第26話 大切にすべきだったもの

 真央は自宅の玄関前の廊下に体育座りでうずくまっていた。背後の部屋は崩れては再構築されてを繰り返していて、動画の再生と逆再生を見せられているようだった。

 ドアノブが回転し、五郎が入ってきた。満たされた表情を浮かべている。

「やぁ、真央。そんなところで何をしているんだい? 中に入ろう」

「ここでいい」

 真央の沈んだ表情を訝しく思った五郎だったが、完全にその解釈は間違っていた。決して悪気があっての行動ではない。真央を元気づけるために、五郎は軽快にここまでの成果を羅列して、しかもできるだけ誇らしげに語ってしまった。

「真央のおかげでこっちはかなりいい感じなんだよ。飲むたい焼きによって優秀な料理人たちが何十人も味方になってくれたし、ラ・リーガのサポーターたちも大多数が結果を知れたことに満足して参戦を表明してくれている。全部真央のおかげだよ」

「そう」

「そうとも。そしてそれだけじゃない。ゲームのこともそうだ。真央のおかげで新しいゲームをやることができて、何百人もの人々が嬉しさのあまり落涙した。誇張ではないぞ、本当に感謝して涙を流していたんだ」

「そうなんだ。よかった」

 真央は立ち上がる。途端に酷い頭痛が襲い、眉間に皴が寄る。

「それで、仲間集めの段階はこれで終了となった」

「え?」

「あぁ、戦争まであと四日。私に与えられた次なる任務はなるべく多くの知名度を経て戦争に挑む準備をすること……」

 五郎は言いにくそうに言葉を切った。

 目の前にいる孫の様子がおかしい。こんなにも弱弱しい姿を見たことがなく、自分の願いが真央を攻撃していたのではないかと不安になり始めた。しかし、五郎が知名度を上げる方法など一つしかない。

「だから、真央に私の名前を」

「私、やらない」

 真央は目を伏せて言った。

「え」

 五郎は口を半開きにしたまま体を硬直させた。

 躊躇いはしていたものの、心のどこかでは、真央は自分の願いを聞いてくれるものだという信頼があった。そういう子だと思っていた。それが瓦解する。真央の口からははっきりとした拒絶が飛び出し、二人の間にあった壁の存在を浮き彫りにした。

「私、何でおじいちゃんのためにこんなことしてるの?」

 顔を上げた真央の目は赤く充血していた。怒りというよりも単純な困惑が伝わってきたことに、五郎は胸を締めつけられた。

「ねぇ、どうして?」

 五郎は答えることができなかった。浮かんできた言葉は全て自己中心的な戯言に思われた。

「私、どうしてこんなことしてるのかわからなくなった。頑張って普段喋らない人に話しかけて、徹夜で好きでもないゲームをして、それで、喋りかけた人たちに嫌われて、徹夜のせいで体中が痛い。人と喋る? ゲームをする? そんなこと頑張った内に入らないって思うかもしれないけど、学校で他人に喋りかけるってとても緊張することなの。しかもそれがきっかけになって学校で誰かに嫌われるのって、まるでこの世の終わりがきたみたいに悲しいし悔しいの。そうまでしてやるべきことなのかな、これ」

 五郎は震えていた。声は出せない。

「生きてた時、おじいちゃんは私に優しくしてくれた。そういう記憶はある。誕生日にはプレゼントを買ってくれて、小さい頃に何回か遊園地に連れていってくれたのも覚えてる。でも、あまり喋らなかったよね。同じ家にいるのにあまり会わなかったよね。優しいとは思ってた。でも、おじいちゃんのことなんにも知らなかった。仲がいいとは思ったことがなかったの。そんな関係の人のために、私はどうしてこんなに頑張っているんだろう」

 どんな天のいたずらか、二人の過ちが顕在化した。過ちのまま終わっていくはずだった過ちは感動的な外見でフラフラと二人の前に現れて、少しずつその皮を剝いでいった。

 五郎の胸に押し寄せた罪悪感や喪失感が混ざった濁流は激しく、体の中身を尽くどこかへ押し流した。

 何も言えない五郎に、黒目に落胆を浮かべた真央はさらに語りかけた。

「私の目の前にいるおじいちゃんが本物かどうかもわからない。……私が夢の中で作り出している偽物かもしれないな。だって、死んだ人と話せることなんてあるわけないし、死後の世界だって信じられない。天国でも地獄でもなく、知名度の世界。やっぱり嘘だ」

 五郎は声にならない声を上げて全てを否定しようと手を振った。

「おばあちゃんに会えるといいね」

 真央は五郎の横を通り過ぎて玄関へと向かった。腕を握ろうとした五郎の指は真央の体をすり抜け、掴めたのは空虚な空気だけ。

 ドアノブを握った真央の手は震えていた。ドアを開けると、そこには学校の下駄箱で倒れている自分が見える。

 真央は外に出た。

 五郎はその場に崩れ落ちた。






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