第43話 騒がしい朝


 俺の部屋にいきなりやってきた楓ちゃん。彼女とは午前中から一緒に買い物に行く約束をしており、本来は俺も早めに起きてすぐに出発する予定だった。だが、どこかの誰かさんのせいで俺は見事寝坊した。



「奏真くんが、朝から女の人と……」


「えっと楓ちゃん? これはたぶん楓ちゃんが思っているのとは違くて……」


「女の人と……朝チュンしてるぅぅぅ!?!?」


「だから違うって!」



 急にワナワナし始めたかと思えばとんでもない単語を叫びだす楓ちゃん。楓ちゃんにそっち方面の知識が備わっていることに少し驚きつつ、頑張って誤解を解こうとすぐに喋りだそうとする。だが、それを黙って見守る綾瀬ではない。



「ねぇ冨樫くん、その女、誰?」


「お前まで余計なこと言ってややこしくするな」


「いやいや、私には色々と聞く権利があると思うよ? なにせ、冨樫くんと一緒に一夜を過ごしたんだし」


「い、一夜を過ごした……」



 面白がっているのか、綾瀬は不穏なワードを次々楓ちゃんに聞かせて火に油を注いでいく。すでに彼女の顔は大学で見るのと同じニヤニヤ顔で、楓ちゃんのことを会って即いじっていいタイプの子だと判断したらしい。



「そ、奏真くん。本当にその人は何なんですか?」


「こいつか? こいつは同じ大学のクズお……」


「天使で可憐で慈悲深い、冨樫くん自慢の彼女でーす」


「かっ、彼女ですとぉぉ!?」


「だから、お前はマジで黙ってろ」



 案の定というべきか、とんでもない爆弾を朝からぶっ放す綾瀬。先ほどまで二日酔いに悩んでいたはずなのだが、すでに彼女の表情は満面の笑みを浮かばせこの状況をどう楽しむかに意識を傾けているようだった。



「彼女……奏真くんに、彼女……」


「って、おーい、楓ちゃん?」


「彼女……奏真くんは、彼女持ち……」


「ちょ、お願いだから帰ってきて楓ちゃん! 全部話すから。ここ最近のこと全部話すから聞いてくれ!」



 そうしてお出掛けのことなどすっかり頭から抜けてしまった俺たち。綾瀬は俺が焦りまくる様子を見ながらケラケラ笑い、楓ちゃんはどこか別の世界へ意識を飛ばしてしまっている。修羅場になるどころか、カオスな場になり始めている俺の部屋。本当、朝っぱらから胃が痛い……










 そうして、全てを説明して事態が収束するのに一時間近く時間を要した。楓ちゃん涙目になりながら話を聞いていたが、徐々に綾瀬のことが分かってきたのか後半は彼女のことを睨みつけていた。だが、話が進むにつれ同時に俺のことをジト目で見つめてくるようになっていた。


 そうしてここ最近の話を聞き終えた楓ちゃんの開口一言目は。



「それ、奏真くんが拒否すれば万事解決する話なのでは?」


「俺もそうしたいんだけどさ」


「悪いけど冨樫くんとは……ぜーったい、別れてあげない♡」


「こんなことをニヤつきながら言ってくるんだぞ?」


「別れるならまだしも、別れないなんて脅しは初めて聞きました」



 すっかり呆れた様子の楓ちゃん。少なくとも俺たちが付き合ってはいるがその間に恋愛感情が生じていないことを聞いてほっとしているようだった。



「びっくりしました。もしかして奏真くんが変な女の人に騙されているんじゃないかと」


「いや、限りなくそれに近い」


「アハ、誰が騙してるって~?」



 そう言って俺のことをニコニコと威嚇してくる綾瀬。自分がこの一連の事態の原因であるということをわかっているのかいないのか、彼女はずっと楽しそうだ。主に、楓ちゃんのコロコロ変わる表情を見て楽しんで……というある意味最低のシチュエーションだったが。



「それで、どうして好きでもないのに奏真くんのことを彼氏になんかするんですか」


「アハ、なんでだろうね~」


「誤魔化さないでください!」



 憤る楓ちゃんのことをいつもの調子で綾瀬はおちょくり倒す。どうやらこの期に及んでも楓ちゃんに対してまともな返答を行う気はないようだ。ここで俺が昨日綾瀬から聞いたことを話してもいいが、正直これ以上訳の分からない話を長続きさせたくない。それに、あんな話あまり広めたくない。



「とりあえず、綾瀬はもう帰ってくれ。俺はこれから楓ちゃんと買い物行くから」


「え~彼女より年下の女の子を優先するんだー。冨樫くん、はくじょー」


「お前よりは慈愛に満ち溢れていると思っているが?」


「あはは。まあ本当は同行して邪魔してあげたいところだけど、私もさすがに家に帰りたいから帰るよ。冨樫くんの家、他にもいろんな女の子が出入りしてそうだし」


「そっ、そうなんですか奏真くん!?」


「お前は余計な妄想をぺちゃくちゃ話すな!」



 とはいえ宮子などを家に引き入れてしまっているためまともな反論はできない。そうして綾瀬は荷物を整えて思ったより素直に出ていった。どうやら家に帰りたかったのは本心らしい。まあ、なぜ家に帰りたがっているのか心当たりはあるが。



「……私、あの人ちょっと苦手かもしれません」


「正しい感性だ。その感覚を忘れちゃいけないよ」



 綾瀬が出ていくのを見届けた楓ちゃんが珍しく他人に対する愚痴を漏らしたので驚くが言っていることは至極真っ当だったのでひとまず同意しておく。とりあえず、これから一緒に楓ちゃんとお買い物……と、行きたいところなのだが。



「それはそうと楓ちゃん、もう少しだけ時間を遅らせてもらっていいかな。ちょっとシャワーを浴びたくて」


「シャワーですか? あっ、もしかして奏真くん……」


「まぁ、昨日疲れてたし」



 昨日は夕飯を食べ綾瀬をベッドに運んだ時点で俺の疲れはピークに達していた。だからシャワーを浴びたり歯を磨いたりするのを怠ってしまったのだ。そして同じことに綾瀬も気が付いていたのか、何気に自分の匂いを気にするしぐさを見せていた。まあ、一応あんなんでも女だし、気にして早く家を後にしたかったのだろう。



「わかりました。とりあえず、三十分ほどたったらまた来ます」


「うん、ごめんね」


「本当ですよ、もう」



 楓ちゃんはぶつぶつと文句を言いながら部屋を出ていった。怒らせてしまった原因は間違いなく俺なのだろうが、あんな風に拗ねている楓ちゃんを見るのもちょっと新鮮だ。というか可愛い。



「とにかく、とっととシャワーを浴びてこよ」



 俺だってもう大学生だし身だしなみには気を付けたい。というか先ほどの綾瀬や楓ちゃんに自分の匂いが嗅がれていたと思うと迂闊だったと感じる。もしかしたら言わなかっただけで内心臭いと思われたかもしれない。



「はぁ……なんで俺がこんな……いやどう考えても綾瀬のせいだな」



 ——ピロン♪



 綾瀬のことを呪っておくか真剣に考えていた時に、テーブルに置いておいたスマホから通知音が鳴る。風呂に入る前に確認しておこうとすると、先ほど家を出ていった綾瀬からのメッセージだった。



「なんだ、忘れ物か?」



 そう思いつつメッセージアプリのトーク画面を開く。すると



『そういえばさっき言い忘れてたけど、来週の土曜日は開けておいてね。今日泊めてくれたお礼に、特別なプレゼントをしてあげるよ』



 これまたなんとも一方的なお願いだ。来週の土曜日はたしかシフトに入ってなかったので生憎大丈夫なのがムカつく。とりあえず不本意ながら行けると連絡しようと思った時に、再び綾瀬からメッセージの着信。



「しかも、綾瀬からのプレゼント?」



 なぜだろう、どう転んでも不安的要素を拭うことができないのは。しかも厄介ごとをプレゼントされる可能性だって十分あるため、出来れば遠慮願いたい。

 とりあえず、次の土曜日は予定があると断って……



『もし無理だったら冨樫くんが後悔することになるからそこんとこよろしく♡』



 そんな俺の心中を読んでか、これまた意地の悪いメッセージを飛ばしてきた綾瀬。断るのは簡単だが、その先に何が待ち受けているかわからない。一体綾瀬は、何を企んでいるのだろうか。



「……」



 これ以上余計なことを考えていても楓ちゃんとのお出掛けに支障をきたすと思ったので特に返信もせずにスマホを裏返して風呂場へと向かった。



「なんかもう、別れたい」



 一見すれば女に飽きたクズ男のような発言だが切実にそんなことを風呂場でぼそりと呟いてしまう俺なのであった。

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