第10話 名前を覚えて

目が覚めたのは保健室のベットだった。固い。ぼんやりとした気持ちのままカーテンをかき分けると、ソファに座り込むさつきの姿が。

「真央!」

 さつきは嬉しそうに飛び上がると私に抱きつこうとした。しかし、抱きしめたらまた倒れてしまうと抱き着く直前で思ったのか、私の目と鼻の先でとまってあたふたした。

「保健室の先生は疲労とストレスの蓄積が爆発したって言ってたわ。あんた絶対に無理してたのよ。だって……だって今日、おじいちゃんが死んじゃったんだよ」

 涙を流しながらその場に佇むさつき。私は罪悪感に苛まれた。

「さつき――」

 誰かが鼻をすする音が私の言葉を遮った。廊下で盗み聞きをしていたのだろう、両目から涙をつらつらと流した塩田が二人の前にやってきた。

「出てけって言ったじゃない!」

 さつきは怒鳴るが、塩田はそれどころではない。

「ごめん、ごめんよ巻髪、おじいちゃんが死んだなんて知らなくて。しかも今日!」

 塩田は号泣し、さつきも怒りながら号泣する。

 私は苦笑した。個人の領域に容赦なく足を踏み入れる塩田までもが死に対しては大人しくなるのだとわかり、無駄な優越感がいじらしく心に芽生えたのだ。

「まぁ聞いてしまったならしょうがないわ。それで、私のおじいちゃん――」

 だが、また誰かのむせび泣きの声で私の言葉は断絶させられた。

「今度は誰よ!」

 さつきと私が同時に叫ぶと、保健室の奥から保健室の先生が目頭を押さえながらヨロヨロと出てきた。

「本当は聞くべきじゃないんだろうけど、ついつい耳に入ってきちゃって。耐えられるわけないじゃない……」

 何故か当の本人だけが引きつった顔をして、友達一人とクラスメート一人とほぼ関わったことのない保健室の先生一人が号泣するという意味のわからない状態になった。

「お、落ち着いて三人とも」

「落ち着いてなんかいられないわ!」

「そうよ。おじいちゃんがお亡くなりになっただなんて、気を失うのも無理ないわ! さぁ、早くベットに横になって。何時間でも何日間でも横になっていていいから。しっかり心と体を休めるのよ。さぁさぁ早く」

「すまん巻髪、俺はなんてデリカシーのない言葉を!」

「あぁ塩田。あなたからデリカシーなんて言葉を聞く日がくるなんて! 見直したわ!」

 保健室の先生は強引に私を担いでベットに戻そうとし、何故かさつきと塩田は和解して握手をし合っていた。

「あぁ何これ、めんどくさい!」

 私はするりと先生の手から抜け出し、おいおい泣きながら仲良くなっている二人の脳天にチョップをお見舞いした。

「イタッ、何するのよ!」

「早くベットに」

「三人とも落ち着いて」

 さっきよりも数段声の音量を上げ、目つきも鋭くして、私は現場の鎮静化を試みた。

「落ち着きなさい」

 三人はようやく涙を止め、自分勝手に喋りだすことをやめた。

「私は大丈夫。おじいちゃんが今日の朝死んだのは事実だけれど、別に大したことは……」

 大したことはないと言おうとした途端、三人が反論しようと息を吸い込んだので私は慌てて言葉を変えた。

「ううん、まだ実感が湧いていないだけ」

 三人は渋々頷いた。

「もう十分寝かせてもらって体の疲労もなくなったし、深い悲しみに囚われているわけでもない。だから私は大丈夫。安心して。もう寝なくても平気」

「そう……」

 三人は不安そうな目で私を見つめた。私は嘆息して腕を組み、冷めた目つきで三人に詰め寄る。

「ところで、私のおじいちゃんが死んだことで皆そんなにおいおい泣いてるわけだけど、泣いてるくせに、あなたたち私のおじいちゃんのこと何一つ知らないでしょ」

「確かに」

「巻髪の気持ちを考えたら涙が止まらなくなったんだよ、悪いか!」

「私は真央のおじいちゃん知っているわ。だって道端でよく会ったもん」

「ふぅん、じゃ、おじいちゃんの名前は?」

「え、名前? そんな、だって、道端で会うだけだもん、名前を言い合うわけじゃ」

「知らないんだ」

 さつきは口を膨らませて俯いた。

「私の気持ちを思って泣いてくれるのは嬉しい。でもね、死んだおじいちゃんのことを何も知らないでそんなに泣くなんておかしいのよ。私のために泣いてくれるなら、おじいちゃんのことも少しくらい知ってほしい」

「わかりました」

 私は早速祖父から託された任務を実行に移し、そうとも知らない三人は、いつの間にかその場に家来のように正座させられていた。

「私のおじいちゃんの名前は、巻髪五郎よ」

「五郎?」

 三人はやや困惑したようだ。

「一郎、二郎の、五郎?」

「そう。長男だけどね」

「なるほど。それで?」

 塩田の当然の質問に私はギクリとした。それで? の先を続けることができない自分。投げたボールがそのままの勢いを保って跳ね返ってきた気がした。罪を突きつられた私は言い訳がましくならないようわざと怒って焦燥感を覆い隠した。

「欲張らないで! まずは名前だけを覚えなさいよ。巻髪五郎よ」

「巻髪五郎さんね」

「巻髪五郎か」

「巻髪五郎ね」

「そう、巻髪五郎……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る