第42話 一夜明けて
「だから私は……なんだよ?」
「……すやぁ」
「ちょ、ここで寝るのぉ!?」
お酒を飲んでいたことでなんとなく予期していた事態だったが、こんな都合のいいタイミングで寝落ちするとは思っていなかった。卓上に突っ伏して寝る彼女の姿は、いつもの憎たらしいニヤニヤ顔ではなく無垢な子供のようだ。
「うーん……」
綾瀬に毛布を掛けつつ、彼女の言葉の続きを自分なりに考えてみる。だから私は……私は……
「俺と付き合うことにした?」
文脈的には間違っていないような気もするが、しっくりとこない。つまり俺と付き合うのは目的を成すための手段に過ぎないのだろう。その目的とは、すなわち『愛』というものが存在するということの証明。
「というかこいつのプライベート、何気に初めて知った」
俺にとっては教室の隅っこで静かに本を読んでいた物静かな子。だが、まさか裏では教会に通って子供に読み聞かせをしたりする慈愛の心を持っていたとは。少しでいいから、その優しさだけは今も引き継いでいてほしかった。
「あの性格って、無理やり自分を強く見せるための演技だったりするのか?」
それにしては堂に入っていたが。俺は綾瀬が大学デビューを飾るためにあんなとんでもない性格に一変したのだと思っていたが、性格そのものが高校生活を通して変わっていたのかもしれない。そして、彼女にそのきっかけを与えたのが……
「俺と、宮子」
というかまさかそんな噂になっていたとは思っていなかった。確かに俺と宮子は一時期ギクシャクしていたが、決して仲違いをしたわけでもなければどちらかが一方的に嫌っているわけでもない。むしろ、綾瀬言うところの『愛』を悪意によって引き裂かれた被害者という立場。
「でも、こいつにとってはそれでよかったのかもな」
もし俺と宮子が距離を置かなければ、綾瀬は両親の都合のいいように使われていた可能性があるらしい。宗教二世がどれほど親と宗教に支配されているのかはわからないが、そういうリスクから引き離せただけでもこいつにとってはよかったのかもしれない。まぁ、俺と宮子にとっては皮肉極まりないが。
だが、ということになると……
「まさかこいつ、宮子に何かちょっかいかけてないだろうな?」
俺はすっかり眠りこけている綾瀬をジト目で睨む。そういえば今日の昼に会った宮子の様子がおかしかったことに何か意図的なものを感じてしまう。もしかしてこいつが裏で宮子に何か嫌がらせ紛いの過去に関する掘り返しをされていたのかもしれない。
「……給料入ったら、宮子に何かスイーツでも奢ってやるか」
とはいえ綾瀬のことが知れただけでも家に招いた甲斐があった。しかし、机の上に突っ伏して眠られていても困る。とりあえず朝起きて体が痛いと文句を言われそうなのでここは大人しくベッドを貸してやった方がいいだろう。今更家を追い出してもどこか道端で倒れて眠りそうだし。
「というか、さすがに無防備すぎるだろ」
どこからどう見てもべろべろに酔っている綾瀬。相手が俺だからまだよかったが、イキってる大学生の集団だったら普通に危ない事案だ。こんな時間によく一人で俺の家に上がり込んできたな。
俺には宮子がいるから私には手を出してこないだろう……と、綾瀬はそんなことを考えてこんな夜に男である俺の家に大胆にも転がり込んだのかもしれない。本命の女の子がいるのにまさか脇道にそれたりはしないだろうとか。
だとしたら……正解だ。
「ほら、肩貸せ」
「んんっ、うっしゃぃ」
そう文句を言う綾瀬だが意識が本格的に覚醒することはなく素直に俺の体に寄りかかってくれた。酒臭いかなと思いきや髪の毛からちょっといい匂いが香るあたり、そういえばこいつは大学で一番かわいいと言われている女子だということを思い出す。まあ、俺にとってはどうでもいいけど。うん、気になってない、たぶん、はい。
そんな言い訳をしながら俺は綾瀬をベッドの上に転がした。とりあえず、今晩はこれで過ごしてもらうことになるが、俺は何処で眠ろう。
「床しかないじゃん」
フローリングで固いことこの上ないが、家を出るわけにもいかないし同じベッドで寝るわけにもいかない。というか綾瀬が飲んでいたお酒の缶から漂うアルコールの匂いが滅茶苦茶臭え。
「片付けは、明日でいいや」
というか起きた綾瀬に全部やってもらおう。綾瀬が一晩の恩義を感じてくれる奴だと信じベッドから枕だけを取り出して俺は床に横になる。明日は塾の予定は入っていないがそれとは別件で用事がある。もう深夜の三時近いが、できるだけ早く起きなければならない。
「……はぁ」
なぜか溜息が漏れてしまう。きっと綾瀬は酔っぱらっているから先ほどの過去を話してくれたのだろう。つまり、疲れ切って油断していたのだ。もし綾瀬が今の俺との会話を覚えていたら、もしかしたらさらに変な関係を迫るようエスカレートしてくるかもしれない。今日、初めてあいつの心の一部を知った。だからこそ、わかる。
綾瀬乃愛は、それほどまでに振り切れている。
「頼むから、宮子だけには……」
なにも酷いことはしてくれるなよ? そう呟きながら俺は目を閉じる。本来なら風呂に入ったり歯を磨いたりするところだが、そんなことがどうでもよくなってしまうくらいには俺も疲れていた。だから、意識を失う間際にそう願った。
——翌朝——
「……あれ」
ふと、目を開けると知らない天井が私の目の前に飛び込んできた。そして自宅のものとは感触が違うベッドと毛布。そしてそれを目に入れた途端に鈍い頭痛が私を不規則に襲う。あっ、二日酔いだ。
「……ちょーしに乗りすぎちったかなぁ」
昨日の夜の記憶をゆっくりと掘り起こす。たしか冨樫くんに無理やり絡んでそのまま家に上がり込み、そして勝手に一人飲み会を開催して……ここまで聞くと、とても花の女子大生には思えない。
そして、その後は……その後は……
「えっと……ああ」
そうだ、話してしまったんだ。私が胸に抱えている闇の側面。これから成そうと思っていることはまだ話していないが、それでも色々と勘繰られているかもしれない。
「……予想通り、何もされてないみたいだね」
自分の服や髪を見たり触ったりするが、乱暴なことをされた形跡はない。無理やり脱がされた形跡もなければ不自然な痛みが体に走ることもない。冨樫くんの性格は知っているが、それでも信頼できるほどの関係性ではないため意識を失う直前に少しだけ怖くなったのだ。だが、想定通り何もされていないようで安心する。
「……冨樫くんは?」
スマホの時計は午前九時。今は大学が夏休みだが、授業を入れている場合は一限が始まっている時間だ。そんな時間に、冨樫くんは……
「……」
寝てた。床に枕を引いて泥のように眠っている。確か私と会う前にバイトをしていたと言っていたし、一気に疲れが襲ってきたのだろう。
「寝顔を隠し撮りして、桐谷さんに送ってあげようかな」
そう思ってスマホを手にしたがよくよく考えれば彼女の連絡先を知らないため無意味に終わると気づきそっとスマホから手を離す。とりあえず、冨樫くんを起こすべきか……
「うーん、そしたら部屋の片づけとかさせられそうだしなぁ」
テーブルの上を見てみると、昨日私が飲んでいたお酒の空き缶や冨樫くんが食べていた弁当の残骸など、色々なものが散らかっている。宿代と言われればそれまでだが、冨樫くんが寝ているんだしこのまま家を出てしまおうか。
「よし、そうと決まれば荷物をまとめて……」
「起きてるわ、ボケ」
「……タイミングのいい男は、嫌いだよ」
そう言って誤魔化そうとすれば、私が物音を立てたせいか冨樫くんはむくりと体を起こして伸びをする。床で寝ていたせいで体がカチコチになっているようだ。
「お前さ、よくこんな人の家で堂々と過ごしたもんだよな」
「まあ、私も帰るのが面倒になるくらいには疲れていたし?」
「お前の家、どれくらい遠いんだ?」
「駅から徒歩数分」
「めちゃくちゃ近いじゃねぇか」
まあ、あの場で冨樫くんを見つけなければ普通にナンパ男たちをあしらって帰宅していた。けど、冨樫くんが通り過ぎていくのを見て少しだけ衝動に駆られた。きっと、昨日両親に会って来たせいだろう。早く、『愛』というものを証明しなければいけないと焦ってしまった。
「ねぇ、私もさすがに鬼じゃないからさ。ほら、冨樫くんは昨日お弁当を食べていたじゃん? それくらいはちゃんと片付けてよ。私は私が飲み食いした分を片すから」
「お前、さっき何気に帰ろうとしてたよな?」
「アハ、きっと気のせいだよ~」
そう誤魔化しながら私はお酒の勘などを水道を借りて一度すすぎ、あとでこのアパートのゴミ捨て場に持っていくことにした。冨樫くんによると、このアパートは缶などをかごに入れて週一回まとめて回収するらしい。持ち帰ろと言われたらさすがに面倒くさくなって放置していたところだ。
そうして私がリビングに戻ると、冨樫くんは「あっ」と声を漏らして何やら焦っていた。
「って、ヤバ! 今何時だ!?」
「えっと、朝の七時」
「嘘つけ! もう九時半だろうが!」
からかおうと思ったが失敗したらしい。それよりも、昨日遅くまで働いていたのに朝からまた何か予定を入れているのだろうか? ちょっと気になったので私は冨樫くんに尋ねてみる。
「もしかして、何か予定入ってるの?」
「まあな。ちょっと知り合いと一緒に買い物に行く約束をしてるんだ」
「へぇ。ねぇねぇ、もしかしてその相手って……」
桐谷さん? そう言おうとしたのと同時に、この家の鍵がガチャリと開いた音がした。そしてそれと同時に扉が開き、誰かが入って来る気配がする。
「え?」
さすがの私も硬直し、すかさず振り返る。この部屋の住民である冨樫くんはここにいるし、彼の両親は縁を切っているためここに来ることはない。もしかして、不審者が入ってきた? そう思って顔をこわばらせたのだが……
「奏真くん? もうすぐ約束の時間ですけどもしかして寝てますか? お疲れで眠いのなら、お買い物は午後からで、も……え?」
入ってきたのは、可愛らしい黒髪の女の子だった。
——あとがき——
綾瀬と楓、遭遇!
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