第14話「朝露」(3)


 朝。


 霧の明朝。


 僕らは睡眠もそこそこに、夜明け前から支度を始めた。



 ちなみに、僕が起きたときには、リリィはもう起きていた。


 ちょっと悔しい。



 頭にターバンみたく外套をぐるぐる巻いて、不審者コーデ完了だ。



 音を立てぬよう、こっそりとリビングに出てみると、テーブルの上に履き古した革靴が置いてあった。


 その脇には『リリィちゃんに』と書き置きが。



 ソプラさんが気を利かせてくれたらしい。


 なにからなにまで……感謝のしようがない。



 リリィの足にはやや大きかったけど、ないより百倍マシだ。


 ありがたく、使わせてもらおう。



 僕はお礼として、テーブルに小瓶をひとつ置き、書き置きの端に文を書いた。



『体に良い薬です。是非飲んでみてください 』



 ……胡散臭いかな。


 まぁ、いっか。



 竜神山で貰って以来、温存していた白竜泉の小瓶。


 怪我をしたときに使うか、お金に困ったら売ろうと思ってたけど……。


 ……この使い方が一番良いだろう。



「そろそろ行こっか 」


「ん 」



 忘れ物ないかな。ないな。リリィもいる。


 よしよし。



「霧が出てて良かった。このまま、姿を隠してウィンリッドを出て行こう。誰にも見つからないはず……」



 言いながら、僕は玄関の扉を開ける。



 目の前に、若い女性……フィオネさんがいた。



「…………」


「…………お、おはようございます……」



 渋い顔のフィオネさん。


 鉢合わせてしまった。



「……早く行って 」


「は、はい……」



 言われるがまま、僕らはそそくさと逃げ出した。







 霧の中を駆け走る。


 姿を眩ませるうちに、できるだけ遠くへ行った方が良い。



 冷たい湿気。


 湿った朝の匂い。


 肺に溜まっていく。



 そろそろ街の門、という頃、人の話し声が聞こえてきた。



「ガルのやつ、まだ来ないわね!」


「呼びに行くか?」


「…………どうせすぐ来るわよ!」



 聞き覚えのある声。



 霧の向こう、門の脇側に、大きな馬車の輪郭がぼんやりと現れてくる。



 昨日の少女と、カブラさんだ。



 足を止める。


 荒い呼吸を整えながら、彼らを刺激しないようゆっくりと近付いていく。



 カブラさんと目が合った。



「……何の用だ 」



 さっきまでとはまるで違う、底冷えするような低い声。



 しん……と辺りが静まり返る。



「……何も 」


「……なら、さっさと行け 」



 氷のように冷たい威圧感。

 


 僕は黙って頷いて、彼らの脇を通り抜けていく。



 カブラさんは、僕らから目を離さない。

 


 僕もリリィも、もう通り過ぎる……というとき。



「……その靴、どうした 」



 カブラさんが口を開いた。



 心臓が跳ねる。



 カブラさんの問い掛けに、目だけ視線をやるリリィ。



「…………もらった 」



 ぽつりと語るリリィの声。



 朝霧に染みていく、沈黙。



「そうか……」



 呟く、カブラさん。



「ーー気が変わった 」



 霧が歪む。


 冷たい陽炎に、ゆらゆらと重く揺らめく空間。


 ゆっくりと、氷のような殺気が足元に満ちていく。



 実行可能な殺意。


 その氷点下の冷たさが、喉元までじわじわと這い上がってくる恐怖。

 


 体が竦む。



 凍えるように、奥歯が震える。



「ーー……やるの?」



 リリィの気配が変わる。


 その小さな体から、常闇のような鈍い圧迫が滲み出す。



 形容できない不明の闇。


 果てしなく巨大で、果てしなく広大で、あるいは、極限まで狭い。


 理解不能の圧迫感。

 

 

 カブラさんの冷たい殺気を押し潰し、リリィはただ、カブラさんを睨んだ。



「ま、待ってください!何かの誤解です!話し合いましょう! 」



 僕は二人の間に割って入り、対話を呼びかける。



「そうよ!まずは説明しなさいよ!」


「……少し黙ってろ 」


「黙ってろじゃ分かんないわよ!」


「…………お前は、逃げる準備だけしとけ 」



 カブラさんの額から、冷や汗が落ちる。


 同時に、背中の大剣に指をかけた。



 一触即発。



 そのとき。



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