第15話「耳舐め風逃げ鳥魚〜現実の冷たさを添えて〜」(3)
夜もまだ初めの頃。
僕らは薪を組んで、火を燃やし、晩ご飯を作っていた。
馬車には、着火剤や鉄鍋、おたまやらなんやら、おおよそ旅に必要なものが一通り揃っているようだ。
竜神山で苦労したのが、もはや懐かしい。
やはり文明は偉大だ。
今晩は、ガルのリクエストで魚の塩焼きだ。
最初は「ハヤブサ焼きにするか……?」と、ハヤブサを見ながら涎を垂らしてたけど、却下された。
アリアのグーパンで一発だ。
ハヤブサだけど、あれからずっと僕らの周りにいる。
アリアは随分と気に入ったようで、ピケー、ピケー、と勝手に名前を付けて呼んでいた。
ピケーもピケーで、アリアに懐いている。
僕のとこには呼んでも来ないのに、アリアに呼ばれたらパッと飛んで行くのだ。
なんか負けた気分だ。
取ってきたばかりの川魚を、太くて長い鉄串にS字に刺して、軽く塩をまぶしていく。
料理はガルの担当らしく、魚の調達から下拵えまですべて手際よくこなしていた。
プロの技を感じる早さだ。
魚の串を、火の外周、やや遠めの位置に突き刺していき、ガルは薪の炎を調節する。
「魚は焼くのに時間がかかる。遠めの火で焼くからな。だが、調理してる過程も美味いもんだ。全身で魚の旨みを感じれば、一時間くらいはあっという間だぜ 」
と、玄人の顔で語るガル。
普段気怠そうにしてる姿からは考えられないほど、ガルは食に勤勉だった。
「よく見てろ 」
ガルの言葉に、素直に魚をじっと見る。
暗闇に、ぼんやりと燃える薪の火。
その外周に並ぶ、串に刺さった川魚。
新鮮でよく身のついたぷりぷりの体に、青銀色の皮が光る。
「直接火を当てないのがポイントだ。すぐ火を通しちまえば、べちゃべちゃになったり、パサパサになったりする。けど、こうやって強火かつ遠火でじっくり焼いてやれば……見ろ、表面を脂の汁が伝ってるだろ 」
ガルの指差す先。
魚の表面に滲み出した透明な水分が、頬を伝う涙のようにぽろぽろと流れ落ちている。
「あれが余分な脂分だ。あれを吸っちまうと、魚は不味くなっちまう。この焼き方なら、皮はパリッとして、身はジューシーでホクホクになる。しかもヒレまで美味い 」
じゅる……と涎を拭うガル。
僕まで口の中に唾液が溜まってきた。
からからの胃がぐぐぅ……と鳴る。
それからガルは、火加減や魚の火の当たり方を調節しながら、三十分ほどじっくり焼いた。
青銀色に光っていた新鮮な皮は焦げ色に変わり、表面からふつふつと脂を垂らしている。
ぱちっぱちっと脂が弾けて、香ばしい煙が辺りに漂い始めた。
「そろそろ……だな 」
「待ってましたー!」
ガルの呟きに、アリアは真っ先に反応して、串を一本抜き取った。
すかさずカブッと齧り付く。
「う〜ん!美味しい!」
両足をジタバタさせて、アリアは幸せそうに咀嚼する。
「今日のも美味いな 」
「だろ?」
カブラさんの賞賛に、自慢気に鼻を鳴らすガル。
僕もリリィも、喉を鳴らして串を手に取った。
串の端を掴み、手元の魚に視線を落とす。
鉄串から感じる熱。
立ち登る香ばしい湯気。
じっくり黄金色に焼き上げられた身。
弾ける脂。
「覚えとけ。川魚は、背中側が美味い 」
ガルの方を見る。
ガルはニヤ……と笑って、魚の背中側に齧り付いた。
僕もそれに倣い、同じ箇所を口に運ぶ。
パリ……ッと裂ける皮の感触。
ぷりっとした香ばしい身。
僅かに舌に触れる塩味。
口腔に広がるさっぱりとした脂の旨み。
「美味しい……!」
その美味さたるや、名だたる王宮の食事にも比肩する。
脱帽だ
むしろこっちの方が美味しく感じる。
「味もそうだけど、何より香りが良い……」
「へへ……」
燻されたような甘く深い香りが、鼻からすうっと抜けていく。
堪らず、もう一口いきたくなる。
「はぐ……はぐ……」
おいしい。
僕が夢中で食べていると、ふとリリィがこちらを見ているのに気が付いた。
「……どうかした?」
「んと、ファウスト……」
リリィは逡巡している。
少しの間のあと、リリィは食べかけの魚の串を、僕に差し出した。
「私のも、食べる……?」
いじらしい仕草。
リリィも食べたいだろうに……僕が喜ぶと思って、渡してくれてるのか……?
「リリィ……」
「要らないなら私が貰うわ!」
僕が話そうとしたタイミングで、横からアリアの手が伸びる。
もう食べ終えたらしい。
ギリギリのとこでひょい、と串を上げてアリアを躱すリリィ。
「あ、あげない……!」
「なんでよ!」
「む……」
「今ね!」
質問に押し黙るリリィ。
その意識の空白を狙って、アリアがすかさず手を伸ばす。
リリィはまたもやひょいと躱す。
「ぐぬぬ……」
アリアは悔しそうに歯軋りする。
ムキになって、リリィから魚を奪おうと躍起になるアリア。
飛び掛かり、フェイントをかけ、死角を取る……。
しかし、どれだけやっても躱す躱す……。
それを面白がったガルも混ざって、場は混沌とし始めた。
「元気なもんだ……」
「ははは……」
暴れ乱れる三人を眺めながら、カブラさんは独りごちた。
「ところで 」
「はい?」
「お前、ファウストっていうんだな、名前 」
「えっ 」
思わぬ台詞に、心臓が飛び出そうになる。
……あ、さっきリリィが言ってたか。
「お前、本当に事情複雑なんだな……」
「えぇ……」
もう隠してもしょうがないかと、僕はターバンの僅かに空いた目元の隙間を押し拡げる。
特徴的な蒼い眼を見て、カブラさんはとても渋い顔をした。
「まぁ、恩は恩だ……仇で返すような真似はしねぇよ。約束は守る 」
「ありがとうございます……」
「けどな、悪いが、俺にとっちゃあの二人の方が大切だ。もしもの時があるならば……俺はお前らを切り捨てる選択をする……そこんところを、覚えておいてくれ 」
「……はい 」
カブラさんは、僕の顔を見ない。
冷たい現実。
夜の風がびゅうっと吹いて、薪の炎を揺らして行った。
魚争奪戦はもつれた挙句、串が地面に落ち、ピケーが美味しく頂くと言う結果に終わった。
ヘソを曲げたリリィを全員で慰め、謝り倒し、夜も大分に更けた頃、僕らは床に就いた。
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