第2話 子供みたいに泣きやがって
世界が一瞬、色を失った。
神室さんが? 作品を打ち切りに?
新田の方を向くと、肯定とも否定ともつかないような、じれったい表情を向けられる。
「まあ、座れよ。まだ打ち合わせの時間は残っているだろう」
タクミは素直に着席しておいた。
ジンの声にはカリスマ性があるから、考えるより先に体が動いてしまう。
「新田の言ったことは半分本当で半分間違っている。天野の作品がジリ貧なのは本当だ。それは読者の反応として如実に表れている」
タクミが連載しているレーベルでは、読者のPV、ブックマーク、コメント、いいねの数で描き手の評価が決められる。
単にブックマークが多ければいいという話ではなく、前月から何パーセント伸びたとか、変化を重要視する傾向にあった。
タクミの作品は失速しており、ブックマーク微増の月が続いている。
中にはブックマークだけして読まないユーザもいるから、実質横ばいか、下手したらマイナスの評価もあり得た。
「でも、打ち切るほどのラインじゃない。具体的な数字は教えられないが、当落線上より少しだけセーフの側。まだイエローカード一枚の状態なんだ」
だったら何で? という気持ちが表情に出てしまう。
「俺が決めた。『僕は君に二度目の初告白をする』という作品には可能性がないと判断した。勘違いしてほしくないのだが、天野に可能性がないと言いたいわけじゃない。いったん作品を畳んで、リスタートさせるのが望ましいと思った」
ジンは淡々とした口調で当時の様子を語ってくれた。
新田は強固に反対したらしい。
もう少し様子を見るべきじゃないですか、と。
次回の話が本当に面白いんです! とジンに向かって熱弁を振るってくれた。
「新田は最後まで天野の肩を持っていた。担当者として立派だよ。上司に真っ向から反対して、作品の可能性を信じたからな。さすがうちの社員だ」
新田は照れ臭そうに首の裏をかきむしる。
「でも、俺が却下した。新田の主張にも一理あるが、一理しかないからな。分の悪いギャンブルに思えたんだ。これが冷酷な決定なのは分かっている。俺が天野の立場なら、納得できないだろう。でも、問題を先送りしてダメージを大きくしたくなかった。作品にNGを突き付けるのも俺たちの大切な仕事だと思っている」
背景を知らなかったとはいえ、新田に対して無礼な言い方をしてしまった。
自分が幼稚に思えてしまい、せっかく乾いていた涙がぶり返しそうになる。
「でも、分かりません。作品に未来がないってことは、俺に未来がないのと同義じゃないですか」
「そうじゃない。天野と作品は別物だ。評価をごちゃ混ぜにするな」
「俺にとっては一緒です。あれに全部を込めたんです」
「全部、か」
急にジンの声が優しくなる。
さっきまでの険しい表情とは打って変わって、近所にいる気のいいお兄ちゃんみたいだ。
「いいな。全部って言葉が自然と出るなんて。天野をうちのレーベルに誘って正解だったよ」
「神室さん……」
大きな手に髪の毛をクシャクシャされる。
タクミは自分が二十六歳なのも忘れて、ぐしゅんと鼻を鳴らした。
「まったく。子供みたいに泣きやがって」
ジンは一度その場を離れると、ティッシュの箱を持ってきてタクミの前に置く。
好きなだけ泣け、と言われた気がして張り詰めていた心の緊張がほぐれた。
ジンは格好いい。
人望があって率先して行動するから、周りから頼りにされている。
ホワイトボードの前に立ちシャツを腕まくりする仕草なんて、仕事ができるサラリーマンの典型像みたいで、漫画のワンシーンに登場してもおかしくない。
「なあ、新田。天野の長所はどんな部分だと思う?」
「そうですね……」
繊細、絵がきれい、話の雰囲気がいい。
ジンは出てきた単語をホワイトボードに書き出していく。
「じゃあ、短所は?」
「一概にデメリットとは言えませんが、独り善がりな部分が足を引っ張っている気がします。あと地味ですね。男性ネットユーザとの親和性が低いといいますか……」
独善的、地味、というキーワードが加わった。
タクミの心がチクリと痛む。
「じゃあ、次は天野。長所は残しつつ、短所を減らすために、どんな工夫をした?」
「話のテンポを上げました。あと読者が親しみを持てるよう、人気のラブコメ作品を研究しつつ、ベタな展開を取り入れました」
ジンはホワイトボードに大きなバツ印を書く。
「その工夫、今回は失敗したな。読者ウケを狙うのは構わないが、天野の場合、デメリットが大きかった」
本来タクミの持っていた良さが損なわれた。
その結果、ライバルの漫画家に勝てる武器が無くなってしまった。
「俺にはそれが見えていたから作品を打ち切ることにした」
ぐうの音も出ないタクミは、大きな背中を睨み付けることしかできなかった。
ジンが振り返り、目と目が合い、意味ありげに笑いかけてくる。
「何だよ。食ってかかりたいって顔だな。天野でもそんな顔ができるのか」
「あっ、いや、失礼しました! 神室さんに腹が立ったとかじゃなくて! 自分で自分に腹が立ったと言いますか! 今回の敗因が腹落ちしたと言いますか! 神室さんに逆らう気はありません!」
半ばパニックになりつつ、手を振って否定しておく。
「どっちでもいいさ」
ジンは水性ペンのキャップを閉めると、新田の名を呼んだ。
「漫画家を続けるのか辞めるのか、天野の問題だ。本人に決めさせろ」
それからタクミの方を向く。
「時間は三ヶ月あるわけだから、ゆっくり考えてみたらどうだ。それでも辞めるというのなら、俺か新田に連絡してくれ。無理強いはしない」
「分かりました。アドバイスに感謝します」
タクミはぺこりと頭を下げておく。
ゆっくり考えろと言われたが、もう一度頑張ってみろと背中を押されたような気がして、目頭のところが熱くなる。
「新田さんもありがとうございます。今日まで来られたのは新田さんのお陰ですから」
「いいって。俺は天野くんの実力を信じているから」
新田がくしゃりと笑う。
これで方向性は決まった。
連載は三回で終わる、タクミは全力を尽くす、漫画家を辞めるかは保留。
正直、心は迷っている。
次の連載をゲットして、今回より短命に終わったら、もう立ち直れないだろう。
でも……。
少しでも可能性があるのなら……。
タクミの作品が一人でも多くのユーザを喜ばせて、コミック・バイトの成長に貢献したいという気持ちも強い。
「お時間、ありがとうございました。本日は失礼します」
良い感じで締めようとしたのに、神様はそれを許してくれなかった。
油断してしまった反動なのか、腹の虫が『ギュルルルルル〜!』と聞いたことのないような音を奏でて、フロアの静寂を切り裂いたのである。
「すげぇ音」
ジンが大笑いしたのは言うまでもない。
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