売れない漫画家の言えない結末

ゆで魂

第1話 人生最大のピンチ

「えっ? 打ち切りですか?」


 電子コミック出版社『コミック・バイト』の一角で素っ頓狂な声が上がった。


「うん、天野あまのくんが良い作品を描いてくれたことには感謝している。本当ならもっと連載を続けたいんだけれども、社内で検討した結果、『僕は君に二度目の初告白をする』は残り三話で完結させる方針に決まった。当初のプロットから外れちゃうし、ストーリーを練り直さないとだけれども、残りの三ヶ月一緒に頑張ろう」

「ちょっと待ってくださいよ」


 天野タクミ、二十六歳、職業は漫画家、貯金はほぼゼロ。

 まさに人生最大のピンチを迎えていた。


「前に打ち合わせした時、大団円で完結させようって話でしたよね? 季節イベントに絡んだエピソードを一個ずつ描こうって決めましたよね? 真逆じゃないですか?」

「まあまあ……」


 ツーブロックのヘアスタイルに眼鏡をかけた編集者、新田にったは手で宥めるようなジェスチャーをする。


 ここはブース席である。

 壁を一枚隔てたところでは別の編集と漫画家が打ち合わせしている。

 タクミは反省して声のトーンを抑えた。


「申し訳ない。あの頃とは事情が変わったんだよ」

「つい先週のことじゃないですか。どこがどう変わったのか、俺が理解できるように説明してくださいよ」

「まいったな。前言を撤回したことについては謝るよ。俺だって理不尽な話だと思っている。でも、社内の決定なんだ。あと三話で完結させるという事実は変わらない。続きを楽しみにしている読者のためにも最後まで力を出し切ってほしい」


 話しぶりから察するに新田も板挟みの状態にあるらしい。

 でなけりゃ、忙しい編集者が売れない漫画家にぺこぺこ頭を下げるわけない。


『大切な話がある』と連絡を受けたから、てっきり良いニュースだろうと期待しながら出版社まで出向いてきたというのに……。


 ぬか喜びだった。

 タクミは露骨に肩を落とす。


「つまり、俺の漫画はつまらないのですね?」

「そうは言ってない。俺は面白いと思っているよ」

「でも、打ち切りってことは、大半の読者からしたら時間を割いて読む価値がないってことですよね」

「う〜ん……そうだな……他の作品の影に埋もれてしまった感は否めないね。三話目まで反応は良かったけれども、少しずつジリ貧になっていった。テコ入れできなかった点については担当者の俺にも責任があると思っている」


 もう無理だと思った。

『僕は君に二度目の初告白をする』はタクミが全身全霊を注いだ作品だった。

 十年くらいアイディアを温めてきた。


 自分の百パーセントが通用しなかった。

 情けなさのあまり新田の顔を直視できなくなる。


「すみません。俺の力不足です。新田さんは悪くありません」

「えっ……ちょ……天野くん⁉︎」


 タクミの涙腺が熱くなる。

 ハンカチを取り出すよりも先に涙が落ちてきて、困り顔の新田を焦らせてしまった。


「俺、この作品がダメなら、もう漫画家を辞めようと思っていました。二十六歳なんで、そんなに若くないですし」

「いやいやいやっ⁉︎ 二十六歳で連載二作目なんだよ! 実力は申し分ない証拠だよ!」

「いいえ、逆です。二作とも短命に終わりました。才能がないっていう揺るぎない証拠なのです」

「そんなことはない! せめてもう一回! うちのレーベルで頑張ってみないか! 天野くんは知らないだろうが、編集部は君を高く評価している! じゃないと二回もチャンスを与えない!」


 タクミは荷物をまとめて頭を下げる。


「新田さん、今までありがとうございました。俺にチャンスをくれたコミック・バイトには感謝しています。お陰でこの四年間、全力で漫画に打ち込めました。残りわずかですが、精一杯頑張ろうと思います」


 新田の制止を振り切ってブースを出ようとしたら、逞しい胸板にぶつかってしまった。


 片手に缶コーヒーを持った男がタクミを見下ろしている。

 野生味あふれる目つきにすらっとした鼻梁だから、漫画の世界から飛び出してきたような凛々しい男性、と形容するのがぴったりかもしれない。


 仕事柄、タクミは猫背だ。

 十センチくらいの身長差が二十センチに感じられる。


 ぶつかった相手は編集長の神室かむろジンだった。

 トラブルでも発生したのか、不機嫌さが顔から滲み出ている。

 夕方のせいでワックスを染み込ませた髪が乱れており、刺々しいオーラを助長していた。


 ジンはコミック・バイトを立ち上げた中核メンバーだ。

 三十五歳にして会社の取締役に名を連ねており、聞いた話によると社長から一番信頼されているのだとか。


「おい、新田」


 タクミの涙に気づくと、ジンは深いため息をついた。


「天野に本当のことを言ってやれ。優しい嘘をつくと、かえって立ち直りが遅くなるようなやつだ。それに天野は、新田が思っているより粘りのある男だぞ」

「いや、しかし、神室さん……」


 話の流れが見えないタクミは二人の顔を見比べる。


 そもそもジンはいつからブース席の近くにいたのだろう。

 新田との会話を全部聞かれていたかと思うと、さっきまで涙で濡れていた頬から火が出そうになる。


「だったら、俺の口から言ってやろうか。お前の作品を打ち切らせたのは俺だ」

「えっ……」


 尊敬している大人からの一言に、タクミは鞄を落としそうになった。

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