第8話 塾講師としての限界


「頼む奏真ぁぁぁ! 課題教えてくれぇ!」



 デートを終えた翌日、俺はいつも通り大学で講義に出席した。この講義は宮子や俊太と一緒に受講しており、毎回近くの席に座っている。そしてその講義で割と難しい課題が出された。



「お前さぁ、すぐ聞くんじゃなくて少しは自分で考えろよ」


「考えたよ! 授業だって真面目に聞いてたさ。けど、さっぱり理解できなかった!」


「お前が前回の講義を休んだからだろうが」



 授業のデータは先週送ってやったのでそれを見なかったこいつが悪い。とりあえず数日様子を見てその上で分からないようだったら一緒にやってやることにした。一方の宮子は俊太と違い、既に出された課題の要点をアウトプットしていた。こういう細かいところで成績に差がついてくるのだろう。



「なぁ桐谷。奏真が意地悪するんだけど」


「ソーマはこれが通常運転。恨むのなら、先週の講義をサボった自分じゃない?」


「お前ら、そろいもそろって辛辣なことをぉ」



 ここは宮子も俺の味方をしてくれるようだ。確かこいつ、先週の講義はオンラインゲームを遅くまでしすぎたせいで寝坊したとかなんとか。大学生の欠席理由としては一番ダメなタイプである。



「なぁみゃーこ。そろそろお前の荷物が邪魔になってきたんだけど」


「……もう少ししたら取りに行く」


「頼むよ。あのままじゃ俺があらぬ誤解を受けそうなんだ」



 宮子は俺の家に遊びに来ることがある。その時にとある荷物を置いて行ったのだが、少なくとも男の部屋にあっていいものではない。今はまだ誰にもバレていないが、もし楓ちゃんに見つかれば冷たい目を見られることは必須。だから何としても近日中に取りに来てほしいのだ。



「そういや奏真、この後メシでもいかね? 今日シフトオフなんだよ」


「お前がシフトオフでも、俺はシフトインだ」


「ちぇっ。塾でバイトだなんてよくやるよ。俺なんて受験の時に勉強した知識ほとんど忘れてるぜ……じゃあ桐谷は?」


「私、この後友達と買い物行くの」


「ちっ、こっちもリア充かぁぁ!!!」



 なんやかんやで俺たちよりも友達の数が多い宮子は既に予定を入れていたようだ。しかも女の子同士の付き合いらしく、当然ながら俊太は参加できない。こいつが大学屈指のイケメンとかモテ男なら別だったが、日ごろの行いというやつだ。


 それはそうと俺は自身の現状について再度振り返る。確かに塾でバイトなんて本当に勉強が好きでなければ続けられない業種だと思う。俺はお金の為で仕方なくやっている節があるが、実際勉強はそこまで好きじゃない。何とか容量の良さで誤魔化せているが、いずれ雲母に教えられるものが無くなるのは明白。



「俺も限界なのかなぁ」


「限界って、塾の事?」


「そ。やっぱ時給はいいんだけど、そろそろ自分の限界を感じててさ」


「ソーマ、もともとそこまで頭いいタイプじゃなかったもんね」



 俺が勉強に対して本気を出したのは高校3年生になってからだ。だから頭が良いのかと聞かれたら俺は全力で否定する。この大学に合格できたのだって偶然と言えるようなものなのだ。探せば俺より頭のいい人なんて大勢いる。



「じゃ、俺はもう行く。じゃあな」



 そうして俺は宮子たちと別れて一人大学を出る。もしかしたら雲母が俺にとって最初で最後の教え子になるのかもしれないな。


















「というわけなんだけどどう思う?」


「いやセンセ、それあたしに聞くぅ?」



 こういう時は当の本人に聞いてみるのが一番だと思ったので俺は雲母に最近の塾事情を正直に話してみた。ぶっちゃけ君に教えられることがもうないよと。ちなみに塾長もこの話を盗み聞きしており、苦笑いして頷いている。



「だってさ、雲母はもともと塾通う必要ないくらいの実力もってんだからさ、これ以上は時間とお金の無駄になると思う」


「あたしもなんとなくわかってるし常時そう思ってるけど、あたしじゃなくて親を説得してもらわないと」


「ということですよ塾長」


「アハハ……」



 そう聞いて塾長の方を振り向くも頭の後部をポリポリ搔きながら引き続き苦笑い。ま、厳格そうな人だったってことだし、すぐに説得は難しいよな。そう考えているといつの間にか塾長を挟んでの三者面談になってしまう。塾長はただただ気まずそうだ。



「雲母に教えられる人、他にいないんですか?」


「いるにはいるけど、本人が……」


「じゅくちょセンセっ、しーーーっ!」



 塾長が何かを言おうとしていたが、雲母が慌ててそれを止める。何やら頬が赤くなっていたが何かやましいことでもあるのだろうか。ともあれ俺より頭の良い人や教えるのが上手い人なんてこの塾にいくらでもいるし、そこまでこだわることもないと思うのだが……



「他の子の担当とかはないんですか?」


「それも考えたんだけど、今の時期は入校志望者があんまりいないんだよねぇ」



 塾というのは一日通うだけでも数千円単位のお金を要求される。ましてや個人指導の塾などとてつもない金額になることは必至。四月になってからは人も一気に減ったし、今が一番暇な時期なのだ。要するに、講師側も人手を持て余している状況。ポスターやウェブで宣伝しているらしいが、いまいち効果はないらしい。



「あたしとしては、今のままでもいいんだけど」


「え、なんで?」


「いや、まぁ? こうしてコミュニケーションをするのも勉強の一種というかさ」



 どうやら雲母としては今の関係を維持したいようだ。だが俺としては少し心が痛むのだ。塾講師として未熟な俺が完全に悪いのだが、これ以上俺に何を教えられるのだろう。いや、ぶっちゃけほとんどない。それなのに雲母の親にお金を支払わせてしまっている。



「うーん」


「センセ、いくら何でも仕事辞めないでよ?」



 珍しく不安そうな顔をして俺の顔を覗き込んでくる雲母。こんな顔を見せられたらさすがに辞めるとは言い出せない。本当に卑怯な子だ。



「とりあえずもう少し続けてみるけど、期待するなよ?」


「それ、少なくともセンセが言うセリフじゃないね」



 呆れつつも笑顔になって安心しているような雲母。塾長もホッとして安心したかのように塾長室へと戻っていった。なんやかんやで心労をかけさせてしまっている。とりあえず遅れた時間分を挽回するために頑張らなくては。俺も今回の授業で使う参考書を取りにロッカーへと向かおうとする。だが、雲母もなぜか席を立った。



「そうだセンセ、ちょっと塾長に聞きたいことがあったから行ってくる。ゆっくり戻ってきて」


「? ああ、わかった」



 どうやら塾長に話があるらしく塾長の後を追って塾長室へと入っていく雲母。とりあえずこの間に何を教えようか全力で考えよう。辞めるかどうかは、もう少し後回しだ。



 一方、雲母は塾長室に半ば突入という形で入室してく。塾長は驚くが雲母はそれに構わず塾長に詰め寄った。



「ねぇじゅくちょセンセ、絶対引き止めてよね!」


「そんなこと言われても、結局は本人の希望だから」


「もぉ、じゅくちょセンセのいけず!」



 雲母は内心焦っていた。もしかしたら奏真が塾講師の仕事をやめてしまうかもしれないと。それだけは何としても阻止したい。もっと彼から教わりたい。彼女の心境はそのような感情で溢れていた。



「一年前から専属的に担当してもらってるけど、そろそろ他の先生は……」


「ヤダッ! 奏真センセじゃなきゃ……やだ」



 今にもぐずりそうな顔をする雲母。まるでお気に入りにおもちゃを取り上げられそうになる女児みたいな態度で、塾長を困らせてしまう。



「君が奏真くんのことを気に入っているのはこの一年見てきてよくわかったけど、彼にも彼の都合がある。その時は、黙って送り出してあげようさ」


「……むーっ」



 頬を膨らませ拗ねる雲母。依存とまでは言わないが雲母は奏真に執着していた。自分がなぜ奏真に執着するのかは本人ですらまだ理解できていない。なにせ、この前可愛いと言われてから以前から抱いていたモヤモヤがずっと大きくなったのだから。



(やっぱあたしセンセのこと……って、何考えてるし!?)



 塾長室から出た雲母は一人でそんなことを考え頬を染めるが即座に頭をぶんぶん振って誤魔化した。何故だかわからないが、素直に認めたくない。負けず嫌いともいえる精神が雲母の心に根付いているのだ。



「雲母、始めるから席に座れー」


「あ、うん。わかった~」



 そうして今日も授業が始まる。だが今日の授業はいつも以上に集中力が続かず何度も奏真のことをチラチラ覗き見てしまう雲母なのであった。

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