家族のためで、どうしようもない手段だったとしても、彼らを騙していたという事実は消えなかった。術符の闇取引が行われていたのでは、など様々な憶測が飛び交い、以前からモルファーを雇っていたサーザント家にも大きな調査が入ったとのことだった。だが、モルファーとサーザント家の間で示談が成立したとのことで、両方お咎めなしとなった。
国の調査がどこまで入ったのかは分からない。モルファーは雇い主だったサーザント家の門を破壊して、庭園も酷く荒らし、彼らを裏切ったが、サーザント家も術符による人体実験や術符発動装置の実験を隠しながら行っていた。そこに倫理的な問題はありそうだが、お互いの利害と存在によって双方が成り立っていたため、示談として解決する事になったのだろう。
「なぁ、クリスの家は、術符屋だったのか?」
ずっと気になっていたことを、小さな丸テーブルの上で、ナイフで黒鉛を削ぐクリスへ尋ねた。
モルファーとサーザント家のほとぼりが冷めるまでなんとなく聞けずにいた。下を向き、作業を続けたまま彼は答えた。そのナイフにはあのペガサスの紋章が刻まれていた。
「僕も詳しくは聞かされていないのですが、術符屋というより、国から術符の管理を任されていたのだと思います。術符はやはり人間が使うものですし、人間の身体によって実験者が必要だったみたいで……。術符を投げずに効率よく発動できる術符発動機の開発も同時に行われたみたいです。その実験にもモルファーさんは協力しながらその力を利用し、魔術士としても仕事を得ていたのではないかと……。ですがそこはやはり人体実験ですからね……。もしくは国の許可無しで行っていたのか……。国から僕の家にどこまで術符の管理が任せられていたのか分かりませんが、彼が魔術士ではないと、あの家に戻るなり母からすぐに聞かされて、とても驚きました……」
モルファーがサーザント家からクリスを連れ戻す仕事を請け負った経緯が、うっすらと予想出来た。
「魔術士ではないという弱みを握られていたわけか……。そして自らその真実を晒したと……」
私達のために、と付け加えようとしたが、すぐにやめた。クリスがモルファーのことを今、どう捉えているのか未だに聞けずにいたからだ。
「あのモルファーの肖像画はあれからどうなったのか知ってるか?」
もう一つ、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「それが……」
クリスはそう言うなり、黒鉛を削いでいたナイフの動きがピタリと止まった。その時だった。
「ただいまっす!!」
ドアが激しく開き、サンダリアンの大きな声が狭い部屋にこだました。最近の彼は仕事帰りに「ただいま」と言うほどに毎日この家へ立ち寄っている。そんな光景が微笑ましい。
「サンダリアン、今日もハイパワーポーズで走って来たか!」
「違うっす! 今日も改・ハイパワーポーズっす!」
以前、市場のど真ん中で「俺はハートの剣士、サンダリアン!」と大声を出しながら駆けて行った彼を思い出し、頬が緩んでしまった。
「それでっすね、さっきギルドで気になること聞いてっすね。二人に言おうかと走ってきたっす! 改・ハイパワーポーズで!」
「気になること?」
私は改・ハイパワーポーズに一切触れる事無く、すかさず尋ねた。
「モルファーさんのことっす……」
「モルファーさんの、ですか?」
クリスが興味ありげに顔を上げた。
「まさか退院したのか!?」
「みたいっす。またあの黒いローブを羽織って、うろうろしてたらしいっす。あの森付近で……」
あの森付近。私達3人はきっと同時に同じ場所を思い浮かべた。初めてバラスト・モルファーと出会ったあの森を。クリスは一瞬何かを考える素振りをしたが、口をすぐに開いた。
「……付いてきてくれますか? レイさん、サンダリアンさん」
クリスが私達を頼っている。彼はもう一人で抱え込んだり、迷ったりはしない。
「ああ、もちろんだ!」
「うっす!」
ただの噂だ。人違いかもしれない。だが、クリスはきっとそれでも彼に会い、伝えたいことがあるのだろう。それは私も、きっとサンダリアンも同じだった。だが、まるで禁忌なことでもあるかのように、その事は誰も今まで口にすることがなかった。それは私が最初に口に出していいものではない、そう思った。サンダリアンもきっと私と同じ気持ちなのだろう。口数も少ないままに、3人であの森の入り口付近に辿り着いた頃には、もう夕刻の時間だった。
「……いないな」
辺りを一通り歩き見渡したが、人の気配はなかった。周囲は木々に囲まれ、夕日が枝の隙間から差し込んでいる。この奥へ進めば、私達3人が初めて出会った場所がある。この森ではオークに2度も襲われ、助けられたことが2度もある。最初はサンダリアンに助けられ、次はモルファーに助けられた。彼の放った術符に。
「笑える話だな……」
その呟きをさらう様にそよ風が吹き抜けた。そこにはあの時と同じ光景が広がっていた。私達を包み込む太陽の色だけが違っており、また今日が終わろうとしている。諦め、帰宅しようとしていたその時だった。
「待っていた」
その太い声へ振り向くと、黒いローブを風に棚引かせ、佇んでいる姿がそこにあった。
「モルファー……」
「久しぶりだな」
モルファーは私達3人を光でも見るかのように目を細め、少しだけ微笑み、見つめていた。以前より更に顔の傷は増え、相変わらずの姿だった。
「未だにその恰好なんだな、えーと、特殊な防具ローブだっけ?」
私が呆れたように言ったが、モルファーは少し口角を上げた。
「ああ。自分は術符士となった。世界で最初のな」
「懲りないやつだ」
「諦めだけは悪いからな」
私の皮肉めいたその言葉でさえも、彼は愛しむかのように優しく笑った。すると、顔つきをすぐに変えた。
「……自分は君達に酷い事をした。本当にすまない」
彼は深々と頭を下げた。
「ああ、そうだな」
私は彼の揚げ足を取るかのように呟いた。
「だがっ、だが……、自分は……」
モルファーは次第に声を詰まらせ、言葉を途切れさせていく。
「自分は、君達と……、そのっ、自分は……!」
モルファーの自嘲気味な声だけが風に乗り、森の木々の隙間へ消えた。私は何かを待ちわびるかのように唇を噛みしめ、ぐっと耐え忍んだまま押し黙っていた。その時だった。
「……諦めが悪いんでしょう? モルファーさん」
クリスがか細い右手を静かに差し伸べた。その表情はいつか見た、あの泣き顔から程遠い、柔らかなものだった。
「クリス君……」
モルファーが少しだけ頭を上げた。そしてクリスが差し出した右手を静かに見つめた。
「討伐ギルドのあの肖像画もずっと登録されたままでしたし、職員の人も怒ってましたよ? 諦めが悪い男だって」
クリスの緩やかなその言動は、可愛いいたずらをした子供を笑ってしかるようだった。
「……ゆ、許してくれるのかい?」
また視線を足元に戻したモルファーの声は酷く震えていた。広い肩幅も小刻みに揺れ、足元には大粒の水滴がぼとぼとと滴り落ちていた。
「友人ですから」
そのクリスの言葉を聞いた時、私はこの声を直ぐ様上げた。サンダリアンもそうだ。二人でずっと待ちわびた瞬間だった。
「ああ、そうだ、クリスの言う通りだ」
「そうっす!」
二人で右手を差し出すと、それに気が付いたモルファーが顔を上げた。雫に覆われたその傷だらけの顔はぐちゃぐちゃに歪み、これまでの彼の想いがそこに全て現れていた。私達がサーザント家の庭園で見た、そしてクリスの描いた、彼だけが見出した、美しさしかないバラスト・モルファーの真の姿だった。
「ありがとう……!」
彼の言葉と共に私達は微笑み、傷だらけの大きな手をきつく握った。
そこにはあの時と同じ風景が広がっていた。
まるで出会ったあの頃と同じように。
「マイフレンド術符士、バラスト・モルファー。ユアフレンド星野レイだ。これからよろしくな」
2章 「表現の可能性」
完
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