第26話 水無月という後ろ姿美人

「お? 噂をすれば何とかやら……」


 紫音がBL部門の方を気にした。

 タクミはおもむろに顔を上げて、小鳥みたいに首を傾げる。


「水無月が来たらしい。うちのスタッフと話している声が聞こえた」

「えっ? あの水無月さんが?」


 ちょっと会ってみるかい、と紫音は親指で示す。


「ぜひお会いしたいです。水無月さんも今日が打ち合わせなんて奇遇ですね」

「いや、あの様子だと大した用事がないのに遊びにきたな。そんな奴なんだよ。理由もないのにコミック・バイトに顔を出す。社員とちょこっと話して帰っていく。普通に頭がおかしいだろう。常識を知らない困ったちゃんだ」


 トゲのある言葉とは裏腹に、水無月に対するリスペクト精神が感じられた。


「水無月さんは俺のこと、知っていますかね?」

「もちろん。BL部門では珍しい男性漫画家だからね」

「だったら、挨拶しておきたいです。可能なら握手してもらいたいです。あとサインも」

「芸能人のファンかね」


 紫音の背中を追いかけた。

 BL部門のデスクのところで、箱詰めのお菓子を配っている人物がいる。

 薄手のコートを羽織っており、きれいな黒髪をポニーテールにして腰の上まで垂らしてる。


 この時点で後ろ姿美人なのは確定だ。

 コートの上からだと分かりにくいが、華奢なスタイルをしており、歩き方からも優雅さが伝わってくる。


「あれ? 紫音さんは離席中か。勝手に置いちゃおっと」


 水無月が配っているお菓子は信玄餅だった。

 山梨県へ遊びにいった帰りらしい。


「おい、水無月。また遊びにきやがって。お主は猫か」


 紫音が丸めた紙でペチペチと叩く。


「あっ! 紫音さん!」


 水無月が振り返った時、タクミの心臓は凍りそうになった。


 びっくりするくらいの美人顔なのである。

 それ以上に驚いたのが、水無月が男性という事実。


 一見すると美女か美青年か判別しにくいが、おそらく男だ。

 ブラウンのブーツを履いており、足のサイズはタクミと同等か、もしかしたら水無月が上かもしれない。


 くりっとして人懐っこい目はアイドルみたい。

 メンズ用の口紅を塗っているのだろうか、唇もぷるんと艶がある。


 見過ごせないのは水無月に向けられる女性スタッフの顔つき。

 空港で芸能人をお出迎えするファンみたいに輝きまくっている。


 破格のルックスの持ち主が、コミック・バイトの頂点に君臨するエース漫画家だった。

 たくさんの感情が混ざりすぎて、話す前というのにタクミは圧倒されまくり。


「信玄餅? なんだ、温泉旅行か」

「はい、都会にいるのに飽きましたから。温泉宿で羽を伸ばしつつ、漫画の続きを描いてきました」

「貴族だな。まあ、締切さえ守ってくれたら文句ないが」

「任せてください。描くのだけは速いので」


 アハハと口に手を添えて笑う。

 そんな仕草すら水無月がやると絵になっていた。


「そうそう、BL部門に新しい男性漫画家がやってきた。水無月は会いたがっていただろう」

「あっ! 天野さん!」


 大きな目がこっちを向く。


「お会いしたかったのですよ! 握手してもらってもいいですか⁉︎」

「えっ……あ……俺なんかでよろしければ」


 初めて触れる水無月の手は粉雪みたいにサラサラしていた。

 指が細くて長いから、ピアノを弾かせたら上手いかもしれない。


「BL部門にいる男の描き手って、これまで私一人だったのですよ。天野さんで二人目です。男同士仲良くしましょうね」

「ええ、ぜひ」

「いや〜。嬉しいな〜。しかも天野さん、お若いですし。本来はNL系の話を描かれるのですよね。それなのにBLも描けるって、素直に尊敬します」

「いやいやいやいやっ⁉︎ 見かけほど若くないと言いますか、クソ童顔なだけであって」


 水無月が前屈みになり、下からのぞき込んでくる。


「失礼ですが、天野さんはおいくつでしょうか?」

「逆に聞きますが、いくつに見えますか?」

「二十歳前後じゃないですか? 十九から二十一の間」


 だよな……。

 出会って一分というのにコンプレックスを刺激されてしまった。


「すみません、二十六です。遠くない将来、二十七になります」

「あ、失礼。人生の先輩だったのですね」


 かくいう水無月は二十三歳らしい。

 そして年相応のオーラを身につけている。


「いえいえ、気にしないでください。たまに高校生と間違われるので。百パーセント俺のせいです。水無月さんは昨年まで大学に?」

「いや〜、漫画のせいで単位がボロボロで〜。当面は大学生を続けそうな勢いです、アハハ〜」


 不思議な人だ。

 全然カリスマっぽくない。

 むしろ親近感ありまくり。


 こんなにやわそうな人が『プリズン・デイズ』という血や暴力が出てくるBL漫画を描いているのか。

 作中には男が男をレイプするシーンもあったはず……。


「あ、天野さんも信玄餅食べます? たくさん買ったので、もらってくれると嬉しいです!」

「でしたら一個いただきます。あ、水無月先生と呼んでもいいですかね?」

「やめてくださいよ。先生なんて恥ずかしい。私なんて漫画以外ゴミクズですし」


 すると後ろから紫音の手が伸びてきて、紙で水無月の頭をポコポコと叩く。


「さっきからうるさい。おしゃべりならブース席でやりなさい。あと、天野くん、こんなやつに先生は不要だ。水無月から漫画を除いたら、エロい体を持ったクソガキだからな」

「そうです、そうです」

「は……はぁ……」


 天才BL漫画家である水無月の正体は、自由気ままな性格を備えている、普通に可愛らしい大学生だった。

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