第18話 この出会いは運命

『アオにつづる』というBL小説だった。

 版元はK出版となっており、コミカライズで頓挫したトラウマがぶり返しそうになる。


 大きさは文庫サイズ。

 厚さから察するに三百ページ前後か。


「まあまあ売れたBL小説でね。漫画にしたらハマると思うんだ。何より天野くんの絵柄が似合うはずだ。これは運命の出会いになるかもしれない」

「ちょっとお借りしてもいいですか?」


 紫音は小説を寄せてきた。


 青年が二人、背中合わせに座っている。

 黒髪の方が主人公で、金髪の方が相手役だろう。

 二人とも誠実そうだな、というのがタクミの印象だ。


 あらすじにも目を通してみる。


 主人公は留年しまくりの大学生。

 ろくな就職活動をせずに、将来の目標なんてないまま、自堕落な日々を送っていた。


 昔から文章を書くのだけは得意で、小説を四冊出版したことがある。

 しかし読者ウケは芳しくなく、赤字とゴミを量産して終わった。


「これは胸にグサッと来ますね」

「経験者が言うと違うな〜」


 主人公は大学の文学部に籍を置いている。

 そこで一歳年上の男子と出会う。


「主人公が留年しているってことは、相手はさらに留年しているか浪人していますよね」

「そう解釈するしかないよね」


 その相手はゲイ、かつBL作家だった。

 しかも小説家として一定の成功を収めていた。


 なぜか気が合ってしまい、主人公もその道に引きずり込まれていく……みたいなストーリー展開である。


 コースから外れてしまった主人公という設定は嫌いじゃない。

 かくいうタクミだって、この主人公に負けないレベルの落伍者だろう。


「BLとかを抜きにしても惹き込まれるストーリーなんだ。読んだら分かるけれども、そこまで暗い話じゃないしね。何より主人公がクリエイターだから、天野くんは気持ちを表現しやすいと思う。創作における悩みとか、小説と漫画で重なる部分もあるんじゃないかな」

「言えてます。主人公が小説家っていいですね」


 本はタクミにくれるらしい。

 何回か読んでみて、気に入ったらコミカライズを進めよう、という話になった。


 パラパラとめくってみる。

 キスシーンの挿絵で手が止まる。

 男と男が唇を重ねているわけであるが、少しも嫌らしい印象は受けない。


『初めての相手が男って、どんな気分だ?』


 そんなセリフが視界に入ってしまい慌てて本を閉じた。

 タクミはキス未経験者だから唇のあたりが痒くなる。


「神室くんから聞いているだろうが、うちの会社はコミカライズに力を入れていく方針だ。BL部門だって例外ではない。そういう意味でも天野くんには期待している」

「一個だけ確認なのですが、俺がこの作品をコミカライズするとして、どなたが担当編集になってくれそうですか? 事前に教えてもらうことは可能でしょうか?」


 我がままを言えた立場じゃないのは分かっている。

 が、タクミはBL初心者なので、ベテラン相手だと心強い。


「そりゃあ……」


 紫音は自分を指差した。


「私が担当編集になるよ」

「えっ⁉︎ 紫音さんが⁉︎ 編集長自ら⁉︎」

「他の子を担当にするだろう。もし作品がコケたとするだろう。神室くんから恨まれるじゃないか」

「ああ……」


 余計な質問をしちゃったかもしれない。


「うちは発展途上の出版社だからね。編集長とは名ばかりで、私も神室くんも現場の仕事をやっている。まあ、私は嫌いじゃないよ、漫画家さんと打ち合わせするのは。だから天野くんと一緒に仕事をするの、実は楽しみだったりするんだ」

「そんな……恐れ多い」


 タクミのために『アオにつづる』という作品をチョイスしてくれた。

 この物語ならタクミの実力が発揮されると、紫音なりの観点で判断してくれた。

 しかも担当編集まで買って出てくれた。


 コケたらジンから恨まれる。

 あの一言は冗談だと信じたいが……。


 大きすぎる優しさに触れたせいか、タクミの創作欲はピークに達する。


「紫音さん、そろそろあの禁を破ってもいいですか。漫画を一切描かないという縛り」


 紫音は力強く頷く。


「いいよ。思う存分ペンを握りたまえ」

「ありがとうございます!」


 この出会いは運命かもしれない。

 帯にそう書かれた小説を、タクミは真新しいビジネス用バッグに突っ込んだ。

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