第7話 手遅れ 

 完全に空気が読めない人間と化してしまった私は困惑しながら訴えた。

「どうしたんです?、二十三地区にいるのなら、すぐに会えるじゃないですか。やっぱり哀子の知名度は凄いんだな。私なんかとは比べものにならない……」

 誰も何も言わない。

「ちょっとちょっと、どうしたんですかって! そうかさてはあれですね。私はエリアBの人間だからエリアAにはいけないということでしょう。ははん、でも私の勘は冴えていますよ。私があっちにいくことはできなくても、哀子がこっちにくることは別にできるんでしょ? 哀子に私が死んだことを伝えればきてくれる!」

 息を荒げて言葉を紡いだ私に、アナウンサー斎藤が申し訳なさそうに言った。

「普通は、そうですね」

「どういうことですか」

 斎藤はそびえ立つ万里の長城を指さした。

「普通の地区は、エリアAとエリアBの間にこんな隔たりはないんです。もちろん権力はエリアAに集まるのですが、死んでなお階級差があることに否定的な偉人が多く、エリアBの人々と平和的に暮らし、相互の行き交いも頻繁に行われている地区がほとんどなんです。少なくても、この辺りの地区では」

「じゃあ何で!」

「ナポレオンです。二十三地区では、ナポレオン=ボナパルトが帝政を敷いているんです。彼の圧倒的知名度は言わずもがな。世界史の資料集には彼だけで見開きの特集がくまれ、彼を題材にした本や、彼が登場する二次創作の物語はごまんとあります。彼は死んですぐにエリアAを知名度という名の武力で制圧し、知名度の高い人々だけの王国を作り出したのです」

「馬鹿な、彼はそんな――」

「そんな奴なんです。彼が本物なのですから。この万里の長城も、ナポレオンが秦の始皇帝に外注したらしいですよ。まるで我々が異民族の匈奴であるかのごとく、徹底的にエリアBからの立ち入りを拒むのです」

「こちらが発したメッセージも全て返信はなし。それどころか、年に数度、狩りと表してエリアBに軍をもって攻めてくる次第です。まだ哀子さんが別の地区にいる方がよかった。エリアAにいる人との再会なんて、ここでは無理な話なんですよ」

 今度ばかりはどうしようもならない重い沈黙が情け容赦なく私の周りを包んだ。

 哀子に会えない。

 十年前に死んだ哀子。どれだけ悲しかったか。どれだけの喪失感を味わったというのか。ついに自分が死ぬとなった時も、死がたいして怖くなかったのは、哀子が待ってくれていると思ったからだ。

 もう会えない。そう考えるだけで鼓動が早まり、息ができなくなる。目まいがしてくる。心が砕け散りそうになる。

 この塀の奥にいるのに。いることはわかっているのにどうして会えないのだ!

 重苦しい沈黙は次第に私の中に行き場のない怒りとなって堆積し、視界がどんどん狭まっていった。

「そもそも」

 そんな沈黙地獄で声を上げたのは近藤だった。最悪なことに、こういう時にだけ彼の声はくっきりはっきりと明瞭に人々の脳に轟いた。

「彼女の方はお前を待っているのか?」

「どういうことだ」

 私は殺意のこもった目で近藤を見つめ、周りにいたスタッフらは生唾を飲み込んだ。

「エリアAは知名度が高いエリートしかいない。好きなものなら何でも手に入る。現世のことなんてもう忘れているんじゃないのか。かつての夫なんてどうでもいいと思っているんじゃないのか。知名度も何もなく、自分が描いた漫画に見向きもしなかった夫などに」

 私は発狂した。

 それは思春期の青年のように凄まじく、悲痛で、情けない魂から出た咆哮だった。

 怒りに交じり込む情けなさ、後悔、恥じらい。

 一同は近藤が殺される、と思ったが、私は近藤を押しのけると、高く冷徹にそびえる万里の長城へと駆け出していた。

「五郎さん!」

 スタッフの制止は間に合わない。

 私は万里の長城を殴りつけた。堅固な岩石はびくともせず、殴りつける度に私の腕が崩れていった。

「哀子に会わせろってんだ! 開けやがれ、百日天下の島流し野郎が!」

 私は記憶を探って何か武器になりそうなものを創造しようとした。家庭菜園用のくわ、邪魔な木を切り倒すためのチェーンソー。だが、どれだけイメージをしても決してそれらはやってこない。

「何か出てこい」

 私は叫んだ。

「無理ですよ」

 とアナウンサー斎藤。

「彼の知名度では何も生み出すことができないんです」

「何か出てこい!」

 その瞬間、万里の長城の奥から私を目掛けて巨大な岩石が降ってきた。私の頭十個分はあろうかと思われる巨大な岩だ。とても人が投げられるようなものではない。素早く正確な軌道で降ってきて、私には逃げるという判断を下す時間すら与えられなかった。

「あぁ!」

 私は岩石の下敷きになった。

 スタッフたちは息を飲み、アナウンサー斎藤と入れ歯の近藤はすぐさま駅のホームへと踵を返した。

 

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