最終話 言えない結末

 天気に恵まれた日を選んで、タクミとジンはデートへ出発した。

『どうせなら平日の空いている映画館がいいだろう』とジンの方から提案してきて、わざわざ年休を取ってくれたのだ。


 仕事が忙しいのに大丈夫だろうか?

 タクミが率直な疑問をぶつけると『たまには幹部社員が休むべきだ。じゃないと部下が休みにくい』とジンらしい正論が返ってきた。


 ジンの秘密について、初夜の後に打ち明けられた。


『有り体にいうと社長は俺の兄貴なんだ』

『でも、お二人の苗字は別々じゃないですか?』

『複雑な事情がある。いわゆる腹違いの兄弟だな』


 社長はジンより八つ歳上。

 元々IT系の会社に勤めており、出版社で働いていたジンを誘って独立したのである。

 ジンが紫音を誘い、スタートアップに必要な漫画家を集めた。


『兄貴はいずれ社長の椅子を俺に譲るつもりだ。とはいえ数年先の話だろう。そのための準備をゆっくり進めている。コミック・バイトの経営を軌道に乗せないと社長交代なんて夢物語ではあるのだが……』


 ジンと社長が血縁者であるのを知っている社員は紫音くらい。

 水無月は親族なので、もちろん知っている。


『社長の縁者なのがバレると軋轢あつれきを生むシーンもあるだろう。俺や水無月が関係を伏せているのは、組織の調和を保つためだ。もっとも水無月が実力十分なのは、タクミも理解していると思うが……。そういうわけだ。タクミが社長婦人になる日が来るまで、秘密は胸にしまっておいてくれ』

『社長婦人⁉︎』


 ジンの家族になる。

 それは現在の社長とも縁が生まれることを意味する。


『あの……お義兄様への挨拶はどのタイミングで……』

『あんな奴、お義兄様なんて呼ばなくていい!』


 ジンが不貞腐れたように横を向く。

 子供っぽい仕草がおかしかった。


 映画館デートに出かけたのは、秘密を打ち明けられてから約二ヶ月後。

 タクミが担当している『アオにつづる』は第五話まで公開されており、人気も原稿料もジリジリと上がっていた。


『もしかして神室くんと何かあった? 一線を超えちゃった? 最近の天野くん、絶好調だよね?』


 紫音からは何回か褒め言葉をもらった。

 以前と比べてタクミの絵が色っぽくなったらしい。


 思い当たる節はジンとの初夜しかなく、漫画という面でも絶大なプラスの恩恵をもたらしてくれた。


 平日のショッピングモールはやや閑散としていた。

 映画館の上映スケジュールも『空席あり』の表示が並んでいる。

 タクミとジンは手を恋人つなぎしたまま売店のメニューをのぞいた。


「飲み物とポップコーンを買うだろう。タクミは何がいい?」

「コーラがいいです。ポップコーンの味はジンさんが決めてください」

「じゃあ、塩味だな」


 セットを一つ買ってからシアターに入場した。


 席は後方の中央。

 肘掛けのところで互いの手を重ねる。


「タクミ、キスしたい」

「いや、ですが、もうすぐ上映が……」

「映画が始まったら二時間キスできない。タクミがこんなに近いのに我慢するのは辛い。せっかくの年休なんだ。ご褒美が欲しい」

「分かりましたよ。一回だけ」


 ジンは事あるごとに『キスしたい』と口走るようになった。

 タクミが漫画を描いている最中だったり、お風呂あがりにリラックスしている最中だったり、時間は完全にランダムだ。


 キスを嫌と思ったことはない。

 むしろジンの顔色を観察しつつ『そろそろ要求してくるのでは?』と予想するのが楽しみになっている。


「BL作品を映画館で観るのは初めてだ。楽しみだ」

「俺もです」


 チッっと唇を重ねる。

 公共の場でキスなんて、軽いルール違反という気もするが、今日くらいは神様も許してくれるだろう。


「映画が始まると二時間もタクミとおしゃべりできない」

「いや、そこは我慢してください」


 ジンの口元がへの字になる。

 スクリーンの映像が切り替わり、配給会社のロゴが表示された。


 映画の筋書きはサラリーマン同士の恋愛だった。

 同じ職場で働いている二人が惹かれ合うというストーリー。


 でも、ラストの方で一人の海外赴任が決まってしまう。

『こんな会社辞めてやる!』

『お前が辞めるくらいなら俺が辞める!』

『いいや、俺が辞める!』

『いや、俺だね!』

 という熱い会話が印象的だった。


「タクミ、終わったぞ」

「良い映画でしたね」


 答えるが早いかキスを一発もらった。

 エンドロールの楽曲も相まって、体が浮遊感に包まれるような接吻だった。


 モールを出た後はいよいよ神社へ向かう。

 お守り代わりのおみくじを返すのだ。


「ジンさんもおみくじを保管していたのですね」

「当たり前だ。一日一回、タクミの成功をお願いしていた」


 大吉の紙。

 これを手に入れた日から、タクミの運勢は急上昇していった。

 神様なんて半信半疑だったけれども、本当にいるんだなと、今日のタクミなら思える。


 折り畳んだ紙を木にくくり付ける。


「今までありがとうございました。またお参りにきます」


 おやしろに向かって手を合わせておく。

 

 再び車へ乗ろうとした時、ジンのスマホが揺れ出した。

 社員から急ぎの確認だったらしく、三十秒くらいで通話を終える。


「大丈夫ですか?」

「問題ない。仕事はいたって順調だ。ただ……」


 ジンは車に手をつき、タクミの体を閉じ込めた。


「会社で噂になっているようだ。俺が昼休みとかに頻繁にスマホをチェックするから、NL編集長に新しい恋人ができたらしいという憶測が広がっている」

「それって、まさか……」

「相手はどんな美人なんだ、と毎日のように質問される。忙しい編集長がどこでガールハントしたんだ、と。社長だってしつこく詮索してくる」

「うっ……」

「今回の年休だってデートと思われている。真実には違いないから、曖昧に返事しておいた。明日出社したら、相手は誰なんだ? と新田あたりが聞いてくるだろうな」

「マジっすか……」

「適当に誤魔化しておく」

「……お願いします」


 相手がタクミと分かると、一部のBL部門スタッフを除いて、開いた口が塞がらなくなるだろう。

 その光景を想像したタクミの心臓にチクリと痛みが走る。


「安心しろ。結婚式には関係者をたくさん招待することになる。いや、その前にお互いの実家へ挨拶か」

「いや……ちょっと……心の準備をさせてください! 気になって漫画に集中できなくなります!」

「おいおい、隠すことじゃないだろう。関係をはぐらかされると俺の心が傷つく」

「物事には順序がありますから!」


 ジンの手が慌てふためくタクミを抱き寄せる。

 爽やかな風が二人を包み、梢の音がシャワーのように降ってくる。


「早く一人前の漫画家になれ、タクミ。お前が胸を張れるようになったら結婚の段取りについて考えよう」

「はい! 絶対にジンさんの期待は裏切りませんから! 待っていてください!」


 この関係はもうしばらく周りに言えそうにない。

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売れない漫画家の言えない結末 ゆで魂 @yudetama

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