第28話 キスしてみませんか
あらためて水無月を観察してみた。
爪にマニキュアを塗っている。
小指にシンプルな指輪をつけている。
耳のピアス、コロンの香り、サラサラの髪。
小顔なのも相まって油断すると女の子に思えてしまう。
ジンとは違った色気にタクミの頭は酔いかけていた。
「見た目通りと言いますか、私はバイセクシャルですよ。女の人と寝る日もあれば、男の人と寝る日もあります。年上の人だったり、自分より若い子だったり、年齢層もマチマチですかね。自分の守備範囲を固定したくないのですよ。保守的になったら負けだと思っている側の人間なので」
「その……男の人と寝る時は……」
「圧倒的に挿れてもらう側ですね。私に声をかけてくる男性というのは、女の子みたいな男に興味がありますから。向こうが望むような役割を演じます」
耳朶を熱くさせる単語がポンポン出てくる。
なるほど、なるほど、と相槌を打つタクミもどうかと思うが、これもBL漫画の勉強のためと自分に言い訳しておいた。
「天野さんはアレですよね。男性と寝た経験はないですよね」
「ええ、一度もないです」
男性と寝た経験どころか、女性と付き合った経験すらないのだが、あえて触れないでおいた。
「男性と女性だと全然違うものですか?」
「チッチッチ。その質問はナンセンスですよ」
水無月の目が妖しさを増した。
「人間一人一人違います。女性だろうが、男性だろうが、同じ人はいません。主導権を握りたい女性もいますし、主導権を奪われたい男性もいます。決めつけるのは良くないです」
「なるほど。参考になります」
勉強のため、勉強のため……。
そう言い訳するのもいい加減限界だろうか。
「ものすごく失礼な質問を一個させてください。やっぱり性体験が水無月さんのインスピレーションを掻き立てるといいますか、創作のエネルギーになったりするのですか?」
「う〜ん、そうですね……」
水無月は真剣に考えている。
「セックス中とかセックス後にネタを閃くことは多いですよ。あまり意識してこなかったですが、創作につながっているのは事実でしょうね。でも、一点だけ弁明させてください。創作のためにセックスすることは基本ありません。創作とセックスは独立しています」
「分かります。職業病ですよね。つい漫画のことを考えちゃうのは」
「そうです。コントロールが利かない領域です」
くしゃりと笑う水無月のことを、不覚にも可愛いと思ってしまう。
「今度は私から質問させてください。神室さんと同棲しているのですよね。何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと、というのは?」
「ムラムラする瞬間とか」
タクミは思わず目を逸らしてしまったが、これほど分かりやすいリアクションもないだろう。
「つまり、あるのですね?」
「いや……その……お風呂上がりとかにですね、神室さんが腰にバスタオルを巻いた格好でリビングをうろつくのですよ。格好いいな、俺もああいう肉体になりたいな、とは思いますね」
「抱かれたいじゃなくて?」
「それはないです!」
つい大きな声を出してしまった。
タクミの反応を楽しむように、水無月はふっと笑う。
「ごめんなさい。意地悪な質問をしちゃいました。神室さんみたいな凛々しい男性、滅多にいるものじゃないですしね」
「いや、本当に何もしていませんよ、俺たち!」
「分かっていますよ」
水無月が前髪をいじくる。
そんな仕草すら美しくて、何度目か分からないため息をつく。
「天野さんが羨ましいな、と思っちゃいました」
「俺が、ですか?」
「はい、私が神室さんと同棲するなら、あの人を振り向かせられないかトライしたくなります。仕事と結婚しているような殿方じゃないですか。でも男である限り性欲はあるでしょう。神室さんだってムラムラする瞬間があるはずです。そのタイミングを狙って……」
「一緒に寝ると?」
「そうです。向こうから手を出してくるかテストします」
水無月の目が笑っていない。
本気で試したいのだろう。
「すみません、バカな質問をしました」
「いえ……」
不思議なことにタクミも水無月が羨ましいと思ってしまった。
自分も女の子みたいに可愛かったら……。
肌がきれいで、髪の毛が長くて、性体験が豊富だったら……。
ジンのような男前をよろけさせることが可能かもしれない。
一回でいい、思い出作りがしたい、あの逞しい腕に抱かれてみたい。
『お前のことが好きだ』と耳元でそっと囁かれてみたい。
BL漫画で習った行為を一から十まで試してみたい。
水無月だったら達成できるのではないだろうか。
そう思うと嫉妬の炎が胸の深いところを焦がしてくる。
「性体験とインスピレーションの話をしましたよね。よろしければ男とキスしてみませんか?」
「えっ? 俺と水無月さんが?」
「そうです」
迷う心にダメ押しするように、
「BL漫画を描く以上、男同士のキスシーンは避けられません。一度体験しておけば、見えてくる景色があるのではないでしょうか?」
と絶好の口実まで与えられてしまった。
「しかし、ここは皆さんの職場ですし……」
「パーティションで守られているから平気ですよ。それにキスといっても、一瞬だけ唇と唇を重ねるオーソドックスなやつです」
これも漫画のため。
タクミが一皮むけるため。
ジンや紫音の会社に貢献するため。
合理的な判断のはずなのに心臓は内側から爆発しそうになっている。
「私が相手じゃ不満ですか?」
「まさか……」
外堀は完全に埋められちゃったと、タクミも観念せざるをえなかった。
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