第16話 食べるのが遅い理由

 目を覚ますなり、アルコールが抜けきっていないな、とタクミは思った。


 部屋が明るい。

 スマホを探して時刻をチェックする。


 朝の六時半。

 ここはジンの家だから、カーテンの向こうには高級住宅街の景色が広がっている。


 昨夜のやり取りは何となく覚えている。


 六時くらいからお酒を飲み出して、九時くらいには完全に酔っ払ってしまった。

『お風呂に入るか?』と聞かれたので『シャワーで大丈夫です』と返した記憶がある。


 物置き部屋をどうやって片付けたのだろうか。

 記憶が抜け落ちているから、ジンが一人でやったのかもしれない。


 枕元にはトートバッグがある。

 その横には洗濯済みの衣類が積まれていた。


 しまった。

 完全に介護されたらしい。

 

 うろ覚えだが、ジンの肩につかまって部屋まで運んでもらった気がする。

 つまり、タクミは一人じゃ歩けなかった。


 お酒のせいだ。

『もう結構です』とタクミは断ったのに『もう少し付き合ってくれ』と勧められた。

 ジンの命令に逆らえないという習性が裏目に出てしまい、酔い潰れてしまったわけである。


「うっ……膀胱がヤバい……」


 次からはちゃんと断ろう。

 トイレで用を足しながら深いため息をつく。


 リビングをのぞいてみたがジンの姿はない。

 書き置きもないから、まだ寝ているのだろうか。


 勝手に寝室をチェックする気にはなれず、落ち着きもなくウロウロしていると、紙袋を持ったジンが帰ってきた。


「おはよう。よく寝られたか?」

「おはようございます。お陰様で熟睡できました」


 もちろん嘘である。

 ジンは目敏めざといから、指でタクミの額を突きつつ、


「顔がむくんでいるぞ。アルコールが抜けていないのだろう。すまない。俺が調子に乗って飲ませすぎたようだ」


 と爽やかに謝罪してくる。

 恥ずかしさのあまり手で口元を隠してしまった。


「昨夜はどんな感じでしたか? 俺は酔っ払っていて、ほとんど覚えていません。神室さんに失礼なことをしなかったか心配です」


 ジンは答える前に寝癖の頭をクシャクシャしてくる。


「昨夜は楽しかった。時間を忘れるくらいにな。だから安心しろ」

「ですか……」


 ジンが楽しめたのならいいか、と納得する。


 紙袋の中身は喫茶店のモーニングだった。

 サンドイッチとホットコーヒーが二人前入っている。


「二種類ある。ハム卵チーズのサンドと、アボカドベーコンのサンドだ。天野が好きな方を選んでいいぞ。……て、食欲はあるか?」


 ジンの好意を無下にはできず、


「あります!」


 と元気よく返事する。


「天野は若いな」

「いや……」


 ジンはキッチンからお皿を二枚持ってきて、二種類のサンドイッチを並べた。


「どっちがいい?」

「え〜と……」


 二個から一個を選ぶのがタクミは苦手だ。

 神室さんが好きじゃない方で……と返しそうになる。


「半分こしませんか?」

「半分こ?」


 我ながら女の子みたいな発言をしちゃったな、とすぐ後悔する。


「いや、どちらも美味しそうですから。両方食べてみたいと言いますか……」

「悪くないアイディアだ」


 ジンは皿ごとキッチンへ持っていくと、ナイフでカットしてから戻ってくる。


「神室さんは何時に起きたのですか?」

「六時前かな。散歩がてら喫茶店へ行ってきた」

「家から出ていったのに全然気づきませんでした。ていうか、喫茶店がオープンするの早いですね」

「確かに朝の六時から営業している喫茶店は珍しいな。半分パン屋みたいなお店だ。クロワッサンが美味しいから、いつか食べさせてやる」


 半分にカットしたサンドイッチを、ジンはわずか二口で平らげてしまう。

 男らしい、しかも歯並びがきれい。


「天野の食べ方は可愛いな。小動物みたいだ」

「いや……これは……実家が貧乏なので」


 隠すことじゃないので正直に答えておいた。


「ゆっくり食べた方がお得な気がします。満足感があるといいますか。デザートもそうです。ケーキやプリンだって少しずつ食べちゃいます」

「そういうわけか。前に回鍋肉を食べた時も天野だけ遅かったな。ようやく謎が解けた」

「すみません、しょうもない答えで」


 サンドイッチを食べた後、タクミが食器を洗っておいた。

 その間にジンは出社の準備に取りかかる。


「天野の今日の予定は?」

「特に決まっていませんが……」

「そんなお前にミッションを与えよう」


 大きなビニール袋を押しつけられた。

 二十四時間営業のディスカウントストア名が印字されている。

 中をのぞいてみるとジーパン、スニーカー、ビジネス用バッグが入っていた。


「天野へのプレゼントだ。これから俺と一緒に出社するぞ」


 ジャケット姿のジンは、カリスマ編集長の顔で告げてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る