第27話 ニート

 校舎から出た私はさつきと合流して家まで帰ったが、何を話しかけられてどう返答したのか一切の記憶がなかった。帰ったこと自体がうつろな記憶でしかないのだ。

 二階に上がり制服のままベットの中にうずくまった。そのまま数時間寝て、お母さんがご飯を知らせてドアを叩いた音で目覚め、また瞼を閉じた。次の眠りは深く、恐らくお母さんは部屋に入ってきただろうが、それでも私は目覚めなかった。次に目を開けた時には既に月光が自らを照らしていて、上がった体温が気持ちよく降下していくのがわかった。

 私はため息をついた。ここ数日で一番心地よい空気が口から吐き出され、また吸い込まれた。無論、もう一度ため息をついても同じような心地よさは訪れず、連続してため息を続ければ続けるだけ空気がすさんでいく。それは自覚していた。

 ただ、疲れていた。私はまた寝た。

 翌日は学校を休んだ。

 さつきが一緒に登校しようとインターホンを鳴らした瞬間や授業が始まる時刻には、汗が滲んで苦味が腸に広がったが、それはただの罪悪感であると思い込んでねじ伏せた。

 娘の心身を不安に思ったお母さんはしきりにリンゴを持ってきて病院にいくかと聞いてきたが、私はありがたく首を振った。明らかに病気ではない。せっかく切ったからリンゴを食べてと言われて、この一日で四つは食べた。

 最低限の動き以外はしない。ベッドの端に縮こまって、壁か暗闇と睨めっこをする。無駄に動けば動く分だけ、何かするべきことを、視覚が、聴覚が、触覚が、入手してしまいそうな気がするのだ。

 動きたくない、だるい。

 気持ちに的確な言葉を当てはめたくなかった。簡単でありきたりな言葉で感情の説明をすることで、崩れた心を直すために少しだけ必要な痛みから自分を逃がそうとしていた。

 私は大人びているとみられがちだった。端正な顔つきと言動によってそう見えるらしい(端正なんて思ったことなど自分では一度もないのに)。しかしそれは大きな間違いで、私はただの子どもだった。人一倍周囲の息吹に耳が敏感で、それに怯えて避けている、大人のような子ども。

 時計をちらりと見て、六時間目が終わったことを知った。つまり、偉人発表が終わったということだ。自分の番は飛ばされた。あるいは延期された。どちらにせよ、今日はもう発表する必要がなくなったのだ。地面に転がるリュックの中では、『世界史大偉人二百選』が沈黙している。

 突然、枕元でスマホが振動した。さつきからのメールを全て無視していたから、腹いせについに電話をしてきたかと思い画面を見る。そこには、「塩田」の名前が書かれていた。動揺した私。何故自分がそれほど動揺するのかもわからなかった。無視すればいい。すべきことは一つだ。というか、何で彼が私のラインを持ってるの? しかし私の指は、何を血迷ったか電話に出てしまっていた。

「やぁ、巻髪」

 明るすぎる軽快な声が飛び出し、私はさらに動揺すると共に少し腹が立った。

「何」

「体調大丈夫か」

「なんともない。明日には学校にいけると思うわ」

「そうか、よかった。あ、先に悪いニュースだけ言っとくと、お前の偉人発表明日に回されたから」

「……まじ? なくなるかと思ってた」

「はは、残念だね。それからもう一つ悪いニュース。今俺の隣で、さつきがずっと真央から返信がこない返信がこないって泣いてる」

「何が悪いニュースよ!」

 奥の方から涙ぐんだ大きな声が突然轟いて、私は飛び跳ねた。

 電話越しに二人の喧嘩が聞こえてくる。私は嘆息しながらも口角を上げた。

 どうやらさつきが塩田の携帯をひったくることに成功したようだ。スマホからやかましい声がギャンギャンと鳴り響いた。

「というわけで、今から真央の人生初のずる休みを祝して真央の家でパーティをやるから、ちょっと待っといて!」

「ええ、家くるの? それにずる休みじゃなくて風邪だし」

「つべこべ言うな。私のラインをずっと無視したことを説教するパーティでもあるから、拒否権はないわよ」

「無視したことは今謝るからさ……」

「何か欲しいものある? お菓子もジュースも買ってくるよ。どうせ元気なんだから何でもいいよね。あっ、ケーキ買ってあげようかな。お祝いなんだもの、それぐらいしなきゃ」

 ……聞いてない。どうせ断ってもくるのだ。それがさつきという女。

 すると、再びスマホの向こう側で戦いの音が聞こえ、今度は塩田が主導権を取り戻したようだった。聞き取りやすく活気に満ちた声がスマホから響き聞こえた。

「あ、巻髪?」

「聞こえてるよ」

「俺もいくから、よろしくな」

「ふぁ?」

 思わず声が裏返った。

「い、い、い、いくって、どこにですか?」

「はぁ? 巻髪の家にだよ。俺もずる休みパーティに参加するんだ」

 私は蒼白な顔で自分の部屋を見渡した。地面に転がるリュック、その中からは教科書類が無残に飛び出している。朝、パジャマに着替えた時に脱いだ制服はそのまま床に捨てられているし、なにかもう部屋全体の空気が悪い。辛気臭い雰囲気が部屋全体に充満している!

 ダメだ。さつきならともかく、男子学生を家に入れるのにこの状態ではさすがによくない! とてもよくない!

 私はスマホを放り投げ、大慌てで部屋の掃除を開始した。

「おい、巻髪? おーい。今からいくからね」

 溜まった洗濯物を腕一杯に抱えた状態で鏡の前を通ると、映る自分の姿にも驚愕した。

 派手な寝ぐせ、毛玉だらけの変な柄のパジャマ。

「くるならくるって前の日くらいに言いなさいよ!」

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