第12話 Welcome to

 万里の長城に背を向けて、私、近藤、斎藤の冴えない老人三人組はエリアBの街並みを歩いていた。

 外側から見るだけでもエリアBの混沌ぶりは圧巻だったが、内側から見る混沌はそれ以上に私たちを圧倒した。

 まずそもそも季節感がないのだ。右を見れば美しい桜が咲いているのに、左を見れば何故か雪が降りしきっている。アロハシャツ一枚と安物のサンダルを履いてブラブラとしている人間もいれば、セーターを何枚も重ね着してその上にコートを羽織っている人もいる。

「気持ち次第で暑くもなりますし寒くもなります」

 と斎藤。

「全裸になってもいいのか?」

 近藤が早くも服を脱ぎ出しながら言った。

「家では裸族なんだ」

「別に構いませんが、皆さんが許せばの話です。この世界では死んでも死なないので、人々に幾分か暴力的な傾向があるんです。ほら、いいものが見れそうですよ」

 軽自動車と馬が事故ったらしく、二人の人が言い合いをしていた。やがてもみ合いになり、殴り合いになった。

 周りの人々は見向きもしなかったり、笑いながら眺めていたりもした。ご飯を食べている人もいる。

 とうとう一人が懐から包丁を取り出し、グサリと相手を一突きした。

「うわぁぁ」

「ね、結局殺すことって一番の解決策なんですよ」

「その発言はよくない。とてもよくない」

「まだ皆さんが死んだばかりの証拠です」

 視界の端で、喧嘩相手を一突きした人が別の人に撃ち殺されるのが見えた。

 近藤は黙って服を着た。

 警察官の服を着た人が銃を乱射したりセクハラをしたりして、ギャングみたいな恰好の人が屋台でわたがしを売っている。金髪の人とすれ違ったと思えば、次は茶髪、銀髪、長髪、短髪、髪なし頭なし。日本車、中国車、アメリカ車、ヨーロッパ車。カブがノロノロと道路のど真ん中を走り、そうこうしていると背後から大型バスに轢き殺された。ラクダの手綱を握っている人と、犬ぞりのへりに寄りかかっている人がバナナの木の下で楽しそうに会話をし、死後の世界でありながら、教会やモスクの姿もしばしば見えた。

 一昔前の世界が凝縮されている。その凝縮ぶりはニューヨークでも足元に及ばない。

「電車に乗りましょう」

 三人はスパゲティの店と四川料理の店の間をすり抜け、さらに蛇スープ専門店も通り過ぎ、駅へと向かった。

 近鉄やJRを勝手にイメージしていた私は、駅に到着し、自分が乗る予定の電車の姿を見て唖然とした。

 それはツヤに満ちた漆黒のボディを持った怪物で、煙突から体に悪そうなゴワゴワした白煙を猛々しく燃え上がらせていた。

「蒸気機関車?」

 私は飛び上がり、近藤は入れ歯を落とした。

「えぇ、凄い存在感でしょう。スティーブンソンを代表とする蒸気機関車組合が二十三地区に贈呈して下さったんです」

「ちゃんと走るのか?」

「もちろん。さぁ乗りましょう」

 ブリュヘル二十三号と名付けられた黒い獣は、白煙を絶えず置き去りにしながら軽快に町を通り抜けていった。アナウンサー斎藤曰く、機関車からの煙でせき込む町の住人を見ることが醍醐味らしい。

 途中、機関車の窓から、エリアBにはふさわしくない超高層ビルの姿があった。

「どこかの社長が建てたやつでしょう」

 斎藤はとりわけ気にする様子もなく、車内で配っていたサンドウィッチを頬張る。

「あんなのが建てられるってことは相当な知名度じゃ……」

「ええ。彼らは元エリアAの住人です。ナポレオンの政治に反対したか、ただ弱者を見下したかっただけなのか、理由はいろいろあるでしょうけど、エリアAを脱走してここまできたんです」

「じゃあ哀子も」

「いえ、ナポレオンの包囲網を抜けるには並外れた覚悟と知名度が必要です。仮に脱出に失敗したらただでは済まないでしょうし、エリアAに住んでいる人たちにとっては、ナポレオンの王国は素晴らしいところなんです。大抵の人には逃げ出すメリットがありません」

「だとしても、脱出できたならこっそり入国だってできるはず。そういう人たちに伝言を託せばいいじゃねぇか」

「簡単に言わないで下さい。やれるならとっくにやっていますよ。二十三地区に住んでいる人全てがナポレオンを恐れている。彼にたてつくなんて考えないだろうし、たてついた奴を見つけたら告発してナポレオンに気に入られようとする人も少なくないでしょう。自分の身の保身だけを考えているんです」

「ちぇ」

 お腹が空いたという気分になるのもまだ死にたてほやほやの嬉しい証拠らしい。腹が減った二人は斎藤からサンドウィッチを盗んで食べた。想像した通りの味になる。美味しいと思えば美味しく感じられ、不味いと思うと不味くなる。塩辛いと思えば塩辛く、甘いと思えば甘い。腹に溜まったと思えば溜まったような気がするし、まだまだ食べられると思えば無限に食べられた。

 満足と不満足の両方を兼ね備えたこの食事が、何故か死んでから一番に死を実感したことだった。

 食後は必ず眠くなるのが生前の悩みであったが、今はそれもない。やけに悲しい気持ちで睡魔を自由に操っていると(アナウンサー斎藤はいびきをかいて寝ていた)、食べかすが歯の間に挟まることなどもう決してないのに、癖で入れ歯を爪でいじる近藤がぼそりと冷酷なことを言い出した。

「なぁ、五郎」

「何だ」

「お前の嫁さんはぁ、どうして降りてこないんだろうな」

「どういうことだ」

「普通に考えて、現代を生きる奴ら、日本人なんかは特に、独裁を善しとは思わんだろう。俺だったら、例え裕福でもナポレオンの支配下にいるなんて御免だ。とっととエリアAからずらがるね」

「あんたの意見だろう、それは。それにさっき斎藤さんが言ってた。そう簡単には脱出できないんだ。それともあれか? 哀子がナポレオンの政治に賛同しているとでも? いいや、彼女は誰かを下に見下すことを楽しむような人間じゃない。絶対に」

 近藤はフンと鼻を鳴らした。

「だから不思議だな、っつってんだ。あ、それはそうと、俺はとんでもないことを思いついてしまったぞ」

「とんでもないこと?」

「お前の嫁さんはよ、お前なんかと違って知名度が相当あるんだろ。もし嫁さんが若い頃のべっぴんな姿になってたらどうすんだよ。お前はしわだらけで頭髪も薄い老人のまま。相手にされないんじゃないか。それどころか嫁さん、こっちの世界で新しい男を見つけて酒池肉林に明け暮れていたりして」

 最初は怒鳴り返してやろうと思った私だが、怒りもよりも納得の気持ちが勝り、その納得の気持ちがおぞましい恐怖となって体中の体温を消し飛ばした。

 悪寒が全身を苛み、貧乏ゆすりが止まらなくなった。

「……確かに。あぁ、確かに! どうすればいいんだ。確かに! 私だけ老人、あいつは十九歳とかだったらどうするんだ! 私のことなんて忘れ、新しい男と! うわぁぁぁ、確かに!」

「確かに確かにうるせぇなぁ。よぼよぼの老人がどうしてこうも高校生のように初々しい反応ができるかね」

「あんたはどうなんだ。そんな偉そうな態度を取るあんたの家族はどうなんだ」

「ハッハ、自慢じゃねぇが、俺は歯磨きはしない代わりにタバコはよく吸っていたもんでね、年上の妻より先にあっさりと肺がんで死んじまったわけよ。だから俺は待つ側さ。そんな心配事ないね。二人とも有名人ではないしな」

「くそぉ、どうすればいいんだ。最悪だ。どうして哀子はそんなに面白い漫画を描いていたんだ。少しくらいアイデアを供給して共同作者にしてもらえれば、くそ……」

 そうこうしていると、汽車が速度を落とし始めた。流れていく街並みがゆっくりとなっていき、アナウンサー斎藤がタイミングよく目を覚ました。

「終点ですね」

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