第37話 午前の部
男子百メートル競走予選。
陸上部永田、爆走。本職は中距離だから百メートルは短すぎるわ、などと自信なさげに呟いていた彼だが、いざ始まると圧倒的だった。後半で新幹線に負けず劣らずグングン加速し、他の生徒たちを遠く彼方へと残してぶっちぎりでゴールテープを切った。
大歓声が沸き上がる中、彼はひたすらにクラス旗を指さして叫んだ。
「巻髪五郎! 巻髪五郎!」
そう、各クラスが作成するクラス旗。我らが二年A組のクラス旗には、極太の字で「巻髪五郎に捧ぐ」と書かれているのだ。
綱引き。
クラスの団結力が勝利を呼び込む。今の二年A組に勝てる団結力を持つクラスなどどこにいようか。加えて、綱の一番後ろにはラグビー部の重量級、稲垣の姿がある。負けるわけがない。
「せーの」
「五郎!」
「五郎!」
「五郎!」
五郎の掛け声に合わせて一斉に綱を引き、相手クラスは「何言ってんだこのクラスは」という困惑の間に引きずられていった。枝木先生が汗を滝のように流しながら、綱を引っ張るA組の横でクラス旗を振り回す。
「巻髪五郎に捧ぐ」
障害物競走ではさつきが異次元の走りを見せた。元々単純に足は速かったのだが、猪突猛進気質があり、真っすぐにしか進めないという致命的な弱点があった。カーブに差し掛かった途端失速するか横転するのだ。しかし、此度の彼女は集中に集中を重ねて極限までの適応力を身につけ、そしてプライドを捨てた。
バンッ! 雷管が鳴った。
障害物競走にはたいして足が速くない人物が出場することが多い。さつきの相手などいやしない。出だしはもちろん一番――そして加速する。その速度を緩めることなく平均台に向かうものだから皆は激突するんじゃないかと冷や冷やしたが、さつきは華麗な跳躍で平均台の上に飛び乗ると、まるで変わらぬ地面がそこにあるかのように細い足場をスイスイと駆けた。これには一同唖然。クラスは歓喜。瞬く間に空間を支配したさつきはそのままグルグルバットに臨み、盛大に平衡感覚を失ってなお爆走し、タイヤ引きも麻袋ジャンプも破竹の勢いで――私はその時、さつきの前世は闘牛であると確信した――突き進んだ。
最後の障害物は、小麦粉の中にあるアメを探すものだ。汗をかくので薄めだが化粧はしているし、顔を白塗りにされるのは芳しくない。女子に障害物競走が不人気なのはこのせいかもしれない。が、さつきは一瞬の、本当にコンマ単位の躊躇いも見せなかった。小麦粉が入っている銀のトレーに、まるで頭突きをするかの勢いで顔をうずめ、そして白煙と共に荒々しく上げた真っ白の顔のその歯には、宝石のように輝くアメが挟まっていた。
一同発狂。ここまで荒々しく小麦粉を被る女子も珍しいが、小麦粉を被ってここまで美しく勇ましい女子もいないだろう。満面の笑みでゴールした白塗りのさつきは大歓声に迎え入れられ、他の人々と同様にクラス旗を指さし、それから私をちらりと見て叫んだ。
「巻髪五郎に捧げる勝利よ!」
放送委員も声を枯らしてこの大躍進を報道している。
「凄い、凄い勢いだ、二年A組!」
他のクラスの話題も二年A組でもちきりだ。
「まずいな。このままだと三年生食っちまうかもな」
「ねぇねぇ、二年A組の塩田君かっこよくない?」
「負けてたまるか! 相手は二年だぞ!」
「……それにしても、巻髪五郎って誰だ?」
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