第34話 コールタールのような感情

 結局、昼飯はハンバーガーを食べた。

 肉厚のパティが入ったやつで、ポテトとドリンクをつけると八百円を超えた。

 貧乏が身に染みているタクミとしては、これでも十分すぎる豪華メニューなのである。


 ゆっくりと一口ずつ味わう。

 隣の席に小さな子供がいて、物欲しそうな顔を向けながら『おいしそ〜!』なんて叫ぶものだから、いたたまれない気持ちに突き落とされる。


「こらっ! そんなに見つめたら失礼でしょう!」


 お母さんが子供をたしなめた。


「すみませんね、うちの子が」

「いえ……」


 お互いに頭をぺこぺこと下げる。


 ハンバーガーを完食したら今日のミッションは完了だ。

 すぐに帰って漫画の続きを描いてもいいが、モール内を散歩したい誘惑には勝てない。


 エリアマップを見た。

 有名な本屋チェーンが入っている。

 これも勉強のため、と自分に言い訳してBLコーナーをうろついた。


 基本、女性しかいないコーナーだから、タクミのような男がいたら奇異の目を向けられる。

『この人、同性愛者かしら?』と思われたに違いない。


 BLコーナーは小説も漫画も充実している。

 中には『アオにつづる』もあり、手に取ってみると、タクミが持っているやつより版数が二つ上だった。


 少年漫画や青年漫画のコーナーものぞいてみた。

 昔に熱中していたバトル物の漫画を見つける。


 タクミが漫画を描き始めたのは、熱いバトルシーンが描きたかったからだ。

 能力に目覚めた主人公がド派手な必殺技で敵を薙ぎ倒すようなやつ。


 でも無理だった。

 自分には王道バトルを描く才能がなかった。


 たとえば殴り合うシーン。

 この拳が頬っぺたにめり込んだら死ぬほど痛いだろうな、とか余計な想像をしてしまう。

 話し合いで解決すればいいのに……なんて物語のコンセプトがひっくり返ることを考えると、ペンが動かなかった。


 キャラクターの出血すら描くのが苦痛だった。

 四肢が切断されるシーンなんて論外である。


 ありきたりな恋愛物語を描こうとしたのは、いわば逃避だ。

 過去にヒットした漫画の真似事をしたら、上達したような錯覚に浸れた。


 単なる劣化コピーなのに……。

 一端いっぱしの漫画家になれた気がした。


 タクミがNLレーベルで通用しなかった理由は、本当に描きたいものを喪失していた、という背景が影響しているかもしれない。


 BLコーナーへ戻る。

 せっかくなので漫画を三冊買うことにした。

 レジへ持って行く時は緊張したが、店員さんは淡々と処理してくれる。


「そろそろ帰るか……」


 時刻は二時半。

 当たり前だが、ジンからは一切連絡がない。


 インテリア用品店の前を通りがかった時だ。

 水の滴るような男前がいるなと思ったら、無意識に足が止まってしまった。


 ジンに似ている。

 服装もそっくりだ。

 本人かどうか確かめたくてタクミは店に一歩踏み入る。


 女性が使うようなフェイスケア用品を手に取っている。

 熱心に吟味しているという感じはなく『売れています!』のポップがあるから気になって手に取ったらしい。


 グッズを棚に戻すと、百八十度向きを変えて入浴アイテムを物色し出した。

 面白いことでも閃いたのか、口元が薄く笑う。


 本物のジンだ。

 タクミの心臓が早鐘を打ち始める。


 どうしよう。

 声をかけたい。

 奇遇ですね! といってジンとおしゃべりしたい。


 一歩を踏み出しそうになり、すぐに思い止まる。

 ジンには連れがいるのではないか。


 このインテリア用品店は女性に人気のお店で、店内にいる客だってジン以外はほぼ女性だ。

 ジンが欲しい物を探しにきたというより、誰かの買い物に付き合っていると考えるのが妥当だろう。


 一目でいいから見ておきたい気がする。

 もし恋人なら、相手はモデル級の美人で、年齢も二十七歳くらいで、真剣に結婚を考えているはず。


 引導を渡されてもいい。

 タクミは一抹の勇気を振り絞って、商品棚の影からジンを目で追った。


 ジンの顔が持ち上がる。

 デートの相手が戻ってきたらしい。


「お待たせしました。良いのが見つかりました」


 その声が聞こえた瞬間、タクミの体温は一気に一度くらい下がった。

 長いポニーテールが視界をよぎったのである。


 どうしてあの人がジンと一緒に?

『完全にプライベート』

『ちょっと大切な用事』

 あれが今日のショッピングを指しているのだとしたら……。


 手に持っていた本屋の袋を落としてしまい、近くにいた買い物客から一斉に注目されたが、幸いジンたちには気づかれなかった。


 早く立ち去らないと。

 そんな想いとは裏腹にジン達を後ろからマーキングしてしまう。


 この二人が本当に恋仲なのか。

 単なる仕事の付き合いなのか。

 確かめないと今夜は眠れそうにない。


「どっちの色がいいと思います?」


 質問されたジンが顎に手を添えて考えている。


「オレンジ色がいいんじゃないか」

「じゃあ、決まりですね」


 二人はショッピングに夢中で、周囲を気にする素振りは一ミリもない。

 隠すような仲じゃないということか。


「せっかくの休日なのに付き合わせて申し訳ないですね」

「気にするな。仕事のピークはいったん終わった」

「そうじゃないですよ。天野さんですよ」

「ん?」


 いきなり自分の名前が出てきたことに動揺して顔を伏せてしまう。


「デートしないのですか? 同棲中じゃないですか」

「アホか。天野とはそういう関係じゃない」

「じゃあ、どういう関係ですか?」

「目的を共有する同志だな」

「勿体ないな〜」


 タクミの中で黒いコールタールのような感情がドロっと流れた。

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