第3話 塾の天才
いきなり綾瀬に連れていかれ慌てて戻ったのだが、そこにはすっかり拗ねてご機嫌斜めになってしまった宮子がいた。もしかして先に食堂に向かってしまったかと思っていたのだが、律儀に待っていてくれたようだ。
「……ソーマ、どこ行ってたの?」
「なんか、誘拐された」
「へぇ、この大学も随分治安が悪いね」
「そ、そうだろ? アハハ」
「フフフ」
そう言って笑みを浮かべる宮子だが、目は笑っておらず勝手にいなくなったのを普通に怒っている。そうして俺のことを待たずにひとりでにずかずかと食堂の方へ歩いていく。
「わ、悪かったって。デザートくらいなら奢ってやるから」
「じゃあパフェ」
「……高ぇ」
「は?」
「奢らせていただきます」
懐事情が厳しいが、ご機嫌を取るためにはやむを得ない出費だろう。綾瀬と言い宮子と言い、最近女の子のご機嫌を取ってばかりだ。昔はもう少し馴れ馴れしい感じだったのだが、この歳になるとそうもいかないらしい。
「誰と話してたの?」
「えっと、宇宙人みたいな奴」
「何それ、怪しい」
「途端にワクワクするなよ。みゃーこだって宇宙人みたいに神出鬼没なところがあるだろうが」
「私は気配を消してるだけ」
「わざとだったか」
よく姿を見かけたり、あるいはどこを探しても見つからないことがよくある宮子だが、どうやら故意だったらしい。今度大学のキャンパスを使ってかくれんぼ大会でも企画してみようか。案外この大学の学祭実行委員はそういうのが好きなので採用してくれるかもしれない。
そうして俺たちはいつもよりお高めの昼食を済ませ、大学の授業を乗り切るのだった。
予想外の出費の採算をどうつけるか。それはもちろんアルバイトである。もともと一人暮らしに加えて仕送りがないため、生活費は奨学金だけが頼みの綱だが当然それだけでは足りない。そんな事情があり大学に出ると同時に俺はバイトをせざるを得なかったのだが、できるだけ自給の高いところを選んでなんやかんや早一年が経過した。
そうして大学が終わってから夜遅くまで粉骨砕身しているのだが……
「ねぇセンセ、勉強飽きた」
「じゃあ次は古典でもやってみるか? 眠りそうになるくらい集中できるぞ」
「睡眠学習ってやつ? それならガッコーでいつもやってっからダイジョーブ」
そう言って机の上にぐでっと溶けるように顔を突っ伏す金髪少女。どうやら長時間問題を解いていたせいですっかり集中力が途切れてしまったようだ。
「ほら雲母、せっかくお金払ってもらってるんだからもう少しシャキッとしろ」
「でもセンセ、あたし別に特段勉強することないんだよね。テストだって近くないし」
そう言って俺にぶーたら文句を垂れるこの少女の名前は
(でも、さすがの俺も疲れたな)
そう、俺の仕事は塾の講師。何十人の前で行うものではなくマンツーマンで行う個人指導塾。少し廃れたビルの中にある小さな学習塾。外見とは打って変わり清潔感に溢れた教室だ。
生徒数の問題であまりシフトに入ることができないのだが、時給と待遇がいいことと塾長の人の良さから一年以上ここで講師を続けている。それに俺自身勉強が得意なため長続きしているし他人とコミュニケーションをする良い練習になるのだ。
「そういえば先日の全国模試の結果が届いてたぞ」
「あ、マジ? どんなだった?」
「一位。塾内どころか全国一位。現役時代の俺とは比べ物にならない」
「フフッ、あったり前じゃ~ん」
そう言って手鏡を見ながら櫛で髪を整える雲母。そう、こいつは紛れもない天才である。もちろん予習や復習などを怠らないなどの努力をしているが、一度やったことを絶対に忘れずに覚えている。通っている高校だってこの辺では一番偏差値が高いところで、俺が中学の時に挫折した高校だ。
若干身勝手な言動があるが、それはこの圧倒的な頭脳と成績のおかげで許されているのである。そして俺はこいつに専属的な形で勉強を教えているのだが……
「これ以上俺は何を教えればいいんだ?」
「センセがそれ言う? あたし、地味に楽しみにしてんだけど」
「いや、お前高校の範囲は去年全部終わらせただろ。これ以上は、そうだな……」
そう、去年俺が初めて担当することになったのがまさにこの雲母。そしてまだ高校一年生の春、塾講師としても新人である俺にこいつはこんなことを言って来たのだ。
『ねぇセンセ、あたし半年中に高校の範囲終わらしたい』
そうして雲母は毎日のように塾に通い俺と一緒に高校で習うありとあらゆる科目を予習した。もちろん大変だったが雲母の熱心さと茶目っ気ある正確に負け俺は根気強く付き合った。その結果半年と少しで高校の範囲を終了するに至ったのだ。それから数カ月は高校三年生でかなり専門的なものを一緒にやっていた。
まさか大学一年生で高校の倫理や情報をやるとは思っていなかった。他にも理科で物理や地学など、俺は選択科目でとっていなかったので一から学び直す必要があったし、今にして思えばこの一年よくやったものである。おかげで大学の哲学という授業では最高評定をもらえたが、それでも割に合わない。
「てかお前、なんで塾に通ってんだよ。必要ないだろ」
「だから、親が心配して無理やり通わせてんの。過保護だよねぇ、ちゃんと結果を出してるってのにさ」
確かにこれだけ頭がいいのにそれでもなお勉強時間をきちんと確保させようとしているあたり、かなり教育に熱心な親御さんなのかもしれない。面談をした塾長いわく、かなり厳格そうな母親だったらしい。
「そういえば、進路はもう決まったのか?」
「まだ何も決めてない。てゆーか考えてない」
「ま、俺も似たようなものだったから何も言わないけど」
俺が雲母くらいの時は勉強なんかそっちのけで遊びまわってた気がする。宮子と買い物行ったり、宮子とゲームしたり、宮子と映画行ったり……って、今にして思えば宮子とばっかり遊んでいた気がする。もう少し友達付き合いを広くした方が良かったなぁと今更ながらに後悔。
「それよりセンセ、この後一緒にドーナツ食べにいこーよ。新作のやつ気になってんだよねー」
「だーかーら、ダメだって言ってるだろーが」
「それくらいいいじゃんセンセのケチんぼ。別に不健全なことするわけじゃないし、純イセーコーユーだって。ノットふしだら」
このように、ここ最近金髪教え子からよく食事や買い物に誘われることが多くなってきた俺。さすがにマズイと思いずっと断り続けているのだが、塾長に相談したら……
『さすがに、そこまでは干渉しないよ?』
みたいなことを言われて遠回しにOKはされている。だが講師と教え子という俺の倫理観がそれを許さずいまだにずっと断り続けているのだ。しかし今日は綾瀬絡みで色々なことがあって脳が甘いものを欲しているのだ。それに現在7時頃でちょうど夕飯時。普通に小腹が空いている。
「はぁ、今回だけだぞ」
「もう、わかったって。じょーだんじょーだ……今なんて?」
「いや、行ってやってもいいぞ」
「……ドッペルゲンガー?」
「先生に対して失礼すぎるだろ」
かれこれ半年以上断り続けていた誘いに初めて乗ったくらいで動揺する雲母。誘っていたのはそっちだというのに、今までふざけて楽しんでいたのだろうか? それはそれで傷ついてしまうが……
「へ、へぇー、珍しいこともあるもんじゃん」
「なんでしきりに鏡を見て細かいとこ整えてんだよ。もう俺以外に誰も見ないだろ」
「そ、そーいうことじゃないけど! でも、そのまぁ……」
そんなたどたどしいことを言っている内に授業終了のチャイムが鳴り響いた。他の生徒や同僚の講師たちも脱力し僅かな休み時間が訪れる。ちなみに俺と雲母はこれで授業終了だ。
「センセー、それじゃ早くいこーよ」
「っておい、引っ張るな服が伸びるだろ」
「センセの服のセンス微妙だよね。今度あたしが選んだげる」
「余計なお世話だ」
ちなみにこの塾で働く講師は大学生が多く、大学帰りに直接来ている人が多いためほとんどが私服だ。生徒との見分けを付けるために首に名札のようなものを付けるのだが、雲母は俺の服がお気に召さなかったらしい。今度ファッションについて勉強しよう。
そうして俺は珍しく宮子以外の女子と一緒に並びながら歩き、雲母おすすめのドーナツ店へと向かうのだった。
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