2章 13.彼を追い駆けてみた。
太陽が低い位置で、オレンジ色に染まる頃、私とクリスとサンダリアンは、いつもの街中へ食材の買い物へ出掛けていた。今日は果物のおすそ分けをしてくれたサンダリアン。せっかくなら、と彼を含め、3人で夕飯を共にしようと、市場へやってきた。この時間は夕飯の買い物に出掛ける者達も多い。そんな日々の一部に溶け込むかのように私達は夕日に灯されていた。
皆でパーティーを行った夜、モルファーは明日、あの絵を討伐ギルドへ登録すると言っていた。あれからもう数日が経っている。私達は覚悟をした。賛否両論になればまだいいかもしれない。賛否ではなく、片方のみの覚悟をしておく必要があった。あの絵を見れば、それはただの怪物の絵として映るだろう。それ程までにあの絵に描かれたものは奇怪な要素しかなかった。私は自分と足並みを揃えているクリスの横顔を見つめた。
「……クリス、不安か?」
「不安が0とは言えません……。けれど、自分が今、やるべき事は成し遂げた、と思っています。レイさん、以前言われてましたよね。100%受け入れらるものはないって。だからこの世界は面白いんだと」
「ああ」
「……僕もそう思います。面白いなって。だから今後も何があってもこの世界で生きていきます」
クリスは前を向きながら、この世界を愛しむかのように言った。遠くを見つめている静かな瞳だった。
「私もつきあうぞ!」
「俺もっす!」
サンダリアンは満面の笑顔だった。私はクリスの背中へ喝を入れるように叩きながら愉快に言った。彼は眉間にシワを寄せ、こちらへ振り向いたが、また前を向くといつものように軽いため息をつき、「ありがとうございます」とそっけなく言った。その時彼は少し微笑んだ気がした。
私達は討伐ギルドの横を通り過ぎようとしていたところだった。中から灰色のジャケットとフルレングスのパンツ姿という制服を身に着けている一人の男性から呼び止められた。恐らくここで働く職員だろう。
「あの、すみません、あなたは剣士で登録中のネイチル・サンダリアン様でしょうか?」
3人同時に振り向き、すぐにサンダリアンが「そうっすけど」と不思議そうに答えた。
「……ということは、そのお二人はクリスさんとレイさんでお間違いないでしょうか?」
「はい、そうですが……」
クリスが戸惑いつつ答えると、「少しお話があるので、もしお時間があればお三方とも、中へどうぞ」と言われた。
ここはあのモルファーの肖像画が戦士カードに登録されている討伐ギルドだ。怪しい予感しかしない。他の2人もそう感じていることだろう。なぜなら双方とも不安そうな表情をしていたからだ。だがここで逃げても仕方がない。3人で目配せをし、私達は腹をくくり、燃え盛る炎に飛び込むような気持ちで足を踏み入れた。
炎と言っても、中は相変わらず不思議とひんやりとし、少し薄暗い。だが、入るなり、仕事を見つけに来ていた様々な戦士たちが一斉に私達を見つめた。その瞳の中には暗い灯があり、蔑んだような視線をぶつけてくる。まるで汚物でも見るかのように。そのような中、私達は部屋の奥にある個室に案内され、そこにある古びたソファーへ座るよう促された。ここへ通される際に、討伐ギルドで働く大勢の職員達からも陰湿な目で見られているような気がした。
「急にお声かけして申し訳ございません。ただ、あなた方をお見掛けしましたら伝えるよう、上から申し立てられていまして……」
相手もソファーへ腰かけると、すぐに口を開いた。相手を警戒するかのように、挙動不審さを醸し出し、目を泳がせている。
「何をですか……?」
クリスが尋ねてはいけないような口ぶりで恐る恐る言った。
「大変申し訳ないのですが……、あなた様のその絵は、サンダリアン様の戦士カードが新たにご登録された時点から、その、色々と取り上げられており……、あの時はこちらも流しておりましたが、その、新たに最近登録された魔術士の戦士カードの件で、職員の中でもよく思わない者も増えてきており……、うちとしても、戦士の皆様が請け負われた仕事から、仲介手数料をいただき、動いている組織ですので……、その……」
私達は何も言わず、黙ったまま、冷や汗を流す目の前の男性職員をじっと見つめていた。彼はまだ歯切れの悪い言葉を続けていた。
「それで、あの……、その、上位ランキングに入っておられる魔術士、モルファー様の肖像画が、なんともこの世の者ではないというか、不思議な造形物で作られており、その、それがクリス様が描かれたものだとおっしゃられておりましたので……。それを知った上層部の者が、その、これ以上の黙認は、無理だと……。噂を聞きつけた他の画家の方からも、いやはやあれこれと……あんなものは絵画ではないと、不満が、その爆発しており、ああ、なんと申したらいいのか……」
全部はっきりと言ってるじゃないか。そのしどろもどろな物腰の姿に私は我慢出来ずに言った。
「つまり、戦士カードへの絵の登録をやめろと?」
「はい……、モルファー様には次回ご来訪された際にこちらからお伝えしておきます」
やはりはっきり言う奴だ。
「そんなっ酷いっす! あの絵はクリス君がどんな想いで描いたか知らないからそんなこと言えるんす……! あの絵はっ……」
「サンダリアンさんっ! ……大丈夫です」
クリスは突然大声を上げサンダリアンの名を呼び、消え入るように最後の言葉を繋げた。そしてさっと立ち上がったかと思うと、職員に向かって静かに「分かりました」とだけ言い、軽くお辞儀をして、この部屋を一人で飛び出してしまった。私とサンダリアンはすぐに顔を見合わせた。サンダリアンの顔からはいつもの笑みが消え、ただ眉根を寄せて、不安と心配が刻まれていた。きっと私も全く同じ顔をしていた。すぐに二人でクリスの後を追いかけ、部屋を飛び出した。
これは予想出来ていたことだ。確かに私達は、クリスは、想定をしていたはずだ。何度も己に言い聞かせるように、しっかりと。だが、クリスはまだ16歳だ。普段からしっかりしているとはいえ、まだ子供じゃないか。この結果は彼にとっては過酷すぎたのだ。胸のざわつきが静まらなかった。私は通路を走り抜け、角を曲がった瞬間に、前をしっかりと向き、歩いていくクリスの姿を捉えた。討伐ギルドにいる戦士達や、職員たちに冷たい視線を浴びせられる中で一人で突き進む、まだ大人になりきれていない背中だった。その小さな背中は『一人でも大丈夫』、そう言っている気がした。だけどそれはとても儚く、今にも消えてしまいそうに見えた。私はクリスの元へ駆け寄り、右腕をしっかりと掴んだ。クリスがすぐに振り向いた。その青い瞳は泣いて――、はなかった。
「クリス、泣いていない、のか……」
私は心の奥からほっとし、胸をなでおろした。クリスはそんな私の顔を見て、ふと笑みをこぼした。
「当たり前じゃないですか。そんなに僕、泣き虫じゃないですよ。それにこれは予想していたし、分かりきっていたことです」
クリスは平然と言い放った。いつも結構な頻度で泣いているぞ、と突っ込みたくもなったが、笑顔の彼からその言葉を聞いて、ほっとした。同時に少しの違和感を感じた。その笑顔はとても繊細で、些細なずれのように見えた。
討伐ギルドから外へ出ると、夕日は更に傾き、既に神々しい光を放つ一番星が、うっすらとした夕闇に出現していた。そこからの買い物の最中、クリスはやけに上機嫌だった。
「この果物美味しそうですね! たまには奮発して買ってみましょうか?」
まるであどけない無邪気な笑顔を無理矢理にでも振りまいているようにも見えた。それこそが16歳の年相応の少年に見えて、逆に違和感を覚えた。私だけがそう見えているだけだろうか。胸の奥底がチクリとした針に刺された気がした。
「……クリス君、大丈夫っすかね? なんだか少しいつもと違うっす」
買い物の最中、サンダリアンは私の耳元で、小さく尋ねてきた。どうやらサンダリアンも私と同じ印象を持っていたようだ。クリスへ直接聞かないのも、彼なりの優しさなのだろう。
「ああ、私もそう思う。だが、今は寄り添うことしか出来ない。私達が彼を支える、それだけだ」
空のオレンジ色は闇に溶け、この世から今日も消えて無くなった。夜がまたやって来るのだろう。だが私達はクリスの力を信じている。暗闇の中で強く光るあの星のような彼を。
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