第9話 雲母の優しさ


 何とか意地で雲母に授業を施した俺。だがやはり雲母に教えられる範囲は限られており、たった今某有名大学の赤本や問題集を四分の一ほど制覇したところだ。なおパーフェクトで補足説明の必要はなし。

 ちなみに雲母との授業では復習などはあまり行っていない。というのも本人曰く、一度覚えたことは絶対に忘れないという体質だとか。羨ましい限りだ。



「というか雲母、何かいつもよりソワソワしてないか?」


「はぁ? 別にそんなことないけど。センセが雲母のこと好きすぎてそういう風に映ってるだけだし」


「何だよそれ」



 そんなことを言っているがいつもより集中力が欠けている雲母。何度もペンで机をカッカッと叩いていたし、ペンを滑らせるスピードも心なしかいつもより早かった。それで計算ミスやケアレスミスをしないのはさすがだが、これまでの雲母と比べどこか違和感を感じたのには違いなかった。



「えっと、雲母がこの時間で終わりということは俺も終わりか。いつもより早いな」



 いつもはここからさらに一時間半ほど遅くまで勉強を続けるのだが今日は1コマ少なかったのでいつもより早めにアップとなる。俺は首の関節をコキコキ鳴らしなんとか今日の授業を乗り切ったことに達成感を覚える。とりあえず全国の大学の参考書に手を伸ばしていればしばらくは持ちそうだ。雲母が嫌がったらそれまでなのだが。



「ふーっ、そういや俺もそろそろテスト対策しねぇとな」



 雲母が高校生のように俺も大学生。それぞれ履修している授業で不定期にテストがある。それをパスしなければ単位がもらえないし留年だってあり得るのだ。それも高校と違って平常点がないため勉強こそがライフラインだ。授業もほとんど出席してきちんと聞いているし、あまり問題ないとは思うんだが……



「さてと、そろそろ帰……」


「あ、センセちょい待ち」



 塾を出て帰ろうとしたところで雲母が俺に待ったをかける。何か質問でもあるのかと思ったがこいつが質問などありえないとすぐに切り捨てる。それなら一体何だろうか?



「ちょっと今日も付き合ってよ」


「付き合えって、またどっか行くのか?」



 この前はドーナツ店に行ったがまたどこか行きたいのだろうか? だとしたら生憎と俺は今月の生活費がカツカツなので付き合ってやれない。なのですぐに断ろうとするが



「ダイジョブダイジョブ。お金はかかんないから」


「いや、ほんとどこに行こうとしてるんだよ」



 そう聞くが教えてくれる様子はないようだ。だが俺も予定より早くアップになったので付き合ってやることもやぶさかではない。それにこいつには聞きたいこともあったのだ。



(打倒綾瀬について、雲母から何か助言をもらえるかもしれない)



 先日のデートで俺の力不足が明らかになった。綾瀬のいいようにしてやられたとも言えるのだが、一度もあいつの照れた顔を見れていないのだ。せめて俺のことを彼氏と名乗らせている以上は照れ顔の一つでも見せてもらいたいと思っていた。しかし俺の程度などたかが知れている。

 しかし同じ女子である雲母なら綾瀬攻略の糸口を俺に与えてくれるかもしれない。だから素直について行くことに決めた。



(けど、どっちもお互いのことを好きじゃないっていうのは皮肉なもんだよな)



 割と必死になっている俺だが、別に綾瀬のことが好きではないというのが本心だ。確かにドキドキはさせられたがそれは急に接近された故のもので、綾瀬だからではなく異性だからという理由だ。恐らく綾瀬も俺の事なんて歯牙にもかけていないだろうに、なぜこんなことになっているのだろう。


 そんなことより、今俺がするべき行動は……



「いいぞ、付き合ってやるよ」


「ひゅー、センセなんか最近素直じゃん。ゆーしゅーゆーしゅー」



 そうして一緒に塾を出てビルの一階へと降りてくる俺たち。そうしてそのまま夜の街に繰り出すことになったのだが



「なぁ雲母。なんで俺の腕を掴んでくるんだよ」


「いいじゃん。ほら、イセーコーユーってやつ」


「なお悪いわ!」



 なぜかビルを出ると同時に俺の腕をがっしりホールドして引っ付いてきた雲母。傍から見ればパパ活である。いや、俺もまだ未成年だしそこまで老けていないのでギリギリカップルだと言い訳できるかもしれないが……



「おい、離れろって」


「もー照れないのセンセ。この程度でドキドキしてたら彼女なんて一生できな~いゾ☆」



 すいません、自称彼女とう厄介女ならつい最近できたんです……とは口が裂けても言えない俺。一応綾瀬に俺たちの関係性は伏せると言われているのだが、どこから情報が洩れるかわからない。万一大学の奴らにバレようものなら注目の的になることは必至。少なくとも穏やかな学生生活は遅れないだろう。



「というわけで、これからあたしと夜のデートに行こっ」


「夜の、デート?」



 卑猥な響きだが多分普通に歩き回って終わるだけだと信じたい。まだそこまで遅い時間帯ではないため飲食店などもちょうどピークだがそこに行く様子もない。一体どこへ向かおうというのだか。

 

 そうして半ば強引に腕を引っ張られ連れまわされる俺。この前綾瀬と一緒に来たラブホ街を尻目に、ぐんぐんと歩いていく。そうして塾から十数分歩いて俺たちがやってきたのは、誰もいなくなった静かな公園だった。

 すでに人の気配はなく、ブランコと滑り台と砂場のみという何とも小さな公園だ。こんなところにこんな公園があっただなんて知らなかった。



「何だよ、こんな所まで連れてきて」


「いや、なんかセンセ、いつもと様子が違かったからここで尋問して聞き出そうかなって」


「……っ」



 どうやら雲母は塾講師としての素質の事とは別に、俺の様子どこかがおかしいことに気が付いていたようだ。それを汲み取って誰もいない場所まで連れてきてくれたのだろうか。だとしたら驚きだ。


 そうして俺たちは隣り合ってブランコに座り、静まり返った公園のなかで話をする。



「様子が違うって、具体的にどう違うんだよ?」


「それ、認めてるも同義じゃん……えっとね、いつもより落ち着いた感じだったところと、最近になって付き合いが良くなったこと」


「付き合いって、今日含めてまだ二回だろ」


「それでもなんか変。センセ、なんかあったでしょ? それもあたしが予想するに……女?」



 核心をついてくるようなことをいつもと打って変わり真剣なまなざしで俺の顔を覗き込むように尋ねてくる雲母。こいつの頭の良さを知っているがゆえに、全てを見透かされてそうで怖い。



「その反応、やっぱ女なんだ」


「まぁ、そうとも言えるしそうとも言えないっていうか……」


「ふーん、否定しないってことはその、やっぱ、彼女ができたとか?」


「あー……マジでどう言えばいいんだろアレ……って、あれ?」



 そういえば、俺は綾瀬にこの関係性の口止めを釘づけられていた。だがそれはあくまで大学内や大学の学生に限った話で、完全に外部の人間である雲母には関係がない。

 もともとそれとなく聞き出そうとしていた俺だが、もしかしてすべてを話した上で相談してもいいのではないか。その結論に至ってしまった。いや、きちんと詳細まで言及しなかった綾瀬が悪い、うん。



 ということで……



「って、わけなんだよ」


「……なぁにそれ?」



 ここ数日であった綾瀬とのことを雲母にすべて話してみた。最初に彼女ができたと打ち明けた時は物凄く複雑な顔をしていた雲母だったが、詳細を語るにつれてどんどん顔が難しくなっていった。そりゃ、こんな奇妙な関係性を聞いたらこんな顔になるよな。



「えっとつまり、センセはその綾瀬さんって人に付きまとわれてるって解釈でオーケー?」


「いや、付きまとわれてるっていうかは利用されてるって感じかな」


「それ、都合のいい男扱いされてるだけなんじゃ……」



 どこか呆れたようにそう言ってしまう雲母。地味に俺のことを傷つけているのだろうが、相談している立場である以上文句は言えない。それに、雲母に話をすることができたことで少しだけ心が軽くなったのは事実だ。



「なぁ雲母。同じ女子として綾瀬が何考えてるかわかる?」


「えー、さすがにそれはキツイっつーか。うーん、まず真っ先に思い浮かぶのは男避けだけど、そんなことをする必要がない人なんでしょ?」


「ああ。あいつは男が自分に告白して玉砕するたびに笑みを浮かべて、フラれた感想をその場で本人に聞くような奴だからな」


「うっわ、きっつー」



 思わず苦虫を嚙み締めたような顔をする雲母。まあ綾瀬みたいな人格と性格をもつ奴は稀だからそういう顔をするのも不思議じゃないな。それでもあの大学で定期的に綾瀬の告白イベントが発生するのだからあいつの人気のほどが伺える。

 そうして雲母は考えに考え抜いた末に……



「やっぱ、都合のいい男だから?」


「時間をかけてたどり着いた結論が振り出しに戻ってるが?」



 そう言いつつもそれ以外の理由は俺にも思いつかないのでとやかく言うことができない。だが雲母は冗談だと言って誤魔化しつつ新たな可能性を模索する。



「うーん、だとするとセンセが他の有象無象と違って何かを持ってるってことなんじゃない?」


「何か?」


「あたしにもわからないけど、センセとその人は同じ高校なんでしょ? ならその当時でなにかあって、それが今になって尾を引いてるとか」



 そう言われて考えてみるが、俺と綾瀬は高校時代ほとんど話したことがない。それこそあいつは滅多に喋るような奴ではなかったし、俺が言えたことでもないが友達だって少なかった気がする。



 俺と綾瀬に高校時代の接点はない。それだけは断言できる。



「なら、やっぱお金……は、ないか」


「俺の財布事情を思い出させんなよ」



 こいつは俺が生活費に日々苦労していることを知っているのでその可能性はバッサリと切り捨てた。もう少しオブラートに包んでほしかったが事実なのでうなだれることしかできない。



「それで、肝心なことが聞けてなかったんだけど、センセはその……綾瀬ってひとのこと好きなの?」


「いや全く。むしろマイナスの域に踏み込んでいるといっても過言ではない」


「女の子相手に辛辣ぅー。でも、そっか……うん、そっか」



 俺の綾瀬に対する気持ちを聞いた雲母はどこか刺々しい雰囲気が消え、いつもの奔放さが戻ったように感じた。なんやかんやで、俺の身の回りで一番他人の感情に敏感なのは雲母なのかもしれない。彼女の優しさが、不安定だった俺の心を少しだけ楽にした。


 そうして俺たちはほんの少しだけ童心に帰り、滑り台を一回滑ってそのまま公園を後にするのだった。

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