第22話 この感情は毒だろう

 断言しよう。

 タクミの理性はおかしい。


 ラーメン屋へやってきた時だって、本日何回目か分からない、困った現象に襲われてしまった。


「天野は少食だから並盛りでいいだろう? それとも中盛りにトライしてみるか?」

「いや、並盛りで十分です!」


 ジンが券売機にお札を投入する。


「店員さんに『あつもり』か『ひやもり』か聞かれる。基本が『ひやもり』だな。冬場だと『あつもり』を食べたい日もあるが……て聞いているか?」


 タクミはハッとした。

 反省するより先に優しいデコピンが飛んでくる。


「漫画のネタでも考えていたのか?」

「すみません、職業病なのです」


 嘘である。

 ジンの全裸を思い出していた。


 風呂場のシーンが呪いみたいに焼きついており、ちょっとした会話の切れ目とかに、頭の中で再生されちゃうのだ。


 変態という自覚はある。

 もっとも印象に残っているのはジンの乳首なのだから。


 ゴツい大胸筋がある。

 二つの目玉みたいにお豆が付いている。

 思い出したら胸がキュンとなって息が詰まりそう。


 男相手にフェチを感じちゃうあたり、もしかしたらBL漫画家としての才能があるのでは? と思ったり思わなかったり。


「漫画家っていうのは大変な生き物だな。いつでも仕事のことで頭がいっぱいなのだろう」

「そういう神室さんこそ、休日に何回も電話が鳴るじゃないですか」

「俺の社畜っぷりを物語るエピソードだな」


 狙い澄ましたようなタイミングでジンの携帯が揺れ出した。

 チッと舌打ちしたから相手は社長だろう。


「すまない、天野」

「いえいえ……」


 ジンは一つ咳払いしてから通話をタップする。

 

「はい……はい……。メールが見つからない? 広告代理店の人から送られてきたやつ? それなら木曜日の十八時過ぎだったと思いますよ。迷惑メールに紛れていないか、忘れずにチェックしてくださいね」


 電話口から、あった! あった! と明るい声が返ってきた。

 ジンは苦笑いしつつスマホを伏せる。


「社長だった。メールが見つからないという相談だ。小学生みたいな男だろう」

「不謹慎かもしれませんが、ちょっと笑っちゃいました」

「笑え、笑え。あれで四十過ぎのおっさんだからな」


 すっかり肩の力が抜けたところで、二人分のつけ麺が運ばれてきた。

 ジンの食べ方を真似して、さっそく一口食べてみる。


 濃厚な魚介スープが口いっぱいに広がった。

 四角い太麺もコシがあって、普通のラーメンとは違った食べ応えがある。


「うま味が詰まっていて、美味しいですね!」

「だろう。味付けが濃いからな。直接スープを食べているような気分になる。疲れた日なんか特におすすめだ」


 タクミが一口食べる間に、ジンは三口でも五口でも食べてしまう。

 あの口でキスされたら昇天しちゃうかもしれない、と不埒ふらちなことを想像していたら、箸を動かす手が止まっていた。


「どうした? 俺の顔に何か付いているか?」

「いえ⁉︎ 何でもないです!」


 おかしい。

 イケメンならジンの他にもいる。

 厨房でラーメンを作っている若い店員さんとか。

 ホスト顔負けの金髪美男子であり、麺を湯切りする姿なんか、プロのラーメン職人という感じで格好いい。


 でも彼の全裸を見てみたい、という欲望は湧いてこない。

 ああ、女の子からモテるんだろうな、くらいの感想である。


 ジンは違う。

 至るところに『いいな』を見つけてしまう。


 耳の形がきれい。

 首が太くて男らしい。

 今日の髪型も決まっている。


 ラーメンにもたくさん種類があるように、格好いいにも種類があるらしい。


 この感情は毒だろう。

 いつか二人の関係をぶち壊すかもしれない。


「すみません、ちょっとお手洗いに!」


 タクミはダッシュで離席した。

 ドアに鍵をかけ、両手で顔をおおう。


「バカバカバカ、俺のバカ。神室さんは恩人なんだぞ。会社の偉い人なんだぞ。失礼にも程があるだろう。それに俺は成功して独り立ちするんだ。来年の今頃は別々に暮らしているんだ。考えるな、考えるな、考えるな……変な期待を抱くなよ……」


 毒を吐いたら気分が楽になった。

 手だけ洗ってからジンのところへ戻る。


「大丈夫か? 腹でも痛いのか?」

「いえ、平気です。本当に」


 麺が残り半分になったところで、ジンが調味料を持ち上げた。


「これで味変する」


 魚介パウダーと七味をスープに加える。

 タクミも真似してみると、まろやかな口当たりだったスープが一変して、パンチの効いた風味に早変わりした。


「一度で二度楽しめますね!」

「つけ麺の醍醐味だな。自分の好きなようにアレンジできる。だから最後まで飽きない」


 あっという間に食べ終わったジンが手を合わせて、ごちそうさまでした、を告げる。


「ありがとう、天野。お前がうちに来なかったら、今日も俺はオフィスにいた。そして社長の小言に付き合わされていたはずだ」

「いえ、俺は何も……」

「お前が存在してくれるだけで嬉しい。こうして外出するきっかけが生まれるからな。男二人でラーメン屋に入るなんて、大学生に戻った気分だ。これも天野のお陰だよ」


 タクミはスープを飲むフリをして、ニヤけまくりの口元を隠した。


「そのまま飲むと辛いぞ。スープ割りしないと吐くぞ」

「うっ……」


 今日もジンに笑われてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る