第15話 体で払ってくれ
買い物をスタートさせるなり、ジンは次々と商品をカゴに入れていった。
牛乳、卵、インスタントコーヒー、ミネラルウォーターなど。
タクミの場合、似たような商品が二つ以上あると、どっちがお得か調べたくなるが、ジンは迷うということを知らない。
「天野の歯ブラシは買ったが、歯磨き粉にこだわりはあるか? いつも使っているブランドがあれば教えてくれ」
「いや、歯磨き粉なら何でもいいです!」
ビール、酎ハイ、ハイボールの類もジンが勝手に選んでいく。
おつまみはスルメや煮干しといったヘルシーな品が中心だが、生ハムやチーズといった精がつきそうなメニューも忘れない。
「天野は何が欲しい?」
「え〜と……それじゃあ……」
ピザ味のポテトチップスが目についたので手を伸ばしてしまう。
恐る恐るといった感じで顔を向けると、
「いいな。俺もそのポテチは好きだ」
とカゴに入れる許可をくれた。
健康に良くないのは知っているが、欲しいものは欲しいのだ。
レジのところでジンは当然のようにカード払いした。
半分出します! とタクミは食い下がったが、
「出世払いでいい。天野の漫画がヒットしたら俺に酒を奢ってくれ」
とあっさり却下されてしまう。
ジンは何を考えているのだろうか。
将来、タクミが成功すると本気で信じているのだろうか。
マンションへ帰る時だって、
「天野はこっちを持ってくれ」
と軽い方の袋をタクミに押しつけてきた。
まるで恋人みたいと思いつつ、ポテトチップスが入った袋を受け取る。
「家で誰かとお酒を飲むなんて久しぶりだ」
エレベーターの行先階ボタンを押すジンからは幸せそうなオーラが溢れている。
「新田さんや紫音さんとは、時々飲みに行ったりするのですか?」
「二人とも一人暮らしじゃないからな。一緒に出張した時くらいしか飲まないな」
「やっぱり社長と飲むことが多いのですか?」
「あいつか……」
ジンの顔が急に険しくなる。
前から気になっていたが、ジンの社長に対する嫌悪感はどこから湧いてくるのだろう。
「すごく残念な話をすると、この一年、社長と一緒に酒を飲んだ回数がもっとも多いはずだ」
「仲良しじゃないですか。二人三脚ってやつでしょう」
「だから天野、お前がこの記録を塗り替えてくれ」
「えっ……俺ですか……」
本気なのか冗談なのか分からず、返答に詰まってしまう。
「天野は話をちゃんと聞いてくれるから一緒にいると楽しい。俺と社長が酒を飲んだら悲惨だぞ。二人とも聞くより話す方が好きだからな。綱引きみたいな現象が起こる。二人しかいないのに、話題も二個あるような状態だ。まあ、酒の席に限った話ではあるが」
そのシーンを想像してタクミは不覚にも笑ってしまった。
「まるでコメディ番組ですね」
「次に社長と飲む機会があったら、天野も同席してみるか?」
「連載が決まってからにしてください!」
ジンは軽く笑っているが、タクミの背中は冷や汗をかきっぱなしだ。
家に帰るなり、買ってきた品々をローテーブルの上に広げた。
牛乳や卵は冷蔵庫に入れて、さっそく晩酌スタートとなる。
「天野はここに座れ」
ソファをポンポンと叩かれる。
L字型ソファの長い方にジンが、短い方にタクミが腰かけた。
「今日もお疲れさま。乾杯だ」
「俺は大した働きをしていませんが」
缶ビールと缶ビールがこつんとぶつかる。
ジンを真似して、チーズに生ハムを巻いてから食べてみた。
想像を絶する美味しさだったので、うまっ! と叫んでしまう。
「これはお酒に合いますね!」
「美味しい物と美味しい物の足し算だからな。美味しいに決まっている」
ジンがビールを飲む時、喉仏が大きく上下して、今日何個目か分からない格好いいを見つけてしまう。
ジンはあっさり一缶を飲み切った。
自分用のグラスを持ってくると、ハイボールの缶をタクミに握らせる。
「お酌の仕方くらい知っているだろう。お願いしてもいいか」
「お安い御用です!」
ジンの命令に嬉々として従ってしまう。
「ありがとう。天野にお酌してもらったハイボールはうまいな」
そういう神室さんの口もうまいですよ、と心の中で返しておく。
「酔い潰れてしまう前に明日の話でもしておくか。今夜はうちに泊まっていくだろう。物置き部屋を貸してやる。布団一式がクローゼットに入っているから、それも貸してやる」
「そのようにしていただけると助かります」
「問題は来週とか来月の話だが……」
ジンは煮干しを口に含むと、ボリボリと音を鳴らして頬張った。
「俺でも借りられそうな物件ってありますかね?」
「あるぞ」
ダメ元で聞いたから、ジンの即答にびっくりする。
「俺の知り合いがアパートを経営している。漫画家志望や新人漫画家向けの寮だな。賃料が格安だ。一人一人ちゃんと部屋も分かれている。天野がそこに入りたいなら、俺が話をつけてみるが……」
「お願いできますか?」
「もちろん」
ジンはさっそく電話をかけ始めた。
かなり親しい仲らしく、最初の一分くらいは身の上話に興じている。
「お前が経営している寮なのだが……」
ふいにビジネスマンらしい口調に変わった。
「そうか。もう満室なのか。いや、大丈夫だ。忙しいところ邪魔したな」
落胆のため息を吐いたジンは、自分のおでこにスマホを押しつけた。
「すまん、天野。部屋が一杯らしい。出ていく予定の人もいるが、三ヶ月くらい先になるそうだ」
「いえ⁉︎ 謝らないでください! 問い合わせてもらえただけで感謝といいますか!」
「ダメだな、俺は。思ったほど天野の役に立てない」
「お願いですから自分を責めないでくださいよ!」
「そうだな……」
ジンが野生味あふれる目を向けてきた。
タクミの体温が一気に上がったのは、アルコールが回り始めた証拠だろうか。
「行く場所がないのなら、俺と一緒に住むか?」
「それはどういう意味でしょうか?」
「俺のマンションの部屋が一つ余っている。お前が本気で漫画家を続けるつもりなら貸してやる」
「ですが……しかし……払えるお家賃には限界がありますよ」
「家賃なんていらない。体で払ってくれ」
「体で⁉︎」
「家を掃除してくれたらいい。たまにでいいから、俺の酒の相手になってくれると嬉しい。それでどうだ?」
タクミの喉がごくりと鳴った。
美味しい。
美味しすぎる好条件だ。
家事に毎日二時間を費やすとして、それで生活のためのスペースが手に入る。
破格すぎやしないだろうか。
酔った上での約束は当てにならないというが……。
「急いで決めなくてもいいぞ。天野が漫画を描ける環境を整えるという約束だからな。あくまで選択肢の一つとして考えてくれ」
空のグラスを向けられたので、タクミは慌ててお酌する。
「俺だけ一方的に得しちゃう気もしますが……」
「まだそんな事を考えているのか。お前は一日でも早く再デビューすることに集中しろ。あまり俺を待たせるなよ」
ジンは満足そうな表情でハイボールを口に含んだ。
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