第16話 チャレンジャー
数時間か数日間。三人は青々としたあまりにも広大な海を虚しく漂い続けた。太陽が照りつけ、時には嵐が訪れ、雨がざあざあ降りしきり、高波に沈められそうになったこともあった。しかし、何故か無事だった。
「沈むなら三人一緒に自動的に沈んでくれよ」
定期的に黙ったまま海の底にいこうとするアナウンサー斎藤を引っ張り上げながら近藤が悪態をついた。
私も心の中で肯首した。
やはり人間の性というものか、ただ単に二人が死にたてホヤホヤだからなのかはわからないが、太陽の光線に焼かれても、荒ぶる海に締めつけられようと、なんとか生きようとしてしまうのだ。死んでも死なないとわかっていても、本能が死ぬことを嫌がっているのだ。
いっそこのこと、太陽光が身を焼き消すか、海が体を水中に引きずり込んでくれた方が嬉しい。自殺はしたくないから誰が殺してくれ、近藤はそう言っているのだ。
私と近藤は太陽を見つめてだらしなく漂った。
そのとき、海の中ではまるで使い物にならなかったアナウンサー斎藤が声を上げた。
「船が見えます」
「幻覚だな」
「金づちは黙ってろ」
「本当です。こちらに向かってきているんです」
「……」
「何だって?」
二人は大慌てで視線を太陽から地平線へと移すと、遠くではあるが確かに黒い物体がこちらに近づいているのがわかった。
「皆叫べ!」
三人は手を振りながら「おーい!」と大声で叫んだ。アナウンサー斎藤は商売道具であるマイクを使って声を拡大し、近藤は入れ歯の金具を太陽の光で反射させようと夢中になっていた。私も記憶を絞り出し、昔真央と共にスーパーで打ち上げ花火を買ってやったことを思い出した。手を高らかに掲げ、市販だと舐めてかかっていたら、打ち上げ時にあまりの威力で腰を抜かしたあの花火をイメージした。
すると、微かな痺れと共に手のひらに火が点いた筒が出現し、軽い爆発音を上げて中から赤い閃光が飛び出した。
「ピュー……バン!」
夜空ではないので美しくもなんともなかったが、その瞬間に、真央への多大な感謝が改めて胸に押し寄せた。
船は段々と近づき、そして、船からボートが下ろされた。
三人は大歓声を上げて抱き合い、忌々しき海を散々に叩いた。
三人を救助してくれた船は木造の古い軍艦だった。だが、乗組員たちの多くにいかにも兵士といった血滾った印象はなく、むしろ知的さが感じられた。
「何日流されていたんだ!」
「俺たちが通りかかってよかったな」
「怪我はないですか?」
近藤と斎藤以外の声を聞けたことがこんなに嬉しいことだとは。恐らく二人もそう思っているだろう。
「無事で何よりです。船長のジョージ・ネアズです」
「私はエディンバラ大学の――」
一斉に色々な人が押し寄せてきて、誰が何を言っているのかわからなかった。私や斎藤が二十一世紀の人間だと聞いて興味を持っているようだった。
「安心して下さい、この船は近くの港に寄るつもりですよ」
と船長か誰かが言ったのがかろうじて聞こえたので、再び陸地に降り立つ日はそう遠くないだろう。
何時間か何日間か。三人はこの船で大変手厚い歓迎を受けた。乗組員たちは皆気前がよく、シーラカンスがまだ生きていることなどを言うと腰を抜かして驚いていた。
「港から車で数時間いったところに目的地があるはずです」
すっかり元気になった斎藤は、いかにも予定通りといった態度で二人に旅程を告げた。近藤は不満げな表情だ。
新世界の洗礼を受けた気がした。ここは現世ではない。人類のあらゆる歴史の混合体に入り込んだのだ。
「哀子……」
舳先に立った私は、そっと妻の名を呼んだ。
すると、太陽の光が強くなり、私のことを挑戦的に煽ってきた。それを受け、私も太陽という巨大な存在に挑戦的な視線をはっきりと返すのだった。
私の気持ちを感じ取り、太陽の光を切り裂かん勢いで船もどんどん速度を上げていく。挑戦的な気持ちこそが、常に歴史を先導する力となるのだ。
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