第49話 大学生の夏休み④
「あの乃愛の顔、絶対なんか企んでるよ」
バーベキュー用の炭を取りに行く俺たちだったが、綾瀬から十分に距離を取った途端に朝比奈は俺にだけ聞こえる声でそう言った。どうやら今回のグランピングで朝比奈は綾瀬に対して色々と思うところがあるらしい。
「そういえば朝比奈は俺が来るのを知ってたよな。なら、宮子のことは?」
「何も聞かれてなかった。そもそも、男の子一人だけっていうのも堅苦しい思いをさせちゃうんじゃないって、ちゃんと乃愛に言ったんだよ私」
そしてその意見に返ってきた綾瀬の言葉は
『え、楽しそうじゃん。気にしなくていいよ』
本当に人の気持ちを考えない女である。
「でも、どうして宮子ちゃんのことを誘ったんだろ。乃愛と普段大学で一緒にいるけど、宮子ちゃんと話してるところ見たことないよ?」
「お前の目から見て、二人の仲はどうだった?」
「うーん、今のところ普通に友達って感じかな。宮子ちゃんがちょっと乃愛に振り回されてるような気はするけど」
朝比奈の目から見ても、宮子は綾瀬に対してどこか及び腰になっているようだ。仲良くしてほしいという訳ではないが、変な火種が生じるのは俺としても気まずくなりそうな予感がするのでできれば避けたい。それに何より、全てが綾瀬の思い通りに行くのは癪に障る。
「そういえば、冨樫くんは宮子ちゃんと仲いいんだね」
「いや、別にそんなんじゃ……」
「だって宮子ちゃん、冨樫くんの近くにいるときすごく安心してたもん。ほら、子猫みたいに」
まぁ、その感想は分からないわけでもない。今は気軽にそんなことできなくなったが、昔はあいつが近くにいると無意識にその頭に手が伸びて気の済むまでナデナデしていた。そしてその時の宮子の蕩けたような顔がすごく可愛かったなぁ。
「冨樫くん、何か気持ち悪い顔してるよ?」
「……見なかったことにしてくれ」
「? まぁ、いいけど?」
だが、そんな宮子を安心させるためにも綾瀬のことをどうにかしなければ。今は仕方ないとはいえ、これ以上あいつらを二人きりにしたくない。さて、一緒にいるのは当然としてその他はどうすればいいか……
「もし乃愛に一泡吹かせたいなら、いいアイディアがあるけど?」
そんなことを考えていると、なんと朝比奈が俺に救いの手を差し伸べるように今必要とする言葉を投げかけてくれた。
だが、朝比奈にとって綾瀬は大切な友達だ。そんな彼女を売るようなことをさせてもいいものかと悩む。
「冨樫くんは気がついていないかもしれないけどね、君と一緒にいるときの乃愛ちょっと楽しそうなんだよね。ちょっと前までは世の中つまんないとかちょっと痛いこと言うような子だったし」
「い、意外と辛辣だな」
「まぁ、さすがに調子に乗りすぎだからね。ここはちょっと乃愛のことをからかうついでにお灸を添えるって名目で、冨樫くんに簡単な方法を教えてあげようと思ってさ」
そうして朝比奈は、今言った通り酷く簡単な方法を俺に提案してきた。必要なのはタイミングと勇気。しかし疑問が残る。本当にあの綾瀬がこれで思った通りの反応を示すのだろうか?
だが、俺としてもちょっと気になるしやってみようと決意した。
そうして炭を調達して施設に戻った俺たちを出迎えたのは、なぜか椅子に座って野良猫と戯れている宮子と、ちょっと疲れている様子の綾瀬だった。どうやら俺の懸念は当たったらしい。
「桐谷さんがあんなにお料理できないなんて、聞いてないんだけど?」
「まぁ、人には得意不得意があるんだ。責めてくれるな」
「面倒くさかったよぉー、うわーん! ここから全部の作業をやれー」
そうは言いつつも綾瀬はほとんど野菜の仕込みを終えていたようだ。この時間で終わるということは、案外綾瀬は料理が上手いのかもしれない。そういえば一人暮らしをしていると言っていたし、きっと宮子と違って大学生らしく自炊をしているのだろう。
「ほら、冨樫くん冨樫くん」
そんな俺たちの様子を見て脇腹を小突いて来る朝比奈。どうやら今言ってみろと言いたいようだ。さすがにいきなりだったのでちょっとだけドキリとしてしまうが、とりあえず宮子が野良猫に夢中になっているのを見て仕掛ける。
「なぁ乃愛、あと残ってるのは何だ?」
「えっと、野菜は一通り終わったからあとは火おこしをしてもら……んん?」
割と自然体で切り出してみたが、さすがに違和感を消化できなかったのか綾瀬はすぐに顔を上げて俺の方を目を見開いて確認する。
「今、乃愛って……」
「まぁ、俺たちの付き合いもそこそこ長くなったし、そう呼んでみることにした」
「……美月の差し金?」
「さあな」
「あは、嘘つくのへたくそだぞ☆」
そう言って俺の脇腹を執拗にわきでぐりぐりと小突いて来る綾瀬。どうやらお気に召さなかったようだ。だが一瞬だけ呆けた顔が面白かったので、しばらくは下の名前で呼んでみることにしよう。それに、こいつとも決して短い付き合いではないためかこの呼び方は俺としてもすっと胸に落ちる。
「それなら私も、奏真って呼んだ方がいいのかな?」
「いきなり呼び捨てかよ」
「あは、よくよく考えれば冨樫くんに敬称はいらないかなって」
「失礼極まりない距離の詰め方だな」
からかいのつもりだったのかもしれないが、よりにもよってこいつに下の名前を呼び捨てで呼ばれると色々な意味でドキドキしてしまう。そんな俺の様子を見た朝比奈も少し計算が違ったかのような顔をしていた。どうやら綾瀬の適応力を侮っていたのかもしれない。
「美月は今日のバーベキューでピーマン担当ねー」
「ちょ、それは色々と酷くない!?」
「なんか、二人きりで冨樫くんに色々と余計なことを喋ってたみたいだし~」
「べ、別に変なことは言ってない……よ?」
「うーん、可愛いから許す」
怒られるかもしれないと身を震わせる朝比奈だったが、以外にも綾瀬はあっさりと許していた。そういえば、この二人が友達ということは知っているがそれ以上のことは何も知らない。元陰キャで色々と複雑な過去を抱えている綾瀬は、どうやって朝比奈なんかと仲良くなったのだろう?
「……やっぱり綾瀬さんと仲いいじゃん」
「うおっ!?」
ぬるっと、いつの間にか俺の横に立っていた宮子。どうやら今の一連の流れをすべて見ていたようだ。野良猫と触れ合っていると思って完全に油断していた。
「仲が良いというより、お互いの呼び方をぶっきらぼうにしただけだ」
「それは仲が良いからじゃないの?」
「お前だって、高校の時嫌いな先生のことを言うとき呼び捨てにしてただろ? それと同じだ」
「それとは……違うじゃん」
そう言ってまたもやそっぽを向く宮子。そしてそんな俺たちの様子を見ていつものようにニヤつく綾瀬。どうやらこの状況を面白がっているらしい。俺は宮子の機嫌を逸らすという意味も兼ねて、小声で宮子に尋ねた。
「そういえば、さっき綾瀬と二人きりになってけど、変なこととか言われてないか?」
「……別に、なにも言われてない」
「そうか」
「でも、キッチンを出禁にされた」
「それはお前が悪い」
楓ちゃんのお世話になっている俺が言うのも何だがいい加減宮子も一人暮らしをしているのだからちゃんとした料理くらいできるようになってほしい。聞けばずっとスーパーやコンビニの総菜で凌いでいるというので、金銭的にはかなりキツイと思うのだが。
「ほら、早くお肉食べたいから早く火を起こしてね。な~お」
そして向こうも朝比奈と話し終えたのか早くバーベキューの準備を始めろと急かしてくる。俺も火おこしは初めてなのでとりあえず宮子に手伝ってもらおう。こういうの、宮子なら得意そうだし。
「お肉、お肉♪」
そしてそんな宮子は一瞬にして食欲に支配されていた。相変わらず可愛い奴だ。
綾瀬とのことももちろん決着を付けなければならないが、とりあえずこのグランピングで宮子の方ともお互いの距離感を改めてはっきりさせられればいいのだが……
そう思いながら、俺は準備に取り掛かるのだった。
——あとがき——
49話にして、ようやく下の名前を呼び合いました(笑)
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