第44話 女の語らい


 奏真が気だるげにシャワーを浴びていた頃、アパートから少し離れた住宅街にて。

 その一帯は地価も高く比較的裕福な人が集う住宅地区となっており、その一角にそびえる立派な部屋の一室で、ベッドの上で上半身を起こしスマホを耳に当てていた少女がいた。



『という訳なんだけど、どう思う雲母ちゃん!?』


「……眠い」



 友人からの電話にそう切り返す雲母。夏休みということもありいつもより夜更かしをして長時間惰眠をむさぼるという日々を過ごしていた彼女のもとに楓から着信が届いた。彼女から電話がかかってくることは珍しかったので無理やり意識を覚醒させて話を聞いていたのだが、朝からよくわからない状況を説明されてすっかり眠気が戻ってきた。



『眠いって、もう朝の十時だよ? 夏休みだからってさすがにだらけすぎじゃない?』


「逆に楓っちは真面目すぎなの。ふわぁっ、ねむっ」


『ちょっと真面目に聞いてよ。奏真くんが変な人に付きまとわれてるんだよ?』


「だとしたら、私や楓っちじゃ文句言えないって」


『それどういう意味!?』



 楓からしてみれば綾瀬の存在は自身を酷く焦らせるせるものに違いなかったが、雲母にしてみればそこまで危惧するべき事態ではなかった。



(楓っちが言ってる変な人って聞いた限り綾瀬さんのことだし、ちょっと怖いけどあの人なら大丈夫かな?)



 以前彼女と奏真を見た時、お互いの間に恋愛感情というものは一切垣間見えなかった。それに奏真が下心を持って部屋に女を連れ込むタイプではないと一年間の付き合いで分かっているので、きっと何か特殊な状況だったのだろうと雲母は推測する。朝チュンの部分は気になるが、きっとお互いに何もなかったのだろうと雲母は信じていた。


 となると、どうやらそこまで大袈裟な話でもなさそうだったので、雲母はそのまま体を倒し再びベッドの上で横になる。



「というか、あたしにとっては楓っちがセンセと出かけに行く約束をしていた方が気になるんだけど? あれ、なんで誘ってくれないの?」


『いや、どうして雲母ちゃんを誘うの?』


「……ずる過ぎじゃない?」


『お隣さんの特権だもん』



 駄々っ子のような口調になる楓のことを悔しいけど可愛いと思ってしまう雲母。普段真面目に過ごしている彼女だからこそ、こんな風に奏真が絡んだ時の無邪気な感じなギャップが物凄いのだ。


 しかし、雲母は今の楓との会話で無視してはいけないフレーズが紛れていたことに気づく。



「……ちょっと待って。え、今なんて言った?」


『え? いやだから、特権って……』


「ううん、その前」


『えっと、お隣さ……ぁ』


「か~え~で~っちぃ~!?」



 体を横にしてもう一度眠ろうしていていた雲母だが、衝撃の事実が楓からポロっと漏らされ眠気が一瞬にして吹き飛んでしまった。



「ちょっと待ってよ。家事をしに行ったりするとか通い妻みたいなことしてるって聞いてたからある程度家は近いんだろうなって思ってたけどさ、えっ、お隣さん?」


『……えっと、その……』


「楓っちってアパートに暮らしてるって言ってたよね。つまり、そういうことなんだ」


『……はい』



 気が付けばベッドの上でこぶしを握りワナワナとさせ唇を尖らせてしまった雲母。楓のことは友達だし綾瀬みたいに余計な嫉妬や感情を抱くのはよそうと思っていたところだったが、さっそくその誓いが泥のように崩れていく。



『で、でも、それは偶然だし仕方なかったんだよ。それに、奏真くんしれっと女の人連れ込むし、だから私も出来る限り一緒にいたいなーって、その、思っちゃって……』


「可愛いのか怖いのかどちらとも取れる微妙な発言だね」



 もしかしたら楓にはヤンデレの素質があるのかもしれない。よく優しい人は怒ったとき怖いと聞くし、間違いなく楓はそういうタイプだろう。これ以上彼女に余計なストレスがかからなければいいのだが。



(でも、楓っちには悪いけどこれってチャンスかも)



 楓は綾瀬のことについてまだ詳しくは知らない。対する雲母は奏真に綾瀬のことについて色々聞かせてもらっているし、以前のデートで少しだが綾瀬と話を躱した。その結果あの二人の間に何もないと分かったからこそこの話を聞いていて安心できるのだ。だが楓はいまだにあの二人がどんな関係性なのかわかっていない。それならば、悩むだけ悩んでもらおう。そうしてグズグズしている間に私が……



「とりあえず楓っちは今後もその人に注意した方がいいと思う。センセに変な虫がつかないようにしないとね」


『そっ、そうだよね。気を付けておくよ!』



 はい、上手く綾瀬さんに意識を誘導することに成功しましたー。



「それはそうと、あの人そんなにセンセの家に行ってるの? そうなるとちょっと……むぅ」



 楓は先ほど奏真がしれっと女の人を連れ込んでいると言っていた。つまり奏真の部屋に女がいるというシチュエーションに楓が数回出くわしているということになる。あの二人の関係性は正直わからないが、やはりあたしもちょっとくらい警戒を……



『あの人は初めて見たかな。私がいつも見てるのは宮子さんだし』


「ああ………………ミヤコさん?」



 なんだろう。あたしにとっては初登場の人名が聞こえて来た気がする。えっと、さっきまで話していた女の人が綾瀬さんで、いつもやって来るのが宮子さん? え、ダレソレアタシシラナイ。



「ねぇ、誰それ?」


『えっと、奏真くんとすごく仲の良いお友達……なんだと思う』


「え、何でハッキリしないの?」


『うーん、私もその辺がよくわからないんだよね。仲が良いのは間違いないんだけど』



 つまり、よく関係性の分からない謎の女の登場ということか。普通こういう時新しい女の登場に「燃えて来たー」とか言った方がいいのだろうが、さすがのあたしもセンセの女関係に飽きれて何も言えなくなってきた。



「その宮子さんって人さ、可愛いの?」


『えっ、うん。とっても美人だし雲母ちゃんと同じくらい可愛いよ』


「ふーん、そうなんだ」



 自分の可愛さに自信がある雲母だったが、友人から第三者と同列に扱われると色々と複雑な気持ちになる。でも、それくらい向こうも可愛い人っていうことだ。センセ、女っ気がないと思ってたら何気にヤバすぎじゃない?



『あっ、ごめん。奏真くんお風呂から上がったみたい。とりあえずそろそろ準備するから切るね。相手してくれてありがとうね雲母ちゃん』


「いいけど、なんでセンセがお風呂あがったとかわかるわけ?」


『このアパート、部屋の壁が結構薄いから』



 つまり生活音が隣にだだ漏れであると。なんというか、つくづく楓っちのことが羨ましい。だがそんなことで文句を言っても立場が変わるわけもないのでここはぐっと堪えておく。



『それじゃあ、またね』


「うん。またね」



 そう言って楓は電話を切った。私はそのまま電話をベッドの上に放り投げ、そのまま上半身を倒れこませるようにベッドの上に寝転がった。電話が終わったらもうひと眠りしようかと思っていたのだが、すっかり目が覚めてしまった。



「はぁー、そういえば夏祭りの時からずっとセンセに会ってないなぁ」



 とはいえ夏期講習を入れるほど学力に切羽詰まっているわけでもないのでこの時期は必然的に二人は会えなくなってしまうのだ。どこか遊びに誘おうにも二人はあくまで講師と教え子と言う関係性。よってこういう個人的な連絡をするのは今まで控えていたのだが。



「楓っちと一緒におでかけするなら、あたしとだって一回くらいデートみたいなことしてくれたっていいよね」



 そう呟いて今度奏真のことをお出掛けに誘おうと心に決めた雲母なのであった。










——あとがき——

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