第52話 宮子との夜


 気が付けばすっかり日も暮れてしまったグランピング施設。周りの客は夕方ごろにやってきたテンションの高い若者や家族連れが多く、今から夕食としてバーベキューを始めている頃合いだった。

 昼頃にがっつり肉を食べて腹を膨らませてしまった俺たちは再びバーベキューをする気概はさすがになく、ハウスの中に設置されている電話を通して受付にケータリングを頼むことにした。



「ふぅ……高ぇ」


「ソーマ、大丈夫そう?」


「ああ、ギリギリ帰りの交通費は残ってる」



 とはいえ明日からまた切り詰めた生活を送らなければならないだろう。銀行口座にはもう雀の涙ほどしかお金が残っていない。塾のバイト以外にも、なにか気軽に働けるバイトを模索してみるべきだろうか?



「というか、明日塾あるの忘れてたわ」



 まさか一泊するとは思っていなかったので、次の日はバッチリ塾でのアルバイトを入れてしまっている。これは急いで帰らなければ間に合わないだろう。そのためにも、この夜はしっかり身を休まなければ。



(思えば、宮子と同じ部屋で一夜を過ごすのは初めてかもな)



 以前はしれっと楓ちゃんの部屋に泊まっていたし、こういう風に二人きりで長い夜を過ごすのは出会ってから初めてかもしれない。そうすると少しだけドキリとしてしまうが、その感情をすぐに押さえつける。



 コンコン



「おっ、来たみたいだ」



 そうしてしばらく宮子と話していると頼んでいたケータリングを係の人が持ってきてくれた。俺たちが頼んだのはパエリアやムニエルなどが自慢の海鮮系のものだ。それぞれ別に頼んだのではなく、二人分があらかじめセットになっているものなので比較的値段もリーズナブルに済んだ。



「おおぉぉ」



 宮子は運ばれてきた料理に目を輝かせていた。お昼にあれだけ食べたはずなのに、相変わらず食欲が尽きないやつだと苦笑する。まぁ、俺も美味しそうに食事をする宮子を見るのは好きなので眼福だと思うことにしよう。



「ねぇソーマ、パエリアってどこの国の料理だっけ?」


「えっと……フランス料理?」


「たぶん違くない?」



 気になってスマホで調べてみるとスペイン料理の一つだということが分かった。海外で米を使った料理は比較的珍しいというイメージがあるが、どうやら稲作は日本だけの特権ではなかったらしい。



「というか俺に調べさせている間にしれっと大きなエビを自分の方に取り分けやがったな?」


「気のせい気のせい」


「ったく、食い意地の化身め」



 とは言うものの俺はまだ腹の中にお昼のバーベキューが残っているのでそこまで食欲があるわけでもない。ここは静かに宮子の方に多めに食材を取り分けてやるか。



「「……」」



 そうして俺たちは一心不乱にケータリングした料理を食べ進める。気まずいわけでもないのに俺たちは食事中ずっと無言だった。話す内容があまり思いつかないというのもあるが、なんとなくそんな気分だったのだ。そしてそれは、宮子も同じだったらしい。


 だが、さすがに静かすぎる空間に限界を感じたのか、宮子が急に話を切り出した。




「そういえば、ソーマ」


「……なんだよ」


「ソーマは綾瀬さんと付き合ってるの?」


「ぶふっ!?」



 予想外の質問に思わず食べていたムール貝を吐き出してしまいそうになった。俺が宮子の方を見ると彼女の目は真剣そのもので、目の前においしそうな食べ物があるというのにじぃっと俺の顔を見つめていた。



「どっ、どうしてそう思うんだよ?」


「お互いが下の名前を呼び出したら、もう色々と確定じゃない?」


「それは早計過ぎやしないか?」



 下の名前で呼び合う男女なんてちょっと見渡せばたくさんいるだろうに。だが宮子がそう思う理由はそれだけではないらしい。



「ソーマ、ここ最近で綾瀬さんとすごく仲良くなってる。それに綾瀬さんはなんか私に色々と煽ること言ってきてるし、『これ寝取り自慢されてる?』って思った」


「いや、寝取り自慢て」



 そういう誤解を生むような表現は頼むからやめてほしい。俺と宮子は唇こそ重ねたことがあるものの、身体を真の意味で重ねたことはない。というか、そんなことを言われると俺まで恥ずかしくなるので今が二人きりで良かった。



「ねぇ、どうなの?」


「あぁ……えーっと……」



 宮子に、乃愛との関係をすべて打ち明けるべきかと俺は悩む。宮子にこのことを話さなかったのは彼女が色々と気に病んでしまう可能性があると考慮したため。そもそも乃愛が俺に一方的に付きまとっているような現状なので、俺から歩み寄らなければいいだけの話だとそう思っていたのだ。だが、どうやら乃愛は宮子のことも巻き込みたいらしい。



「やっぱり、付き合ってるの?」



 そうして、俺は……



「半分、正解だ」



 そう、濁し誤魔化すようなことしか答えられなかった。



「ふーん、そうなんだ……ふーん」



 そうしてパエリアのエビをフォークでつつきだす宮子。どうやら宮子にとっては半分正解とかそういうのはどうでもよかったらしく、俺が否定しなかったことが真実だとそう受け取ったようだ。



「けど、俺が乃愛の事を好きでも何でもないっていうのが本心だ」


「……そんなの、わかんないじゃん」



 そう言って口を大きく開きエビを頬張る宮子。こんなことを想うのは男としてどうかと思うし不謹慎期回りないと思うが、もしかして拗ねてる?



「……」



 そうしてその後は再び無言の時間が訪れた。しかし先程と違うのは、気まずい雰囲気が俺たちのことを包み込んでしまったことだろう。こんな空気感は今まで宮子と過ごしていて感じたことがなかった。そしてそのせいもあってか、俺たちはケータリングをあっという間に完食してしまうのだった。














 そうしてしばらく経った頃、皿の回収に来た係の人にお礼を言って借りているハウスの戸締りを確認する。今夜はここで一泊するので、変な奴が入ってこないようにいつも以上に用心しなければ。

 先ほどまではバーベキューや飲み会などで多くの人たちが騒いでいたが、今では疎らな笑い声しか聞こえなくなり、俺たちも食後のコーヒーを飲んでゆったりとした時間を過ごしていた。先ほどの食事の時とは違いかろうじて会話はできている。



「ねぇソーマ、わたし先にシャワー浴びてくる」


「ああ、わかった」


「覗きたい?」


「とっとと行ってこい」



 そうして宮子がシャワーを浴びている間に俺は一度来ていた服を脱ぐ。今日はこの服で川遊び紛いのことをしてしまったのだ。さすがにこの服をこのまま明日も着るのは遠慮願いたい。そういう訳で俺はキッチンの部分を使って今のうちに服を簡単に洗濯することにした。



「宮子、そっちに石鹸があったら貸してくれー。服を洗濯したい」


「んっ」



 すると浴室から綺麗な手が伸びて来た。そしてその先に掴まれている石鹸を受け取ってシンクの中で泡立てる。洗濯用の洗剤がないため応急的な洗浄だ。とりあえず明日帰ったらちゃんとした洗剤で洗ってやることにしよう。



「よし、これで明日には乾くだろ」



 俺はエアコンの真下に自身の服を吊り下げた。常に風が当たり続けるのでさすがに明日の朝には乾いているはずだ。そして洗濯が終わったのと同じタイミングでツルツルした肌をさらけ出す宮子がシャワーから上がってきたので俺も入れ替わりでシャワーを浴びに浴室へと向かう。



「おお、結構綺麗だな」



 先ほどまで宮子が使っていたシャワールームはまるで高級ホテルのような煌びやかさがあり、思わず汚すのを躊躇ってしまうくらいには綺麗だった。



「というか、さっきまでここで宮子が体を洗ってたのか」



 そう考えるとちょっとドキドキしてしまうが、ちょっとだけだ。断じて変な想いを抱いたり、妄想して楽しんでみようだなんて思ってない、うん。



 そうしていつもより長めにシャワーのお湯に当たり、そのまま用意されてた寝巻に着替えてドライヤーで髪を乾かし宮子の元へと戻る。俺が戻ると宮子は備え付けられていたテレビをぼんやりと眺めていた。ちなみに宮子はTシャツを一枚着るという手抜き感半端ない格好をしていた。


 俺は宮子が見ているテレビをこっそりと覗き込む。どうやら今は動物の特集をやっているらしい。テーマは……ライオンとシマウマ、野生での友情???



(えっ、ちょっと気になるかも?)



 だが、さすがにもういい時間だ。明日の起床時間のことを考えれば今日はもうさっさと眠ってしまいたい。川遊びや火おこしで体はクタクタなのだ。それに、明日の塾のためにきちんと脳を休ませておきたい。



「宮子、俺先に寝るから」


「……わかった、おやすみ」


「ああ、おやすみ」



 そうして俺はふかふかのベッドの上で横になり布団の中でスマホをいじる。いくつか連絡が来ていたがとりあえず明日の朝に回すとして、ニュースやトレンドになっていることを確認し、明日の天気や電車の時間を見てそのまま瞼を閉じた……のだが。



 ゴソゴソ……



 端っこの方で聞こえる衣擦れ音で眠ろうとしていた意識が一気に現実に引き戻された。



「おい、宮子?」


「今日はこうやって眠りたい」


「いや、お前なぁ」



 あろうことか宮子は俺と同じベッドに潜り込んできた。既に眠る準備は万全らしく、彼女は俺の体に自身の体をベッタリと密着させてきた。しかもパジャマを着てるわけでもなく薄いTシャツ一枚を下着の上に着ているだけなので体のラインがバッチリとわかってしまう。



「……あったかい」


「あったかいというか、暑いだろ。夏だし」



 もう夏休みは折り返し地点を過ぎ去った。もう少しで大学の後期が始まり、嫌でも将来のことや単位のことを意識しなければならない。来年は就職活動で今年ほど自由な時間がないだろうし、ゆっくりと過ごせるのはこの夏が最後なのかもしれない。



「ソーマ、綾瀬さんと付き合ってるのに私と寝ていいの?」


「それ、お前が言うか?」



 しれっと俺のことを浮気者扱いしてくる宮子。まあ事実そうなのだがベッドに潜り込んできたのは俺ではなく宮子だし、身体を密着させてきているのも宮子だ。



「そういえば、一緒のベッドで昼寝することはあったけどこういう風に一晩を過ごすのは初めてだな俺たち」


「うん、そうかも」



 今も昔も宮子とは良くつるむ関係だが、ここまで長時間一緒にいたことはないかもしれない。ましてや、同じ空間で夜を明かすなんて出会ってから初めてだ。



「俺たちも、色々変わっちまったなぁ」


「だね」



 大学に入ってから一人暮らしを始め、嫌でも大人の仲間入りを果たしている俺たち。もう昔みたいに子供のようにはしゃいで遊び回ることなんてなくなった。あとちょっとで俺も宮子も成人を迎えるし、思い返してみれば感慨深くなってしまう。



「そういえばソーマ。から連絡が来てた。帰ってこないのって」


「……やっぱり、宮子のところに連絡をよこしてたか」


「……うん」



 宮子が口にしたのは俺の妹……冨樫蒼空とがしそらのことだ。



 俺には妹がおり、前まではそこそこ仲良くしていた。今年でちょうど高校二年生になっているので、楓ちゃんや雲母と同い年だ。ちなみに空があの二人と同じ高校でないということは事前にわかっているので知り合いということはないはずだ。



「いい加減ブロックしてもいいんだぞ。俺も、二度と関わるつもりはないし」


「……うん」



 ああ、きっと彼女はこう言っても蒼空のことを拒絶することができないだろう。あれだけの目に遭わされてもなお、良心がそれをいけないことだと縛り付けているのだ。こうなってしまえば、俺も下手に口を出すことはできない。彼女のその優しさが、一番の美点だと思っているから。



「……蒼空も、いい人を見つけられればいいのにね」


「無理だろ。あんな奴」



 彼女は優しい声色でそういうが、俺は冷たい声でそう言い切った。あんな奴に、まともな交際相手なんてできるはずがない。いるとしたらそれは、身を削るような奴だけだ。



「今年で高校二年生だし、ワンチャンあるんじゃない?」


「いや、ない。だってあいつそこら辺の男に微塵も興味を持ってないし」



 数年たったし変わるんじゃない? 宮子にはそう言われるが人の性格はそう簡単に変わるものではない。それに、あの娘が可愛くて仕方がない両親がいることだ。恋人を作ろうと思っても下手に作ることができないだろう。



「でも、蒼空も高校二年生……か」


「うん……懐かしいね」


「ああ、本当にそうだな」



 高校二年生。それは俺と宮子が出会った学年でもある。あの日、宮子と出会ってから俺の人生は色々と変わったのだ。良い意味でも、悪い意味でも。



「確か、あの頃は……」



 俺は眠気のことをすっかり忘れ、宮子と共に語りだす。


 あの頃の思い出を……










——あとがき——


ようやく過去編!

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