第13話 しょうもない喧嘩

 三人は汽車から降り、風景を見渡した。田舎の風が吹くその世界は、日本とは異なる洋風の佇まい。背の高い木々の中にレンガ色の線路が閑散と佇んでいる、いつかどこかの映画で見たような物寂しさがある。

 無人駅の向こう側には巨大な川があり、流れこそ緩やかに見えるものの、立っている場所から水面までは何十メートルもあり、巨大な谷になっていた。あの忌々しき万里の長城がもしここに出現しても、赤ちゃんが二階に上がってこれないように階段の下に立てかける小さな柵程度のものにしか感じられないだろう。

「素晴らしい景色でしょう? 誰が作ったのかは知りませんが」

「自然すらも誰かが作ったものなのか?」

「ええ。この世界の最初は緑色の平面がずっと続いているだけなんですよ。そこに、知名度を使って建物、生き物、自然を創り出すんです。ゲームみたいですよね」

「ったく。きっと作った奴は創造神にでもなったつもりなんだろうな」

「それで、ここが目的地なんですか?」

 下の方で轟々と音を鳴らす川。見渡してみても民家一つない。

 アナウンサー斎藤は手を大げさに横に振って笑った。

「まさか。まだまだ目的地までは遠いです。まずはこの川を超えなければなりません」

「どうやってこんな恐ろしい大河を超えるんだよ」

「もう少し南に下ると、崖の下に降りるなだらかな道があります。そこにボートがあるはずです。それで川を渡りましょう」

 近藤が悪態をついた。

「面倒くせぇな。どうせその後崖を登ることになるんだろ」

「ま、まぁ降りたら登る……」

「面倒くせぇ!」

 斎藤はむっとした。

「私だって面倒くさいですよ」

 近藤という名の楽器は一度鳴ったら中々鳴りやまない。耳障りで不快な音を大音量で奏で続ける。

「何で橋とかないんだよ。誰か建てろよ!」

「橋を一個建てるのも大変なんですよ! 橋にまつわる有名人を見つけてこなければならないんです。そんな人いないでしょう」

「いるだろ! アウグストゥスとか、アントニオ・ダ・ポンテとか、義経でもいい。というか、ちょっとした有名人に馴染みある地元の橋をかけてもらえばそれで済む話じゃないか。ローマに住んでる奴らなら皆ガールの水道橋くらいは知っているだろうし、例えヴェネツィアにいったことがない奴でもリアルト橋くらいは知っているさ。そいつらを連れてきてパパっと作らせればいいだろって俺は言ってんだ!」

 私が口を挟む間を与えず近藤が無茶苦茶に文句を言い放った。言葉と言い方は腹が立つことこの上なしだが、少し疑問や不満に思っていることをやけに的確に代弁してくれるので、私は近藤を止めるのも憚られ、複雑な表情でそれを見つめているしかない。が、矛先を向けられているアナウンサー斎藤はたまったものではない。ただの案内役なのに、この世界のことを何でも知っていると思われ、文句を言われ続けて早五時間。ついに堪忍袋の緒が切れた。

 斎藤は甲高い奇声を上げると、近藤に突然掴みかかったのだ。

「入れ歯を入れた途端に急にお喋りになりやがって、外してやる!」

 もみ合いになる二人。

「この野郎!」

 一寸先は奈落の底。落ちたらまたあの白い駅のホームに逆戻りだ。だが、もみ合う二人は完全に崖の存在を忘れている。

「やめろ、おいやめろ!」

 私は必死に制止を試みるが、闘いの白熱ぶりについていけず、止めるどころか触れることすらできない。

「近藤様を舐めるんじゃねぇ。俺は柔道で黒帯を……」

「入れ歯を外してやる!」

「ええい、背負い投げだぁ!」

 近藤は斎藤の胸倉を掴み、恐ろしく綺麗に背負い投げを決めてきた。斎藤の足は浮くように地面を離れ、美しい軌道を描いてそのつま先を空へと向けた。

 そこでやっと二人は気がついた。今から倒れ込む場所に地面がないことを。

「あぁ!」

 私は必死に頭を巡らせ、自分の家にあった巨大なマットレスを二人の落下地点に創造した。

 死を覚悟した二人は、家の匂いが染み込んだ安物のマットレスに吸い込まれて一命を取り留めた。

 肩で息をしながら、下でうねりをあげる川の轟音と、風で揺らめく木々の音を聞く。自然が発するおっとりとした寂寥感が、二人の怒りも少年時代の甘酸っぱい記憶に変えてくれるようだった。

「いい年した死人が殴り合いの喧嘩なんてまぁ、恥ずかしい」

 呆れ顔でため息をつきながら、私はこの自然を誰が作ったのかを理解した。

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