第4話 漫画家としての勲章

 あの件?

 新田の目配せに対して、ジンはあごでしゃくって続きを促した。


「これを見てほしいのだけれども……」


 新田はテーブルに一冊の小説を置いた。

 表紙のところに銀髪美少女のイラストが描かれている。


 十代や二十代の男性をターゲットにしたライトノベルだろう。

 レーベルが有名なK出版なのに加えて、帯のところに重版の文字が見えるから、巷ではかなりの人気を博しているらしい。


 透明感のある美少女の描き方、どこかで見たような線のタッチだなと思いきや、有名なイラストレーターの名前が印字されていた。

 プロ中のプロだから絵師百人展に何回も呼ばれている実力者である。


「先月に一巻が発売されたやつなんだ。すでに三万部が刷られている」

「三万部⁉︎」


 漫画でも大した数字だ。

 小説ならちょっとした偉業だろう。


「これをコミカライズしようという話が持ち上がっている。社長と神室さんが向こうの出版社と打ち合わせしてきたんだ。詳細な条件については詰めている最中だけれども、コミック・バイトで連載することが内定していてね」

「すごい!」

「しぃ〜。いちおう未公開の機密情報だから」


 すぐに反省したタクミは手で口をガードする。


 新田の話によると、ライトノベルのコミカライズは社内でも力を入れていきたい分野らしい。

 原作ファンの人がコミック・バイトの新規ユーザになってくれるし、漫画から小説に興味を持つ人もいるだろうから、双方にメリットしかないのである。


 だったらガンガン推進していこうという話なのだが、現実はそこまで単純じゃないそうだ。


 一番の問題は描き手が不足していること。

 向こうも一定のクオリティを要求してくるわけで、連載経験がありエネルギーを余らせている漫画家の数は限られている。


 コミック・バイトも外部の人材を探しているが、有望株のリクルートは難しい。

 だったら三ヶ月後のタクミがベターじゃないか、という帰結なのである。


「天野くんが志願するなら、このコミカライズを君に任せていいと思っている。これは俺だけでなく、神室さんの意見とも一致している」


 タクミが視線を向けると、ジンは小さく頷いた。


「上手くいったら作品がアニメ化されるかもしれない。天野くんの描いた漫画がアニメとして放送されるんだよ。我が社としても本気で狙っていきたい」


 興奮のあまり喉が鳴った。


 漫画家なら誰だってアニメ化に憧れる。

 いわば勲章みたいなもので、アニメ化を果たした漫画家は周りから一目置かれるのだ。


 もちろん、ストーリーの生みの親は原作者で、漫画家はアイディアをお借りしている立場なのだが、自分の描いた作品がファンを喜ばせるという事実に変わりない。


 こんなチャンス、もらっていいのだろうか?

 恵まれすぎていて、しっぺ返しが飛んできそう。


「その小説、ちょっとお借りしてもいいですか?」

「もちろん」


 挿絵のページに目を通してみた。

 どのカットも繊細な筆使いでデザインされており、無意識のうちに淡いため息をこぼしてしまう。


「すごい……」


 背景の教室なんかも丁寧だ。

 タクミも絵描きの一人だから、これ一枚仕上げるのにどれほどの時間とエネルギーが必要なのか想像できてしまう。


 頭を下げてから、小説を新田に返した。


「今時は珍しい泣けるテーマの作品なんだ。天野くんの作風に合っていると思う」

「ですが、原作ファンの期待に応えられるか、俺には自信がありません」


 横から咳を挟んだのはジン。


「低いハードルしか越えなかったら、人は成長しないぞ。そのあたりは漫画家もサラリーマンも一緒だろう」

「おっしゃる通りで……」

「この作品じゃなくてもいいが、天野にはいつかコミカライズを担当してもらいたい。向こうは大手の出版社だから、うちも実力のある描き手を紹介しなければならない。その点、連載を二回も経験している天野なら及第点だろう」


 二人の期待は十分に伝わってきた。

 プレッシャーが大きすぎて下腹部のあたりが震えてしまう。


「この話は天野くんのためでもあるんだよ。コミカライズを体験していく過程で、たくさんの気づきや発見があるだろう。絶対にクリエイターとして成長できる」

「俺もそんな気がします」

「もちろん……」


 新田は空になったグラスで机を叩いた。


「いつか天野くんには完全オリジナルの作品をヒットさせてほしい。そのための修行として、コミカライズをやり遂げる。最速でレベルアップできる近道なんだよ」


 ジンも同じ意見なのかと思って目を合わせると、なぜか寂しそうな表情をしていたので、心に引っかかるものを感じてしまう。


 もしかして、ジンはコミカライズを推し進める会社の方針に反対なのだろうか。

 経営マターの話であり、一介の漫画家であるタクミが気にするのも変な話なのだが、新田との間に横たわる温度差を見つけてしまった。


「ほら、さっさと食え。まだ残っているのは天野だけだぞ」


 二人のお皿が空っぽになっていることに気づいたタクミは、すみません! と叫んで回鍋肉の残りをかき込んだ。


「締切はちゃんと守るくせに、行動全般がスローペースだよな、天野は」


 またジンに笑われてしまい、タクミは頬っぺたを赤くした。

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