第37話 ずっと片想いなんだ

 ドンドンドンと扉をノックする音で目を覚ました。

 いや、これが夢かうつつか分かっていない。


 前にも似たことがあった。

 ネットカフェで寝ていたら起こされて、てっきり店員さんから注意されるのかと思いきや、ドアの向こうに立っていたのはジンだった。


 その場で保護されて、ジンの家へ連れていかれた。

 同棲してからの約四ヶ月は、今となっては美しい思い出である。


 だが、ジンの登場はありえない。

 そもそもタクミの現在地が分からない。


 前回はメッセージで店名と部屋番号を教えた。

 今回は何一つヒントがないから、魔法でも使わない限りタクミの居場所は分からない。


 ノック音がしつこい。

 ネットカフェが火事になったというのか。

 だとしたらタクミは本物の疫病神に取り憑かれている。


「……はい」


 恐る恐るといった感じでドアを開けた。

 わずかに空いた隙間から、まずは男性用の革靴が、続いて精悍な顔つきが見える。


 もっとも会いたくない、けれども一番会いたかった人物を前にしたタクミは、脱力のあまりマットの上にへたり込んだ。


 猛禽類のように鋭い目が、なぜか悲しみの色を帯びている。

 デキる男のオーラは相変わらずで、威圧された獲物みたいに動けなくなってしまう。


「探したぞ、天野」

「……どう……して?」


 ジンは何も答えない。

 ドアを全開にして個室に入ってくると、タクミのダンボール箱を持ち上げた。


「一緒に帰るぞ」


 有無を言わせぬ強い口調で命令してくる。

 タクミに反抗する気力はなく、大人しく会計カウンターまでついていった。


 ジンは当然のように自分のカードで支払う。

 ぶっきらぼうな口調で「レシートは要りません」と店員さんに伝えた。


「種明かしするほどのことじゃない。スマホのGPSだ。天野の位置が特定できるようにしておいた。勝手に設定をいじくった。その点については謝っておく」

「どうしてわざわざ俺の位置情報を?」

「天野が誘拐されたら困るだろう」


 本気か冗談か分からないことを言う。

 むしろ、誘拐しようとしているのはジンじゃないだろうか。


 見覚えのあるセダンが駐車場で待っていた。

 ジンは後部座席にダンボール箱を載せると、助手席へ座るよう促してくる。


「少し話さないか。これからの事とか」


 今さら何を話せというのか。

 タクミの心は拗ねてしまっており、助手席に収まってからも子供みたいに俯いている。


 温かくて甘い飲み物が欲しいな。

 気持ちがテレパシーで伝わったわけじゃないだろうが、


「どっちがいい? さっき自販機で買ってきたやつだ」


 とジンはペットボトルのドリンクを持ち上げる。

 ミルクティーと抹茶ラテだ。


 牛乳が渦を巻くイラストの誘惑に勝てなくてミルクティーを受け取ってしまう。

 手のひらに広がる温もりが心地よくて鼻の奥がツンとした。


「どうして俺を迎えにきたのですか?」

「天野に会いたいと思ったからだ。天野がいないと困るんだ」


 都合のいい家政婦に思われているのだろうか。

 あるいは晩酌の相手くらいに思われているのだとしたら、この上ない屈辱だろう。


「なぜ電話に出てくれなかった? 天野の身に何かあったのかと本気で心配したぞ」

「平気ですよ。俺は子供じゃありませんから。しばらく生活するお金もあります」

「そうか。俺はてっきり天野に嫌われてしまったのかと思った」


 えっ? と間抜けな声を出して顔を上げた。


「近頃、天野の様子がおかしいからな。いきなりマンションを出ていくと言い出しただろう。嫌われるような事をしたのかと本気で思い悩んだ」


 それは違います。

 むしろ逆です、と心の中で叫ぶ。


「俺は天野のことが好きだ。この際だからハッキリ伝えておく。本当に天野が好きなんだ」


 それは人として好きという意味だろうか。

 だとしたら一番残酷なセリフであることにジンは気づいていない。


「俺だって神室さんのことが好きです。大が付くくらい好きです」

「念のために確認だが、それはどういう毛色の好きなんだ?」


 本日二回目の、えっ? が飛び出してしまう。


「大人として尊敬しているという意味か? あるいは漫画を作る人間として一目置いているという意味か?」

「もちろん、それもありますが……」

「他に何がある?」


 もう無理だった。

 告白するしかない。

 ここで下手な嘘をついても、ジンには見破られるだろう。

 覚悟を決めたタクミの手に爪が食い込んで痛くなる。


 あのっ!

 神室さんっ!

 そう告げるつもりが、喉の奥からひゅ〜ひゅ〜音が鳴る。

 自分の勝負弱さに絶望してしまい、全身の筋肉がさらに強張る。


「無理するな。じゃあ、俺から言わせてくれ。俺の方が年上だからな」


 ジンの目が宙を泳いだ。

 舌で唇を湿らせてから、長い息を一つ吐く。

 逡巡するような仕草は珍しい。


「天野のことが本気の本気で好きなんだ。こう言えば分かるよな?」

「いやっ……そのっ……つまり」

「天野のことを愛している」


 これは夢じゃないだろうか。

 しかし皮膚を焦がすような興奮はリアルだと告げてくる。


「それはいつから?」

むごいことを聞くな。初めて好きになったのは四年以上前に決まっているだろう。俺たちが初めて会った日だ。いわゆる一目惚れというやつだ」

「あ……はい。えっ⁉︎ 一目惚れ⁉︎」


 びっくりして立ち上がり、頭を天井にしこたまぶつけた。

 以前のジンなら爆笑するシーンなのに、今日のジンは怖いくらい真剣だ。


「言っただろう。同人イベント会場で目をつけた。あの時から片想いだ。かれこれ四年も待ったんだ」

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