第25話 天才って何ですか?

 この人には死んでも勝てそうにない。

 白旗を上げたくなる描き手がBLレーベルには三名いた。


 画力、コマ割り、会話のセンス。

 あらゆる能力がタクミを上回っており、ライバルというよりはお手本と呼んだ方が正しい。


 三名の実力は横一線というわけじゃない。

『プリズン・デイズ』という作品を連載している『水無月みなづき』が頭一つ抜けている印象なのだ。


 どういう人物だろうか。

 絵の印象から察するに、まだ若くてタクミと同じ二十代という気がする。


『プリズン・デイズ』は非行少年を主人公にした作品だ。

 毒親に育てられた少年が、お金欲しさに強盗をやって、少年院にぶち込まれて、矯正プログラムを受ける中で、似たような境遇の男の子と出会う。


 少年院を出てから真面目に働くわけであるが、

『また犯罪に手を染めるかもしれない』

『自分も親のようなクズ人間になるかもしれない』

 という恐怖が常に付きまとう。


 不良品の自分を理解してくれるのは同じ犯罪者だけという結論に行き着く。


 社会そのものがでっかい刑務所。

 だから『プリズン・デイズ』。


 タクミの勝手な想像なのだが、理不尽をエンタメに昇華させられる人は、本当に優れた描き手だと思っている。

 ぶっちゃけ頭が良くないと無理だろう。


 純粋に難しいのだ。

 重いテーマで読者を惹きつけるのは、独特のテクニックが要求される。


 誰だって日々のストレスで疲れている。

 明るくて楽しくて理解しやすい話を読みたくなる。

 実際、そういった作品がセールスランキングを席巻している。


 でも、心の痛みを伴うストーリーが悲しいクラシック音楽みたいに人の傷を癒すこともある。


『プリズン・デイズ』という重いテーマの作品で人気を博している水無月には、同じクリエイターとして一目いちもくとはいわず二目でも三目でも置いている。


「おっと、お待たせ。途中で離席して申し訳ないね」


 ブース席に戻ってきた紫音がタクミのスマホを気にする。


「ああ、その作品……」

「はい、水無月さんの『プリズン・デイズ』です。毎回上手いなと思って読んでいます。たくさんのキャラクターが出てきますが、水無月さんは器用にストーリーを転がしていきますから。伏線の描き方だって秀逸です。一見すると世間話のような会話に、実は貴重なヒントが隠されていたり、よく出来た映像作品みたいに美しいのです」


 紫音は感心するように頷く。


「ふ〜ん、よく研究しているね」

「同じ漫画家ですから」


 作品のブックマーク数はタクミでもチェックできる。

『プリズン・デイズ』は圧倒的に多い、嫉妬する気も起こらないほどに。


「やはり水無月さんをスカウトしてきたのは紫音さんですか?」

「いやいや、私じゃなくて神室くんだよ。コミック・バイトを立ち上げる時に連れてきた。腕のいいBL漫画の描き手がいるってね」


 これは意外だ。

 ジンの名前を耳にしたせいで胸の内がざわつく。


「紫音さんの目から見ても、水無月さんは特別でしょうか?」

「まあね。こんな言い方したくないけれども、一人だけ別格という部分はあるよね。生まれつき才能を持っているんじゃないかってさ。今までたくさんの漫画家を見てきたけれども、水無月みたいなタイプは初めてかな」


 あいつは天才BL漫画家だよ、と紫音がいうのを、タクミは複雑な気持ちで受け取った。


「天野くんも一番を目指したいだろう。それ自体は否定しないけれども、水無月に勝とうとするのは考え直した方がいいかもしれない。私も最初、あいつの担当編集だったから分かる。バケモノというか天才の側の人間なんだよ」

「紫音さんが考える天才って何ですか?」

「天才の定義か……」


 紫音は言葉を探しつつ、ボールペンのお尻で机をトントンする。


「自分が描きたいように作品を描いていること。それが読者のニーズとぴったり一致していること。そんな芸当の持ち主は天才だと思っている」

「つまり水無月さんは読者ウケとか意識しないのですか? 一位に君臨しているのに?」

「そういうこと」


 誰だって描きたいテーマを持っている。

 でも、読者のニーズと乖離しているのが普通だろう。

 どうやったら画面の向こうの読者に受け入れるだろうか? という宿題と常に格闘しているのだ。


 そのために流行を研究する。

 時代遅れにならないよう常にアンテナを張り巡らせている。

 一線で活躍するプロでも変わらないだろう。


「水無月にはそれが無いんだ。本当に描きたいように描いている。そもそも読者ウケなんて概念がない。漫画で成功したいという欲すらない。漫画は遊びで、趣味の延長だと思っている」


 タクミの喉がごくりと鳴る。


「これが不思議なんだけれども、読者の胸に刺さるんだよね。それも派手に刺さる。だから水無月は天才なんだ」

「初めて水無月さんの作品を読んだ時、紫音さんはここまで大ヒットすると思いましたか?」

「まさか⁉︎」


 紫音は降参するように両手を上げる。


「絵は上手いけど、すぐに潰れると思ったよ。知っての通り暗いテーマだしね。しかも私のアドバイスを無視するんだ。あいつは。神室くんの紹介じゃなかったら、怒鳴りつけるところだったよ。でも、結果はご存知の通りさ。私の目は節穴で、正しいのは水無月だった。そういう背景があるから好き勝手やらせている。あいつには担当編集なんて必要ない。軽い屈辱だよ」

「ですか……」

「まあ、人としては普通に良い奴だよ。自分のポリシーを曲げないってだけで」


 すごいな。

 若いのに紫音のアドバイスを無視するなんて。


『水無月に勝とうとするのは考え直した方がいい』

 例の忠告が鉄球みたいにズシンと食い込んできた。

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