第11話「僕が許す」(2)


「ありがとう……ごめん……」



 僕は結局、リリィを救えなかった……んだと思う。



 頑張った……と、思うんだけどな。


 でも、ダメだった。


 僕は、しがらみも何もかも吹っ飛ばして、君を救うヒーローにはなれなかった。



 涙が滲んでくる。


 

 僕には、その涙が汚いもののような気がして、さっさと拭ってしまった。



 冷たい風が、ふぅっと優しく吹いていた。





「……ズルいよ 」



 背後から、少女の声。



 振り返る。



 俯くリリィ。


 枯れ果てたような気配を纏って、ひとりの少女が立っている。



「……わかった。見せてあげる。全部 」



 だらんと垂れたリリィの手が、ゆるゆると伸ばされて……僕の頬に触れた。



 途端、景色が歪む。



 世界はぐにゃぐにゃに引き伸ばされ、ミルクココアみたいに景色が混ざっていく。



 質量も形状もぐちゃぐちゃの世界で、唯一形を保つ僕とリリィ。


 リリィの目は、煌々と赤い輝きを放っていた。



 目が熱い。


 瞳孔が開いていくのを感じる。



 ーー何か、見えてきた。



 何もかもが混ざり合い、均一に黒くなった世界の向こう側。



 浮かぶ、赤い恒星。



 果てしなく巨大で、果てしなく遠くにある、その赤い恒星は、ウットリと僕らを見つめている。



 そして、恒星は、眩い光の束を放つとーー。



 ーーノイズが走る。



 ブツっと視界が途切れ、気付けば蛍の小川は元の姿を取り戻していた。



 パチッと僕の頬で火花が散って、リリィが手を引っ込める。



 僕の体には、何も異常はなかった。


 リリィにも、特に外傷は見られない。



「なんだったんだ……今の……」



 ゾワゾワした。


 今も肌が粟立っている。



 ……見てはいけないもの、だった気がする。



 リリィは引っ込めた手を、もう一方の手で軽く握ると、しばらくフリーズしていた。


 そして、自分の体を抱きかかえるように、ゆっくりと腕を組んだ。



「そっ……か 」



 リリィは、苦笑いとも、嘲笑とも取れる、曖昧な笑みを浮かべた。


 乱れた長い前髪に、両目が隠れている。



「私、どこで間違えたんだろ……」



 リリィの頬を、一筋の涙が伝った。



 自分の心臓に、ナイフが刺さったような感じがした。


 僕はリリィの心の内がよく分からなくて、閉口するしかなかった。



「もう……許されないんだ……私……ずっと……」



 ポツ、ポツ、とか細い声で、リリィは話す。



「ずっと……ずっと……! ずっとずっとずっとッ……!! 誰にもっ……!」



 震えるリリィの声。


 叩きつけられる思いの丈たけは、あまりにも大きくて、僕は呼吸を止めた。



 風に揺れて、森がざわめく。


 暗闇の中で、フルフル震えている。



 僕は、そっと右手を持ち上げて、リリィの頬へと伸ばした。


 リリィの体が強張る。


 

 一歩下がるリリィ。


 僕はそれより早く、半歩前へ出た。



 五指が、リリィの頬へ触れる。


 あったかくて、柔らかい。


 血の通った、人間の体だ。



 僕はひっそりと呼吸を整えて、リリィの目を正面から見つめる。


 リリィの顔は強張ったまま、困惑した表情で、僕を上目遣いに眺めている。


 視線が絡み合う。



「……僕が許すよ 」



 ゆっくりと、一音一音丁寧に。


 安心させるように。


 想いが伝わるように。



 僕は五指の指先に、ほんの小さく『浄罪の炎』を灯した。



 ジュッ……と、肉の焦げる音。



 リリィはビクッとして目を瞑る。



 申し訳なさを抱きながら、僕はリリィの頬から手を離した。



「なに……を……」



 僕が触ったところを指で確かめるリリィ。



 リリィの左頬には、青黒いアザが付いていた。

 

 目の縁と頬の輪郭をなぞるように並んだ、五つの痕。



「君を許す 」



 僕はリリィにそう告げた。



 呆然とするリリィ。


 唇を引き結んで、鼻をすんと鳴らして。


 眉がくしゃっと歪む。


 鼻頭が赤く腫れた。


 リリィの真っ赤な双眸が、更に真っ赤に腫れて、瞳が潤んだ。


 目尻から、ぽろっぽろっと涙が零れ落ちていく。



 僕はそっとリリィの片手を掬い取った。


 そこから、恐る恐る、リリィを抱き寄せる。


 リリィの体は思っていた以上にずっと小さかった。



 震えるリリィの体。


 小さく鼻を啜る音。



 前抱きしめたときとは全然違う。


 体の大きさも、声も、匂いも。


 でも、確かに、リリィだった。



 リリィが腕を僕の背中に回す。


 弱々しく背中を引っ掻くリリィ。



 僕はリリィを力強く抱きしめた。


 密着する体。


 心臓の鼓動さえ、肌を通じて伝わってくる。



「ぅ……ぅう……」



 リリィが嗚咽おえつを零こぼす。


 背中に回された腕が、より一層強く抱きしめ返してきた。



 リリィの長い髪を、ゆっくり撫で梳とかす。


 リリィは、顔を僕の肩に強く押し付ける。



 しばらく、僕らはそうしていた。


 体温が混ざり合って、拍動がだんだん揃っていく。



「……ありがと……」



 秘密を打ち明けるように、ひっそりと囁く。



「……ズルいよ 」



 喜色に濡れた声で、リリィは答えてくれた。





 無数の蛍が煌めいて、僕らの周りを踊っている。


 星々が地上に降りて、揺蕩たゆたっているかのような。



 静かな夜。





 やがて、日が昇ってくるだろう。





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