第36話 夏祭りの後で
俺たちは三人揃って帰路についた。出店はまだやっているところもあるが徐々に店じまいを始めており、人ごみも先ほどとは打って変るように少なくなってだいぶ静かになっていた。
「いやー、久しぶりにお金を使いまくった気がする」
「もう雲母ちゃん、無駄遣いはダメなんだよ?」
「無駄じゃないよ。全部栄養になってるって」
そう言って胸を張る雲母だが、プロポーションという意味では胸を張ることができないというのが俺個人の感想だ。それを言うなら、隣にいる楓ちゃんの方がいろいろと……
「センセ、失礼なこと考えてない?」
「いや? 別に何も」
女の勘、という奴なのだろうか。雲母が俺のことを細目で睨んできていたのでちょっとドキッとした。俺は心拍数の上がった心臓を落ち着け、雲母から目を逸らし楓ちゃんの方を眺める。
「楓ちゃん、夏祭りはどうだった?」
「はい、とても楽しかったです」
夏祭りに来るのが初めてと言っていた楓ちゃんだが、かなり楽しんでいたようなので連れて来た甲斐があったというものだ。色々と想定外のことがあったが、俺自身も久しぶりに来た夏祭りは楽しかった。
そうしてとうとう俺たちは出店がある街道を抜け暗くなった住宅街を歩いていく。僅かに聞こえていた人の喧騒も完全に聞こえなくなり、俺たち三人だけの空間になる。
「来年もまた来たいな……夏祭り」
「行けばいいじゃん」
「……センセって、ロマンチストには向かないね」
「?」
もしかして何か含みがある言い方だったのだろうか? 例えば『月が綺麗ですね』
みたいな。だが俺は夏目漱石ではないのでそういう隠喩的なことを思いついたり紐解いたりする才能はないのでどれだけ考えても意味が分からなかった。
「奏真くん、淡泊すぎるってことですよ」
「淡泊って……いや、来年も行けるとは限らないし」
「あ、意味は分かってたんじゃないですか」
どうやら雲母は来年もまた一緒に行きたいなと言いたかったらしい。さすがに俺もそれは思い至っていたがさすがにベタすぎるだろうと考え即座に切り捨ててしまっていた。だが、そういうことか。
「まっ、暇で気が向いてたらな」
「えー、そこは男らしくさ、『お前の来年の夏は予約したゼ☆』みたいに言ってよ」
「それはただの痛い奴だろ」
それとも雲母の言うロマンチストはそんなイメージなのだろうか? 頭はいいはずなのに、変なところでお花畑に染まってしまうらしい。まっ、こいつの歳を考えれば別に変な話でもないのか。
「あっ、センセ。あたし喉乾いちゃった。これあげるからさ、何か買ってきて。二人の分も奢ってあげっから」
そう言って雲母は俺に三百円を差し出してきた。多分、三人分の飲み物をそこにある自販機で買って来いということだろう。教え子に顎で使われるのは癪に障るのだが、俺も喉が渇いていたため奢ってもらえるならあやかりたいというのが本音だ。だから俺はその三百円を素直に受け取ることにした。楓ちゃんには「えぇ……」と言わんばかりの目で見られていたが。
「じゃ、適当に買ってくるから文句言うなよ」
「はいはい、いってら~」
「あっ、私はお茶で大丈夫ですので」
楓ちゃんのリクエストを聞き、俺は自販機の方へと歩いていく。ふと後ろを振り向くと、二人は向き合って何やら話し込んでいるようだったが。
「さて、ようやく二人きりに慣れたね、楓っち」
「やっぱり、わざと行かせたんだ」
「もち。とゆーか、いまだに色々状況を把握できてないんだけど」
「うん……」
奏真と合流してから二人きりになる機会はなかったので、改めて二人で話し合い状況把握に努める。これは一体どういう状況なのかと。
「雲母ちゃんが言ってた塾の先生って、奏真くんだったんだ」
「うん。そうだよ」
雲母はもはや隠さない。楓相手に言葉を濁してももう手遅れだと分かっているからだ。だから開き直って奏真が「塾の先生=好きな人」だと明かす。そしてそう開示したうえで、雲母は楓に尋ねる。
「というか、楓っちに男っ気があった方が意外なんだけど。最近じゃ男子の告白を断りまくるから、楓っちはもしかして女の子が好きなんじゃないかって噂されてたのに」
「えっ!? そんな噂をされていたの!?」
「そりゃ、あんなに告白を断ってればさ……」
まさか自分に関するそんな噂が飛び交っていたことに驚く楓。そういえば先ほどの同級生の驚き様もその事情を考えれば納得がいくかもしれないとたった今思い至る。
「ずるいよ。楓っち……」
「いや、雲母ちゃんが言えたもんじゃないと思うけど」
「でも……やっぱずるい!」
「そ、それを言うなら雲母ちゃんだってずるいよ!」
ずるいの言い合いになってしまった二人。だが、本当に話したかったことはそんなことじゃないと雲母はすぐにその会話を切り上げる。そして、決定的な確認をした。
「楓っちはセンセの事……って、聞くまでもないか」
「……ん」
「はぁ……なんでよりにもよって楓っちなの? あたしの勝ち目が一気に薄れたじゃん」
「え、どういうこと?」
「いや、それ聞くの嫌がらせだし。だって楓っちに迫られて落ちない男なんているワケないじゃん」
「えっ、ええっ!?」
「いやだから、その反応がもはや嫌がらせなんだって」
クラスが一年生の時から一緒だったため、雲母は楓のことを友達としてよく知っている。だからこそ、彼女の魅力を一女子としてしっかり把握しているのだ。外見もさることながらその綺麗な内面を間近で見てつくづく羨ましいと思っていたりする。
すなわち、考え得る限り最強のライバルが誕生したと認識しているのだ。
「しかも半同棲みたいな生活をしてるんでしょ? あたしが負けるの時間の問題じゃん」
「い、いや、別にそんなんじゃ……」
「否定しても、センセから言質は取ってるからね?」
「……オーマイッ」
楓は真顔でそう言い押し黙る。否定しようとしても否定できないのが事実だからだ。実際にはまだ半同棲と言えるほどの入り浸りではないが、他人からそう見られても仕方がないと自覚している。いや、むしろそう以外に見てくれないだろう。
「たっはー……なんでこうなったぁ?」
「雲母ちゃん、ちょっとおじさんっぽい」
「そりゃ、ダウナー系に転職したくなるよぉ」
そう言って雲母は脱力するように暗い雰囲気を纏って大きくため息をつき天を仰いだ。
「えっと、もしかしてあたしたち、ライバルってこと?」
「……ぁ」
「漫画みたいな展開、だね」
「うん。ほんとにこんなことあるんだね」
お互いの気持ち、お互いの想いを再認識する。そして二人はタイミングよくほぼ同時に、渦中の人物に目を向けた。ちょうど自販機の前でお茶を購入しているところだった。
「いいよね、センセって。優しくてさ」
「うん、凄く優しいよ」
「しかもたまにカッコいいところがあってさ」
「え、そうかな? 私はどちらかと言えば可愛いなって思うことがあるけど」
「は、マジで?」
「あれ?」
どうやら二人の間で奏真に対する認識は若干違っているらしい。だが、根本的な感情はどちらも同じ。慕う想い、秘めたる想いは一切曇りない。ただ気恥ずかしいというだけで、好きということを二人は断言することができる。
「……負けないから、楓っち」
「えっと、そのぉ……お手柔らかに」
「いやだ」
「えー」
そう言ってお互いに口を尖らせ睨めっこをし、クスリと笑いあった。たとえ男の存在が介入しても、二人は仲の良い友達だった。今更それが変わることはない。ただそこに、恋のライバルという新たな関係性が生じるだけ。お互いに、尊重し合いながら競い合う。
「さて、じゃああたしはとっととセンセのことを篭絡しちゃおっと。明日から」
「あ、明日からなんだ」
「だって、今日歩き回ってもう疲れたし」
「アハハ……私も」
そうしてちょうどいいタイミングで奏真が帰ってきて、そのまま三人はそれぞれ帰路につく。二人が仲睦まじそうにしていたので何を話していたのか尋ねる奏真だが、当然二人は秘密にして一切を教えない。しかし、嫌がらせではなく慈愛の念を込めて。
奏真と楓は帰り道が同じ(家が隣ということを雲母はまだ知らない)なので悔しそうにする雲母だが、してやったりと楓がこっそりはにかむ。そんな様子を見てますます困惑する奏真。
そうして、ここに新たな恋のレースが始まった。
——あとがき——
少し長めになってしまった夏祭り編もこれでいったん区切りです。次回は番外編です。
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