第36話 突破
私は感じた。瞬間的に自らの力が開花したことを。一刻と近づく岩石を見ながら人生を振り返って何か壁になりそうなものを絞り出し、近藤が間もなく死ぬという間際で、自宅の玄関を創り出すことに成功し、落下する岩石たちを全て打ち砕いた。
近藤は安堵のため息をついた。
「……死ぬかと思った。助かったぞ、五郎」
「礼を言うなら真央に言ってくれ。さぁいくぞ」
二人は立ち上がって走り出した。
ナポレオン三世は歓声を上げた。
「よぉし、万里の長城をものの三十分で破壊してやったぞ、つっこめぇ!」
人々は意気揚々と瓦礫を飛び越え、エリアBの者にとっては前人未踏の暗黒大陸に駆け出していった。敵味方誰一人としてここまでうまく万里の長城が破れるとは思ってもいなかった。ナポレオン三世の軍は狂ったように調子に乗り、ナポレオン軍は千鳥足で逃げ惑った。
長城を抜けてすぐの大地は青々と茂る草原だった。ピクニック気分にさせる心地よい風が全力疾走の頬を撫でた。ところどころに白く小さな花が慎ましく咲いていて、それを踏み荒らして突撃するのは快感だった。
万里の長城が大爆破されて一番驚いたのは、内側で戦闘準備をしていた敵軍だろう。万里の長城が破られるとはいささかも思っていなかったし、万一破られるとしても何日もの日数がかかり、敵は疲労困憊の状態で訪れると高を括っていた。開戦三十分、三世の兵士たちは元気溌剌。信じられない。体も心も準備不足だった敵兵士らは瞬く間に私たちによって蹂躙されていった。岩を飛ばしていた迷惑の元凶である古代の投石器も破壊し、一同はますます勇気凛凛と大地を駆け抜けた。
しかしその時、私たちは大地が激しく揺れるのを感じた。地震かと思われたが、その振動は不規則な単発の振動として大地を揺るがし、しかもこちらに近づいてくるようだった。不安になると自然と足も止まってしまう。草原地帯は終わりがけで、周囲には森と小高い丘が立ち並び始めている。
次第に大きくなる振動。獣の甲高い鳴き声。
近藤が青ざめた顔で呟いた。
「象だ」
同時に、森が割れ、丘が崩れた。人間の何十倍もの大きさのある図太い戦象が、森を引き裂き大地を砕いて飛び出てきたのだ。
戦々恐々にまみれた悲鳴が各地で浮かび上がった。
浮かび上がっては消えた。歩兵にできることは悲鳴を上げて逃げるか、悲鳴を上げて殺されるかしかない。動物園で見た象しか知らない私は戦象のあまりの荒々しさに度肝を抜かれた。巨体なのに俊敏に動き、逃げ惑う人々を次々とその丸い足の裏で潰す。鼻を豪快に薙ぎ払ったならば、数人の歩兵がまとまって数十メートル飛んでいき、鼻を器用に使って歩兵を捕まえたならば、ほんの少し力を加えただけで人間の骨は瞬時にバラバラにされる。撃った銃は肉に弾かれ、投げた槍は鼻に防がれる。おまけに象の上には櫓が建っていて、上にいる兵士が散乱して逃げ惑う人々をせせら笑いながら弓で射抜いた。
この戦象を率いることができる人物は一人。一段と巨大で、赤い装備をつけられている象の上に乗った男がそうだ。
カルタゴの名将、ハンニバル!
いい具合に成熟しきった凛々しい顔つきのその男は、高らかに笑いながらも隙の無い表情で地表を見下ろした。象と象の間隔を適正に保ち、私たちの脱出経路を塞ぎにかかっている。
「五郎、危ない!」
近藤が私を突き飛ばしてもろとも転がり、かつて私がいた空間には象の上から放たれた鋭利な槍が深々と地面に突き刺さって不機嫌そうに震えた。
「まずいぞ! 退却しろ!」
「いや、歩兵たちよ。前に進むのだ。逃げるな!」
すっかり混乱して回れ右を試みていた兵士たちを、妙に頼りがいのある勇ましい声が遮断した。
土ぼこりを上げながら草原を疾走する騎馬集団。その手には長槍が握られている。
「ハンニバルは我が討つ!」
先頭を駆ける勇猛果敢な髭面の男が叫んだ。歩兵たちは希望を託して声を上げる。
「バイバルスだ! バイバルスがきてくれたぞ!」
数百はくだろうかという馬たちが身の丈の数倍はある象に立ち向かっていく様子は圧巻だった。回転する馬のたくましい足には砂煙が英雄的に纏わりつき、激しい戦を予感させる。
「貴様がローマに恐れられる猛将ハンニバルか」
「いかにも。その馬の巧みなるさばき方。さてはお前、陸地の王バイバルス……面白い。こちら側についてよかった。貴様のような男と戦えるとはな!」
「ふん、山を越えるだけの男などわしの手にかかれば何のことではないと証明してやろう」
「チッ、調子に乗りやがって!」
象を視界に捉え、騎馬隊は一斉に長い槍を投げた。届かなかったり弾かれたりと全てが不発に終わった。
「無理だ! 馬が象に勝てるわけがない!」
必死に脇道にそれながら近藤が怒鳴った。しかし、私には確信があった。
「大丈夫だ! さては近藤『ロードオブザリング』を見たことがないのか」
「いや、あるけど、あるけどさ。それとこれとは話が違う。だってこっちにはレゴラスも幽霊もいないんだぞ――うああっ!」
二人が逃げた先にも、運悪く進撃中の象がいた。
このままではあっけなく潰されてしまう。まだナポレオンの宮殿すら見えていないのに。
「何か出せ五郎! このままじゃ死んでしまうぞ!」
「何かって言っても……」
高圧洗浄機で水を出して喜んでもらうとか、リンゴを差し上げて懐いてもらう、とかいう馬鹿馬鹿しい策略が一瞬の間に脳を駆け巡った。しかし、真面目に考えたところで、先ほど創り出した玄関は踏み壊されて終わり。それ以上の何かを出す知名度はまだない。
私は祈った。
頼んでばかりで申し訳ないが、頼む、真央!
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