第3話 新人死者ガイダンス

 新学期の始まりとかに、何とか友達を作らなければと思い、完全にクラスから浮くような人に愛想よく振舞い、好かれてしまったような軽い絶望。半世紀以上ぶり感じた身動きの取れない歯がゆさを感じながら、近藤の無限に続くトークを聞くこと約二十分。ようやくプロジェクターの前に人が出現し、ざわつく会場を静かにさせた。

「ごきげんよう、新人死者の諸君! そしてようこそ、この壮大なる死後の世界へ」

 深紅の蝶ネクタイを煌めかせ、マイクを慣れた手つきで握るその人の声は、聞き取りやすく滑らかに会場に広がった。

 多くの人々はその声に聞きほれるだけだったが、私はその声にやけに聞き覚えがあった。

「私、この二十三地区の新人死者ガイダンスを担当させて頂きます、斎藤と申します。どうぞよろしく」

 その瞬間記憶が呼び起こされた。

 私は思わず立ち上がって叫んでいた。

「さ、斎藤って、尾張テレビの斎藤アナウンサーじゃないですかぁ! 十年前、交通事故で死んだあの!」

 会場は色々な意味でどよめいた。私はすぐに恥じらいを取り戻して椅子に座りこんだ。つい興奮して派手な行動をしてしまった。変人代表の近藤に「お前変な奴だな」と言いたげな視線を送られるのが一番腹が立った。

 斎藤は会場の喧騒を落ち着かせ、にこやかな顔で言った。

「覚えて下さる方がいて嬉しい限りです。いかにも。私は元尾張テレビアナウンサーの斎藤でございます。尾張サンデー!」

 「尾張サンデー」とは斎藤が二十年メインキャスターを務めた日曜朝八時からの情報番組で、番組の冒頭に斎藤が「尾張サンデー!」と叫ぶのが恒例だった。サービスのつもりで今それを披露してくれたようだったが、私はこれ以上の恥を恐れて興奮も拍手もしなかったし、私以外の人物(特に外国の方なんて)の中にそんな矮小ローカル番組を知っている者はいない。一発芸を盛大に滑り倒したような寒々とした沈黙が会場を包んだ。

 斎藤は大げさに咳ばらいをした。

「さ、さてさて。最高に面白い余談はともかくですね、私は皆さんにこの世界のことをしっかり知ってもらって、安全安心な死後ライフを楽しんでもらいたい。そう思ってここに参上しているわけです。ここが天国なのか地獄なのか、神はどこにいるのかと色々尋ねたい方もいるでしょうが、ひとまず私の話を聞いて下さい。よろしいですね」

 斎藤は一拍置いた。

「さて、既に体感された方も多数いるとは思いますが、死後の世界に言語の壁はありません。さらに皆さん既に死んでいるわけですので、例えば病にかかったり、銃で撃たれたとしても、死ぬことはありません」

 斎藤が奥の方に手を向けると、ちょうど扉が開いて、先ほどマシンガンで凄惨に殺された老人が不服な顔でやってくるところだった。

 会場がまたもどよめいた。

「この世界で殺されても、先ほど皆さんが目を覚ましたあの場所に戻ってくるだけです。ただ、噂では相当な苦痛や恥辱を伴うと聞いたことがありますけどね……」

 全員の目が老人に集中したが、老人は口を真一文字に結んでだんまりを決め込んだようだった。それを見て斎藤がまた喋り出す。

「さて繰り返しになりますが、皆さんは死んでいるわけなので、生きる必要がないんです。つまり、別に食事を何日取らなくても生きていけます。寝る必要だってないんです。排泄もいらないし、運動しなくても歩けなくなることはありません」

「おお」

 一同は興奮した声を上げた。生前に感じていた骨や筋肉の痛みがなくなっているのもそのせいだろうか。

「ですが、そんなもの人間らしくない。そう思う人もいるでしょう。そういう方は、別に食事を摂って頂ければいいんです。寝て貰って結構です。排泄だって……まぁ、したい人はして構いませんし、運動していい汗を流すのも最高でしょうね」

「おおぉ」

 一同のボルテージはさらに上がった。

「何度も言いますよ、ここは死後の世界です。生前の常識に囚われる必要はないんです。好きなものを生み出せ、生み出したものは好きな時に消せます」

「おぉ?」

 一同が首を捻って困惑の態度を示した。アナウンサー斎藤はそれを予期していたかのように頷いた。

 次の瞬間、困惑や動揺の声が方々から上がった。なんと、斎藤がついさっきまで持っていたマイクがいつの間にか消えているのだ。

 だがまた次の瞬間。斎藤の手にはマイクがずっとそこにいたかのように握られていた。

 ざわめく会場。

「皆さん、落ち着いて。決して手品ではないんですよ。現実です。この世界では、生前と馴染み深ければ馴染み深いもの程簡単に出現させることができるのです。例えば蝶ネクタイ」

 斎藤の手に突如として蝶ネクタイが出現した。

「例えばメガネ」

 斎藤の耳にメガネがかかった。

「おぉぉ!」

「さらにさらに、自分の外見も、自分の好きな年齢の時に変えられるのです。あの頃のイケイケだった姿に、抜群のスタイルで町中の人を振り向かせていたあの頃に、いつでも簡単に戻ることができるんです」

「おおおお!」

 あの長年連れ添ってきた愛車とまた出会える。あの最高に面白いゲームがもう一度できる。それだけじゃない。食べても食べなくても生きていけるなら、食べ続けたって生きていけるはずだ。大好物のピッツァを無限に食べ続けられる。寝なくてもいいなら、何百時間ぶっ通しでゲームをやっても朽ち果てることはない。もう一度三十代の全盛期の姿になって鏡の前に立ってみたい。人々は思い思いに妄想を働かせ、最高の死後を思い浮かべた。何でもできるのだ。

 そういえば読みかけの本があった。もう結末を知ることはできないと思っていたが、もしかしたら出現させられるかもしれない。と、私も他の人々と同様に興奮を味わっていた。

「な、なら、入れ歯も……!」

 近藤なんて目に涙を浮かべている始末だ。

 人々が今にでもこの会場に好き好きに物品を出現させそうなテンションになってきたので、アナウンサー斎藤が声を張り上げて彼らを制した。

「ただし! ただぁし! 皆さん聞いて下さい。ただぁぁし!」

「お?」

 不穏な空気が流れてきた。

「好きなものを出せたり、外見を操ることができるのは、知名度がある人に限りますがね」

「知名度?」

 興奮して泡立っていた血管が冷めていくのがわかった。

「皆さんの知っているその知名度で間違いありませんよ。世の中の人にどれだけ自分の名前が認知されているか。実はこの世界、生きている人々の世界で、どれだけ自分の名前が知られているかということが、そのまま力関係に反映されるのです」

 誰も「おお」とは言わなかった。先までの「おお」が嘘のように会場は静まり返っていた。アナウンサー斎藤は肩をすくめる。

「例えばそうですね。皆さんが知っている……ベートーヴェンなんてどうでしょう。彼は世界的音楽家として、楽譜が残っているのはもちろん、音楽の教科書、音楽室の壁にも肖像画が飾られていて、知名度は言うまでもないですよね。彼は今、六十三地区で病気に悩まされることなく悠々自適の生活を送っています。楽器が欲しいと思った瞬間にその手にはかつて使った最高級の楽器が握られ、望む音楽を好きに奏で、しかも彼は二十代の外見に姿を変えているそうです。最高の暮らしじゃないですか?」

 ベートーヴェンがどこでどんな生活をしていようが知ったこっちゃない。その場にいる全員が間違いなくそう思ったに違いない。この会場にはベートーヴェン並みの知名度を持っている人間などおらず、皆が皆ただの一般人に過ぎないのだ。

「不安そうな顔をしないで下さい。この知名度にはもう一つ特徴がありまして、それは、ある特定の人にどれだけ深く名前を知られているか、というものです。ここでも例を上げますと……例えば、皆さんの生きている家族や友人。彼らが皆さんのことを心の底から愛していたり、あるいは果てしなく嫌ったり恨んでいたりしても、ここでは知名度に換算されます。どうです? 安心しました? 必ずしも知っている人の数が全てというわけではないんですよ」

 いやいや、だからといってベートーヴェンに勝てるわけではない。それに、果たして自分がどれだけ家族にとって重要な人物であったのか、絶対的な自信を持っている人はここにはいない。人々の不安はむしろ増幅した。

 誰かが恐る恐る尋ねた。

「あのぉ、知名度がなくなったら、どうなるんです?」

 アナウンサー斎藤は「おっと」と呟いて、思い出したようにプロジェクターを操作し、巨大な地図を一同に見せた。

「これが、皆さんの暮らす二十三地区の地図です。見て下さい。大まかに三層に別れています。この後、皆さんの知名度を我々が調べ、知名度が高ければこの――」

 斎藤は地図の上部、広大なエリアを指さした。

「エリアAに入ることができます。残念ながらエリアAに入ることができる程の知名度がなかった人はエリアBに回されます。そして……」

 エリアAの下にはやや小さいエリアBがあり、その下にあるエリアCと書かれた場所に関してはエリアAの五分の一もない。小さい上に、エリアCという文字だけが、やけに禍々しく惨めな字体で書かれている。

「知名度が全くなくなった人は、エリアCへと落ちていきます。当然私たちは既に死んでいますから死ぬわけではありません。ただ、永遠にそこにいるだけです。新しい楽しみはなく、新しい苦しみもなく、ただ自分の過去だけと見つめ合って生きる世界です。五感は退化し、誰と喋ることもできません。誰を見ることもできません。何も聞くことはできません。どんな匂いを嗅ぐこともできません。ただ、いる。皆さんの予想以上に、その生活は恐ろしいものです」

 具体的な話ではないのに、やけに現実味のある恐怖が部屋全体を包んだ。何人かがヒステリックに叫び、私も頭を抱えてうなだれた。

 終わった。……私の名前を知っている人なんて指で数えられる。娘、娘の夫、孫、以上。元々友人は少ない上に、彼らとも疎遠になっている。もう先に死んでいるかも。例え孫の真央がめちゃくちゃ頑張って百年生きたとしても、百年後にはそこから永遠の退屈地獄を過ごすことになる。永遠にただ生かされるだけなら、いっそのこと死なせてくれればいいのに……あぁ、もう死んでるのか。

 それに私はともかく、哀子は――。

「はい、皆さん!」

 私を含め、めいめいが耽っていた思考を斎藤の声が遮った。

「一列に並んでついてきて下さい。皆さんの知名度を調べますからね」

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