第14話「朝露」(4)
「間に合った!いるよ!おーい!」
霧の向こうから、フィオネさんの声が聞こえてきた。
声の方に目を向ける。
そこには、フィオネさんと……ソプラおばあちゃんがいた。
「ソプラさん……!?」
息も絶え絶えの様子で、フィオネさんに支えられながら歩いてくるソプラさん。
その両目が……空いている。
「目が……」
カブラさんが呆然とした様子で呟く。
さっきまでの空気は霧散していた。
「貴方のくれた霊水を飲んだら、おばあちゃんの目、見えるようになったの!」
「それは……良かったです 」
フィオネさんは興奮冷めやらぬ様子で僕に語る。
白竜泉ってそんな凄いのか……。
ソプラさんは僕の手を取って、縋るように頭を下げた。
「ありがとう……!それだけ、どうしても伝えたくて……良かったわ……!ありがとうね……!」
「……僕の方こそ、ありがとうございます。靴も頂いて……」
「いいのよ……全然 」
ソプラさんは顔を上げて、くしゃっと笑った。
……なにか、胸の内から込み上げてくる。
熱くて、水っぽくて、切ないなにか。
僕は奥歯を噛み締めた。
「リリィちゃんも、あぁ……こんな可愛いお顔をしてたのね 」
「む……」
リリィは棒立ちのまま、ソプラさんにハグされていた。
ちょっと困惑顔だ。
ソプラさんはリリィから腕を外すと、辺りを見渡す。
「すいません……お騒がせして……」
「あ、いえ……」
目を逸らしながら、返答するカブラさん。
何を思ったか、ソプラさんはカブラさんをまじまじ見つめ出した。
一歩、二歩、とカブラさんに近付いていく。
腕を伸ばし、ぺた、ぺた、とカブラさんの腕を触った。
「おぉ……おぉ……カブラ……!」
「……………………」
「アンタ、随分と大きくなって……あぁ……」
カブラさんの目頭がカッと赤くなって、目に涙が溜まっていく。
「ごめん……俺……」
「いいのよ……ホントに……」
ソプラさんも、よく似た泣き顔だ。
立ち込めていた霧が、だんだんと晴れていく。
「あの人、ソプラさんの子供なの 」
フィオネさんが教えてくれた。
カブラさん、ソプラさんの息子さんだったのか……。
冒険者になったっきり、戻ってきてないって話だったけど……本当は昨日みたいに帰ってきてたんだな。
なんで正体を隠してたんだろう。
……喧嘩別れでもしたのかもしれない。
ソプラさんは本当に嬉しそうに、カブラさんの顔を見つめている。
初めて、自分の子供の顔を見れたのかな……。
霧はすっかり晴れてしまって、眩しい朝陽が登っている。
青空の青は、いつにも増してすっきりとしていた。
「良かったぁ……」
ハンカチ片手にボロボロ泣くフィオネさん。
ふと、リリィが僕の隣に来た。
「私には……よくわからない 」
本当に小さく、リリィは呟いた。
僕はそれを聞いて、嫌な気持ちはしなかった。
なんだか、ストンと心に落ち着いた。
「僕も……そうかもしれないや 」
「そっか……」
そっと、リリィの手を握る。
リリィはその手を、強く握り返した。
寝ぼけ眼で寝癖を撫でつけながら、獣人の少年ーーガルはとぼとぼやってくる。
彼は目の前の光景に、しばらく立ち尽くすと。
「…………なにがどうなってんの?」
ぼそっと疑問を吐き捨てた。
「悪かったな……」
「え、あぁ、いえいえ 」
突然、僕はカブラさんに話しかけられた。
彼は鼻頭を赤くしたまま、バツ悪そうにしている。
「この恩は、返さねぇと気が済まねぇ。それで……お前たち、これからどこ行くつもりだったんだ?」
行き先を聞く……?
聞いてどうするんだろう。
……まさか、僕らの逃亡に協力してくれる気だろうか。
それか、行き先を聞いた上で捕まえるとか。
……流石にないか。
「…………ヘルデニカに 」
「私たちとおんなじね!」
間髪入れずに言うアリア。
カブラさんはニヤッと笑った。
「なら都合が良い。ヘルデニカまで、一緒にどうだ?」
カブラさんは馬車をぽんぽんと叩いた。
「良いんですか?その……」
「あー、クエストのことなら心配いらねぇ。指令に背いたところで、特に罰則はないし……バレなきゃどうとでもなる 」
カブラさんはフィオネさんに視線を向ける。
フィオネさんはウィンクして返した。
「どうだ?」
カブラさんの問いに、僕はリリィの方を見た。
リリィはいつも通りの顔で、真っ直ぐ僕を見つめている。
「……ファウストがいいなら 」
真面目な顔。
いつも通りだ。
周りの人たちの顔を見渡す。
カブラさん、ソプラさん、フィオネさん、アリアに、ガル。
みんな、悪い人間の顔ではない。
信用……できるかは分からないけど、信用したい。
……よし。
「じゃあ……よろしくお願いします 」
「おう。よろしくな 」
「よろしく!」
「……うす 」
挨拶を交わす僕ら。
カブラさんはニヒルに。
アリアは元気に。
ガルは気怠そうに。
「じゃあ、早速行くか!」
カブラさんの一声で、いの一番にアリアが馬車に乗り込んでいく。
自慢気に、「最初に見たときからこうなると思ってたのよ!」「私見る目あるでしょ!?」とかなんとか騒いでいる。
「私もごめんね。冷たくしちゃって 」
「お気になさらず 」
「……貴方達とっても素敵よ。頑張ってね。応援してる 」
「ありがとうございます 」
居心地悪そうに笑うフィオネさん。
声が優しかった。
「いつでも会いに来て。また一緒に、紅茶を淹れましょ 」
「はい。楽しみにしてます 」
「ん 」
寂しそうに笑うソプラおばあちゃん。
僕とリリィ纏めてハグをする。
「カブラ……」
最後に、ソプラさんは御者台に座るカブラさんに話しかけた。
「……元気でね 」
「…………母さんも 」
短いやりとり。
……それで、十分らしかった。
「リリィ 」
「ん 」
僕はリリィの手をとって、一緒に馬車に乗り込む。
清々しい朝露の粒が、風に乗って流れていった。
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