第13話「紅茶色の湯浴み」(1)


 


 石畳の丘陵を下り落ちる。


 ウィンリッドの街外れ、草木の覗く街と林の境目を、僕らは駆け降りていた。



 甲冑を鳴らして歩いてくる音が、背後に迫る。



 僕はリリィの手を引いたまま、バッと路地裏に飛び込んだ。

 

 大人では通れない細い路地裏。



 衛兵たちが色々騒ぐのを聞きながら、僕とリリィは薄暗い道を進んでいく。



 カラカラの喉を焦げつかせながら、僕は荒い呼吸を整えて、背後を確認した。



「なんとか撒けた、か……」



 ふぅ……と長く息を吐く。



 汗と泥、路地裏のススで、体がベタつく。



 リリィの顔にも、大きな汗の粒が見える。



 ひりつく肌。


 クラクラする頭。



 僕らは暫く荒い呼吸を整えながら、ゆらゆらと路地裏を進んでいった。







 ギルドでの騒ぎを聞きつけた衛兵たちに、僕らは追われている。



 そういえば、暴行罪って普通に捕まるやつだ。


 殺伐とした時間が長かったから、つい忘れていた。



 捕まったとして、罰金で済めばいいけど、件の少年と少女だと分かってしまえば、もうおしまいだ。


 何をされるか分かったものじゃない。



「はぁ……」



 失敗したな……。


 まさか、竜人たちが冒険者ギルドに依頼を出すなんて……。


 人里に降りてこないって話はなんだったのか。


 ……それだけ、本気ってことか。


 本気で、僕とリリィを殺すつもりなんだ。





 路地裏が終わる。


 僕はそこらに衛兵がいないことを確認して、そーっと小道へと抜ける。



 大丈夫そうだ。



 僕は背後のリリィを確認すると、小道をゆっくりと歩き出した。



 随分と下の方まで来たらしい。


 遠くに見えた湖が、今は目の前いっぱいに広がっている。



 太陽は真上を過ぎて、傾き始めていた。





 冒険者ギルドが敵に回ったと考えると……気が遠くなる。


 あの、冒険者ギルドが。


 ……絶望的だ。


 国にも、ギルドにも、竜人たちにも、衛兵にも、追われて、命を狙われて……。


 生きた心地がしない。



 それに、冒険者ギルドが使えないとなると、僕にはもう金を稼ぐ手段が思いつかない。


 ずっと無一文だ。


 逃げ続けるにせよ、旅は過酷なままになる。


 鞄も水筒も、充分な衣服も、リリィの靴さえ、買えない。



 頼りにしてたアレも、この状況では売るに売れないし……。



「……ごめん、リリィ……しばらく、大変になると思う 」



 独り言を呟くように、後ろのリリィに語った。



 長い沈黙。


 いつの間にか逸れてしまったかと、僕の心に心配が湧き上がった頃。



「ごめんなさい……」



 蚊の鳴くような声で、リリィは謝った。



 胸がきゅっとなる。



 僕は振り返って、リリィの目を見た。



「……いいんだよ。リリィばっかり悪いわけじゃない……僕は、リリィを責めたりなんかしないよ 」



 リリィはちらと僕の顔を見上げて、また俯く。


 泣きそうな顔だ。



「わ、私も……ファウストを責めたりしないよ 」



 リリィは震える声で、ぼそっと返事をした。



 僕は苦笑して、なんて返せばいいか分からなくて、俯いたままのリリィの頭をぽんぽんと撫でた。



「……一緒に頑張ろう 」


「うん……」



 リリィはこくんと頷いた。





 歩きながら、考えを纏める。



 僕には、これといった人生経験がない。


 だから、こんなとき、どうしたら良いのかの指標が殆どない。


 「お金があればどうにかなる!」とは思ってたけど、お金がないんじゃお手上げだ。



 考えよう。



 まず第一に、死なないこと。


 そして、死なせないこと。



 難しい問題だ。


 僕もリリィも、命を狙われている。


 ルリオス王国に、アグナス皇国に、竜人たちに、冒険者に。


 とても対抗しきれる相手じゃない。


 なら、逃げるしかない。



 どこへ逃げるか。


 ルリオスやアグナス、冒険者の影響が少なく、竜人たちに見つからない場所が良い。


 外国。


 それも、遠い国が望ましいか。



 候補は……三つくらいかな。



 荒野と砂漠の広がる天竜大陸最大の国、"天竜王国"。


 森神大陸の千年森に住まうエルフの国、"アウ=ラタ共和国"。


 多種多様な獣人の住む列島群、"獣王列島"。



 他に選択肢はない……気がする。


 冒険者と神聖教国家の手の届かない場所というと、僕にはこの三つしか思いつかない。



 よし、じゃあ、三国のいずれかへ逃げ延びることを目標にしよう。


 そのために、最低限必要なもの……。


 船の代金。


 ……その前に、船が出る場所へ行くことか。



 なら、次の目的地は決まりだ。



 境界都市ヘルデニカ。



 ルリオス王国とアグナス皇国の境界に位置するこの都市国家は、世界各地のあらゆる地点と航路を繋いでいる。


 先に上げた"天竜王国"、"アウ=ラタ共和国"、"獣王列島"も例に漏れない。


 世界各地の人と文化が入り乱れ、溶け合う、境目の都市。


 冒険者にとっての世界の中心であり、境界点。


 それが、境界都市ヘルデニカ。



 幸い、ウィンリッドからは近かった筈だ。


 多分……歩いて2週間、か、3週間……いや、どうだろう、2ヶ月くらい掛かるのかもしれない。


 …………まぁ、向かえばそのうち着く。多分。



 大丈夫、大丈夫。どうにかしよう。頑張ろう。


 リリィの雷もあるし、僕もハヤブサを召喚できる。


 竜神山のときと、全く同じってわけじゃない。


 

 ……リリィが言うには、上手く魔力が回復しないらしいけど。


 あの驚異的な威力の雷は、そう安々とは使えないってことだ。



 なんなんだろうね、あの雷。


 あれも、竜神を食べた影響なんだろうか。


 人でいうなら、間違いなく達人級の威力だけど……。


 魔法詠唱もしてないし。



 竜神……。



 脳裏に、偉大な子竜の姿が浮かぶ。



 悪い人じゃなかった。


 きっと竜人たちにも、慕われてただろうな。



「………………」



 自分の言ったことを思い出す。


 神ならば、竜神を復活させられる。神である僕にしかできない。


 そううそぶいた。



 ……もし、それが、本当に可能なら。


 逃げるという選択肢も、必要ないのかもしれない。


 竜人たちと仲直りして、【神聖】というものときちんと向き合って……そうしたら……。

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