第7話「おいでよ!竜神の里!」(1)


 竜神の里。


 竜神山、山頂付近、標高三万フィートを越える極寒の地に、その里はある。



 そこは、氷雪に覆われた白銀の山嶺さんれい


 崖と言って差し支えないけわしい傾斜と、生命の寄り付かない純白の世界が、そこにはある。



 もっとも、それら環境による過酷かこくさは、竜人たちにさしたる痛痒つうようも与えないだろう。



 翼を持つ竜人族にとって、平らな大地さえも必要なものではない。


 超低温や高気圧すらも、彼等にはあってないようなものである。



 だからこそ、彼等は何万年もの永い間、竜神の里に住み続けているのだ。



 そんな竜人たちの暮らす里、当然、一般的な集落と同じ姿はしていない。



 竜神の里は、半ば宙に浮いている。


 竜人族独自の魔術と工学によって、急勾配こうばいに対して、垂直に家を生やすのだ。



 シルバーグレーの石の箱。


 その無骨な箱型が、里の一般的な家の形だ。


 ただ、そこにあり続ける頑丈がんじょうささえあれば、彼らには充分じゅうぶんなのだ。



 また、里に道らしい道はなく、代わりに家と家をつなぐ簡単な階段があるのみ。


 手すりもないき出しの石段が、山嶺さんれいに建ち並ぶ家屋ひとつひとつをつないでいる。



 遠くから竜神山を眺めてみると、真っ白い山肌に巨大なシルバーグレーの紋様もんようが浮かんでいるように見えるらしい。


 里の家屋と階段が、山肌に沿って幾何学きかがく的に並んでいるから、そう見えるのだとか。


 その雄大さと幻想的な美しさは、『世界の絶景百選』に数えられるほどだ。



 しかしと言うべきか、竜神の里を訪れる人は全くいない。


 何故か。


 ズバリ、「行ったら死ぬ」からである。



 第一に、魔物が強い。



 山道こそ整備されてはいるが、竜神山の魔物は凶悪だ。


 燃えない魔樹エルダートレントに、家屋程の牛タイラントカウ猛毒蛇ヴィオレットスネークに、トドメに白竜。


 よっぽどの強者つわものでもないと、竜神山を登ることすらままならない。



 第二に、山が高い。



 里までの標高は恐ろしいほど高い。


 並の人間では高山の気圧と酸素濃度に耐えきれない。


 体を慣らすため、登頂への時間を掛けているうちに、魔物に襲われジ・エンドだ。



 第三に、別に歓迎されてない。



 竜神山はそも、竜神のしずまる山だ。


 わば、竜人族ドラゴニアや純竜にとっての聖域。


 山頂には竜神の神域まである。


 そんな竜神山を、余所者よそものが踏み荒らすなど、竜神を信仰する竜人族ドラゴニアや純竜たちが許すはずもない。



 噂によると、かつて竜神の里まで辿り着いた冒険者たちがいたそうだが、パーティーメンバーを半分にされたうえ、里を追い出されたそうだ。



 怖いね。竜神の里。



 まぁ、いるんだけどね。今。


 その竜神の里に。







◇ーーー







 上等な革靴かわぐつに足を通し、靴紐くつひもを結ぶ。



「何から何まで、有難ありがたいです 」


「いえ、当然のことです。サイズは問題ないですか?」


「はい 」



 キュ、と靴紐くつひもを結び終えて、立ち上がり、鏡の前に立つ。



 映るのは、青地に黒の革靴かわぐつ、白色のズボン、白革のコートを着た自分だ。


 相変わらず、真っ白で、目だけ青い。


 片耳には、金のイヤーカフが着いている。



 このイヤーカフは魔道具で、僕が高山の環境で苦しくならないよう、保護してくれているらしい。



「お似合いです。とても 」


「どうも 」



 侍女みたいにかしこまった態度で、アゥスファさんはお世辞を言ってくれる。



 アゥスファさんの横には、洋服やら化粧道具やらを抱えて待機しているメイドさんが何人も並んでいて、鼻息を荒くしていた。


 メイドと言うよりは、家事手伝いみたいな装いだ。



 懐かしい。


 王宮にいた頃、人前に出る時はよくこうして着せ替え人形にされたものだ。



 チラと部屋のすみに視線をやる。


 そこにいるのは、壁際に寄り掛かって、腕を組み、こちらをにらむイェルガさんだ。


 彼の視線が強い。


 背中がビリビリする気がする。



 僕の視線の途中にいたメイドさんたちが、何かこそこそ話し始めたのを見て、僕は顔を前に戻した。



「では、次はこちらの椅子に座ってーー」



 アゥスファさんの指示に従い、次々と身支度みじたくを済ませていく。



 竜神様に拝謁はいえつする準備、だそうだ。


 不潔ふけつなものはお出しできないんだろう。



 ……食べられやしないか、ちょっと心配だ。







 一時間程前、僕がスープを食べ切って落ち着いた頃合いに、アゥスファさんたちは部屋に戻ってきた。


 色々と、謝罪や感謝のやり取りなんかがあって、僕は早速本題を聞いた。



「僕、どうして連れてこられたんですか?」



 アゥスファさんは答えた。



「竜神様があなたを連れてくるよう、お命じになられたからです 」と。



 竜神。


 旧世界に君臨くんりんしていた旧神の一柱。


 "竜"という概念のことごとくをつかさどり、聖典曰くーー『最強の神』。


 【神聖】神話では、真っ先に【魔神】に討たれた噛ませ犬の神でもあるが、現在まで生きているらしい。


 僕も噂でしか知らないけど、竜人族ドラゴニアたちが今でも竜神様を信仰しているのは知っていた。



 特に断る理由もなく、僕は竜神様への謁見えっけん承諾しょうだくした。







 そして、今に至る。



「この青い火傷痕やけどあと、一体何なんでしょうね?」



 腕の火傷痕やけどあとに包帯を巻いてもらいながら、僕はアゥスファさんにたずねた。


 アゥスファさんは、ふむ、と一瞬考える素振そぶりを見せて。



「分かりませんね。私が見たときには既にこのような状態でしたが……竜神様ならば、答えを知っているかと」


「そうですか……」



 今のところ、あとが痛んだりはしていないし、大丈夫だと思いたいけど……。



「……そろそろ、時間だ。そこら辺にしておけ 」



 ずっと黙っていたイェルガさんが、ふと口を開いた。



 イェルガさんの言葉に、色とりどりの衣服を持って準備していたメイドさんたちが、一斉いっせいに彼をにらんだ。


 イェルガさんが「あ?」とドスを効かせてうなると、メイドさんたちは一斉いっせいに目を逸らす。



 その様子を見て、アゥスファさんは苦笑いしつつも、イェルガに賛同するようにうなずいた。



「あぁ、そうだな。では、準備はこのくらいにして、竜神様の元へ参りましょう。【神聖】殿 」


「はい 」



 僕は椅子いすから立ち上がった。







 宙に迫り出している鉄色の屋敷を出ると、外は白銀の世界。


 白い壁のような山肌に沿って、人が五人は並んで通れそうな幅の、銀白色の道と階段が続いている。


 秘境には崖側がけぎわを通る道や橋がつきものだけど、ここの道はずいぶん頼もしそうだ。


 くろがねの道って感じ。


 まぁ、それはそれとして、通るのは怖いけど。



 アゥスファさんが先導し、僕が真ん中、イェルガさんが後方、という並びで進んで行く。

 


 景色が良い。


 み渡る青空に、眼下に広がる雲海。


 鋭い山脈には陰影いんえいがついて、その白さが際立きわだっている。


 遠くの方では、赤竜や青竜、白竜なんかが気持ちよさそうに空を揺蕩たゆたっていた。


 

 ただ、悠長ゆうちょうに景色を眺めている暇はなかった。


 竜人二人の進むペースがやたら早いので、僕は階段を登るのでいっぱいいっぱいだ。



 僕がひそかにひいこら言いながら階段を登っているとーー遠くから声が聞こえてくる。


 段々近づいて来る声。


 しかし、周りには僕たち以外に誰もいない。


 僕がキョロキョロと辺りを見回すと……。



 ビュン!と下の方から人が飛んできた。



 驚愕きょうがくに、体が跳ねる。



「あ!アゥスファ様にイェルガ様じゃーん!こんにちはー!!」


「こら!白竜騎士様に向かって!ごめんなさーい!白竜騎士様ー!!」



 飛んできたのは、10歳くらいの少年と少女。


 彼らは楽しそうに、背中の翼をはためかせて、あっという間に空の彼方かなたへ飛んで行く。



 悩みなんて何にもなさそうな彼らの姿を、僕はしばらく目で追っていた。


 青い太陽が、僕の目を焦がす。



「申し訳ありません、【神聖】殿。驚かれたでしょう?」



 アゥスファさんが肩越しに振り返りながら、苦笑いで謝る。



「いえ、なんというか……素敵ですね 」


「ふふ、そうですか?」


「ええ 」



 僕は本心からそう思って、胸の金具を一つ外した。


 ちょっと、息苦しかったから。




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