第15話 1オンス金貨獲得

 何時間が何日間か、三人は誰にも会うことなく、とりわけこれといった危険もなく、ただただホワイトスワンと一緒に川下りを体験していた。本当に何もしようがないのだ。アナウンサー斎藤は金づちで、岸まで泳いでいくことはできない。泳ごうと思えば泳げるはずなのに。私はロープを創造して崖の彫刻や垂れた木の枝にひっかけようと試みたが、残念ながら無駄骨に終わった。遠投力が皆無で、ロープはあっけなく水面に落ちる。

 ……一つだけ進展した出来事と言えば、斎藤と近藤の仲が悪化したことくらいか。

「てめぇがペダルを壊したからこうなったんだろうが!」

「漕いでない奴がそんなこと言う権利ないですから。喋る権利もないですから!」

 早く哀子に会いたかったし、そもそも今向かっているところが哀子との再会に役立つのかも斎藤は教えてくれない。船は何事もなく進んでいたが、三人の胸中は穏やかではなかった。

 さて、ついに視界に広大な海原が見えてきてしまった。景色が変わって何となく歓声を上げた三人だったが、ようやくそこで本格的に焦り出す。

「ま、待って。海に出たら、いよいよ私たち戻ってくることができませんよね」

「最悪溺死して振り出しに戻る、だな」

「死んでも死なないですけれど、自分から死に向かっていくのは死んでも嫌です」

「ややこしいな」

「第一、また振り出しに戻るなんてまっぴらごめんでしょう」

「おい二人とも、あの波を見ろ!」

 海には、サーファーが大喜びしそうな、霜降り山脈の如く壮大な波がいくつも出来上がっては浜辺に強烈に打ちつけられていた。

 もしもあの波がホワイトスワンに当たりでもしたら……。

「よくない。これは非常によくないぞ」

 私はこんな力で漕いだらホワイトスワンが空を飛べてしまうのではないかという程の力を足に注いでペダルを漕いだ。今なら鳥人間コンテストで優勝できる気がする。

 無論、私の過剰な自信と熱量虚しく、ホワイトスワンは流されながら回転を始めただけだった。

 流れが増し、どんぶらこどんぶらことホワイトスワンは果てしない海の世界へと投げ出される。

 それにしても異常な白波だ。まるで意図的に人を狙っているかのような明確な殺意を波から感じる。

 すると、アナウンサー斎藤が尋常ではない奇声を上げて前方の海面を指さした。

「は、白鯨です!」

 そう、自然に発生しているように見えた波は実はそうではなく、いくつもの海の男たちを葬り去った純白のマッコウクジラがその巨体と尾びれで発生させたものだったのだ。

 まさに今、ボートに乗った男たちと白鯨との激しい戦闘が行われており、そんな緊迫した、ある種神聖な瞬間に、田舎臭いヨレヨレのホワイトスワンが迷い出てしまったのである。オールの漕ぎ手たちの息の合った動きで、三隻のボートは巧みに小回りの利く動きを披露し白鯨の周囲をうろちょろした。各ボートに一人ずつ巨大な黒々とした銛を持つ一際勇ましい男がいて、白鯨を仕留めようと目を爛々と光らせていた。私から見れば皆若造だった。恐らく若い頃にこの白鯨に殺された者たちなのだろう。

「死んでなおそこまで……」

「そんなこと気にしている場合じゃないぞ五郎!」

 愚かで不運なことに、ホワイトスワンは何故かゆらゆらと白鯨の方に近づいている。波が高くなり、しがみついていなければ振り落とされそうだ。

「このホワイトスワン、まさか白鯨に挑もうとしているわけじゃないよな。白だけに」

「……はは」

 ボートに乗った男が、銛を思い切り撃ち込んだ。白い体に突き刺さる黒の槍。急所は外したが、付近の波が赤に染められ、傷を負わせることに成功した。しかし、白鯨は痛くも痒くもないように静かな目をしたまま、別のボートにタックルをかました。船は横転し、乗組員たちはひっくり返る。さらに白鯨は海中へと一度その身を沈めると、ボートの真下から頭突きを繰り出し、ボートは真ん中から真っ二つに割られて飛び散った。残った一隻のボートも勇敢に立ち向かったが、それは無謀にしか見えなかった。白鯨は造作もなく尾びれを震わせて、乗務員を船から叩き落とした。

 そしてついに、退屈さと威厳に満ち溢れた透明な鯨の目が、か弱きホワイトスワンの姿を捉えてしまった!

「逃げろ、逃げろホワイトスワン!」

「あなたが勝てる相手じゃありません!」

 しかしホワイトスワンは逃げなかった。

 同じ白を担う者として、絶対に負けられない想いがあるのだ。

 ホワイトスワンは白鯨の頭突きで木端微塵に砕け消された。豆腐を殴りつけたかのようにあっさりと、そしてお手本のように四方に爆裂した。

 中に入っていた三人も嘘のように天高く突き飛ばされ、それぞれがだらしない体勢で海面に落下した。

 白鯨は満足そうに潮を噴き上げると、悠々と海の底に帰っていった。

 私はあまりの衝撃で呼吸困難になりながらも何とか平静を取り戻し、溺れかけていた斎藤にボートの残骸を掴ませ、近藤と合流して一息ついた。運がいいことに、体は無傷。しかし心臓はまだあの一瞬の恐怖と衝撃で激しくバウンドしている。

 近藤は怒りを込めながら顔を左右に振った。

「なんてこった。おい五郎、どうする。死ぬか?」

「いや、もう少し待とう。恐らく、白鯨を捕まえようとしていた人たちの本船が助けにやってくる。そこに便乗しよう」

「くそぉ。白鯨なんて伝説だと思ってたわ」

「この調子だとクラーケンもセイレーンもいそうだな」

「やめてくれ。俺は伝説とかを信じない人間なんだ。現実主義ってやつ? 白鯨はまだ許せても、人魚までいたらたまったもんじゃねぇ」

 暫く海を漂っていると、私の読み通り捕鯨船がやってきて、白鯨に散った敗北者たちを回収し始めた。

 私と近藤は手を振り、大声を上げて船に自分たちの存在を知らせた。

 が、どんなにしきりに二人が叫んでも捕鯨船はこちらにこない。ボートの残骸から離れてしまっていたのがまずかったらしい。本船は次々と仲間たちを回収し、船の上にいた誰かが大声で叫ぶのが聞こえた。

「全員回収し終わりました!」

「全員じゃない、待ってくれ!」

「おおい! おおいぃ!」

 捕鯨船は高らかに帆を広げ、大海原へと発っていく。船が作り出した波に飲み込まれ、斎藤が泣きながらまた沈み出した。二人はいらいらしながら斎藤を持ち上げ、絶望にどっぷりと浸る。そんな二人の前に、ゆらゆらとホワイトスワンの頭が流れてきた。

「お前のせいだぞ!」

「このブラックスワンが!」

 二人はホワイトスワンの頭を何発も殴った。


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