第33話 限界を迎えてしまう前に

 そろそろ十二時になろうかという時、腹の虫が鳴り出した。

 一心不乱にペンを動かしていたタクミの手がピタリと止まる。


 線を描くのに失敗してしまった。

 タブレット端末をタッチしたつもりなのに、反応しないことが日に数回ある。

 理由はハッキリしていて、ペン先が摩耗してきたのだろう。


 買い替え時かもしれない。

 倹約したいのは山々だが、そのせいで作品の質が落ちたのでは本末転倒といえる。

 何より紫音や原作者に顔向けできないだろう。


 タクミは仕事道具を片付けて外出の準備に取りかかった。

 服装は相変わらず学生みたいだ。


 もう諦めている。

 胸板だって薄いし、ジンのような高身長でもないから、センスの良い服を買っても着こなせないだろう。


 加えて引きこもりだ。

 着飾るメリットが薄すぎる。


「財布、鍵、スマホと……」


 今日はショッピングモールまで出かけようと思う。

 あそこなら大型の家電小売チェーンも入っているから、同じペンを売っているだろう。


 昼飯は気になったやつで済ませよう。

 一人でラーメンを食べてもいいし、一人回転寿司なんかもアリかもしれない。


 マンションに鍵をかけて、駅へ向かって歩いていると、コンビニのポスターが気になった。

 公開を控えている映画の宣伝だ。


 花に誘われるミツバチみたいに店舗へ入る。

『前売券、発売中!』の文言が気になる。


 実はこの映画、同性愛をテーマにしているのだ。

 ジャンルとしてはBL恋愛とヒューマンドラマの中間だろうか。


 漫画が原作だからタクミもストーリーは知っている。

 これだけは絶対読め! と紫音から渡された勉強リストに入っていた。


 いいな、映画。

 三年間くらい映画館から遠ざかっている。


 ジンを誘ってみようか、というアイディアを閃く。

 これも漫画のためなんです! とお願いしたら嫌とは言わないだろう。


 憧れの人であるジンと一緒に映画館デート。

 しかも題材はBL作品なんて夢みたいな話じゃないか。


 ジンといつまで同棲できるか分からない以上、もう一回くらいデートしてみたいのが本音だ。


 券売機を操作する。

 大人用の前売券を二枚。

 確定ボタンを押す指が震えた。


 購入してしまった。

 まだジンに渡すと決まったわけじゃない。

 最悪タクミが二回観るという案もある。


 でもチャンスがあったら誘ってみよう。

 一定の需要が見込める作品だし、公開期間も二ヶ月くらいあるはずだ。


 電車で移動する間も、ショッピングモールまで歩く間も、ジンとのデートで頭の中はいっぱいだ。


 前回のデートが懐かしい。

 アイスを半分こして、つけ麺を食べて、神社でお参りした。

 あの日の大吉おみくじは大切に財布へ入れてある。


 タクミが成功したら神社の木に結い付けようという約束だ。


 それがいい。

 映画館デートして神社に立ち寄る。


 一晩考えてみたが、タクミは独り立ちすべきだと思っている。

 というより、これ以上ジンと同棲したら頭がおかしくなりそうだった。


 ジンに告白する。

 もちろんフラれる。

 傷心のあまり漫画を描けなくなる。

 そうなったら関係者全員を不幸にしちゃうし、漫画家を続けるためにもジンとの同棲は解消しなければならない。


『好きだから離れたいです!』とストレートに告げる勇気はない。

 もっともらしい理由がいるだろう。


 若い漫画家と切磋琢磨したい。

 この理由ならジンもタクミの入寮に反対しないはず。


 ジンの元から巣立たないと。

 タクミのためにも、ジンのためにも。

 この気持ちが限界を迎えてしまう前に決断しよう。


「何かお探しでしょうか?」


 店員さんから声をかけられてハッとする。

 天井のスピーカーからは家電量販店の明るいテーマソングが流れていた。


「えっと、タブレット端末のアクセサリーが欲しくて……どのあたりでしょうか?」


 親切な店員さんはわざわざ案内してくれた。


「ご不明な点がありましたら、いつでもお声かけください」

「ありがとうございます」


 他の買い物客がやってきて、


「現品限りのパソコン、買いたいんだけれども」


 と声をかけてくる。

 一人になったタクミはタブレット端末用のペンを手に取った。


 一口にペンといっても値段はピンキリだ。

 描き手によっては何種類かペンを使い分けていたりする。


 水無月が愛用しているブランドもあった。

 かなり値が張る、そしてデザインが格好いい。


 たくさん迷った末に、いつもタクミが使っているペンと、水無月が使っているブランドのペンを買うことにした。


 これも未来への投資なのだ。

 倹約家の自分をそうやって説得する。

 

 画面フィルムも劣化が進んでいるので新調することにした。

 お金を払えば店員さんが貼ってくれるサービスもあるが、タクミはいつも自分の手で貼り替えている。

 漫画家という職業柄、細かい作業は得意だったりする。


「こんなものか」


 レジで会計してからモールの三階へ向かう。


 IMAXシアターも備えている映画館があるのだ。

 スクリーンの数は十二あるから、よっぽどマニアックな作品じゃない限り、この映画館で視聴できる。


 タクミが前売券を買ったBL作品の予告ポスターが貼られていた。

 たくさんの女性ファンから支持されている若手俳優が二人、ステディな感じで手をつないでいる。


 いいな、と思う。

 一日でいいからジンの恋人になってみたい。

 映画を観た直後なら『恋人ごっこ』に付き合ってくれるだろうか。

 タクミの妄想は爆発寸前の風船みたいに膨らんでいき、ニヤけが止まらなくなる。


 偶然にも近くに人影がなかったので、スマホのカメラを立ち上げて、写真を一枚撮っておいた。

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