第25話 疲労

 おじいちゃんの頼みごとによって私は疲労困憊の最中にあった。関わり合いがない人と喋る、しかも自分から喋りかけることの異常さ。喋りにいく前の緊張と喋った後の反省が日に日に心を曇らせていくのだ。そして言うまでもなく徹夜。やったことのないゲームをするための徹夜。夢中になって夜までやってしまった、ならば仕方がないが、私にとってゲーム徹夜は勉強徹夜と同等のつまらない存在だった。やめたくて仕方がなかったし、眠たくて仕方がなかった。

 しかしおじいちゃんの願いだ。その言葉が頭の中で響いていて、何故だか一生懸命に無理難題に挑戦してしまう。

 おじいちゃんが生きている時にこんな頼みごとをされたとしても、絶対にやらなかったのに。

 段々とおかしく思えてきた。おじいちゃんが死んでからやっと心が開いた感覚に陥る自分が怖くもあった。「死」という未知の魔力に憑りつかれているだけなのではないか。つまり、私が心を開いているのはおじいちゃんに対してではなく、おじいちゃんの皮を被った「死」そのものであるということ。

 おじいちゃんの願いなんてどうでもいいじゃん。こんなに必死になってやる必要なんてない。だって、おじいちゃんは死んだんだもん。おじいちゃんが死んでも涙は流れなかったし、すぐに学校にいこうという思いに移り変わった。夢の中におじいちゃんが出てきて、色々頼みごとをしてくれる。それに応える。おじいちゃんの頼み事だから? いつも優しくしてくれたから?

 違う、「死」が自分に触れてきてくれて、「死」をもっと知りたいからだ。それだけだ。

 それだけ? そんなわけないでしょ。私のおじいちゃんなんだもん。おじいちゃんの幸せのために動いているに決まってる……。

 そして気がつけば明日には偉人発表の課題が迫っているのだった。まだ誰を題材にするか決まっておらず、今日塩田に言われなければ確実に存在ごと忘れ去っていただろう。恐らく、「じゃあ次は巻髪」と言われてようやく焦り出すくらいに綺麗さっぱりと。

 さつきに校門で待っていてもらい、私は授業後に図書室へいった。だが図書室へいってもやる気が一切湧いてこない。焦りはないが、ページをめくっても全て白紙に見える。仕方なく、『世界史大偉人二百選』という分厚い本を借りて、とぼとぼと図書室を後にした。

 トレーニングルームの前を通る。

 今日はたまたま陸上部の筋トレ日とラグビー部の筋トレ日が重なっており、一段と大きな声が部屋から聞こえてきた。

 プロテインを作りながら言葉を交わしている陸上部の永田とラグビー部の稲垣の姿が見えた。

 私の心はざわつき、吐き気のような胸の上下運動を感じた。俯いてなるべく早くそこを通り過ぎようとしたが、聞きたくないのに耳の中には彼らの会話の断片が入り込んでしまった。

「おかしい」「え?」「巻髪」「あぁ」「やめろよ」「ガチで」「死ね」

 陰口なんて気にしない。そう思えていたのは、実際に陰口を聞いたことがなかったのと、揺るがない自分を確立している自信があったからだ。

 私は小走りでトレーニングルームの前の廊下を抜けて、玄関へと急いだ。さつきの顔が見たくてたまらなかった。

 しかし、また、そういう時に限って、聞きたくない音がよく耳に通るのだ。

 空いた教室の中から、部活に所属せずにダラダラとたむろしている集団の気配を感じた。視界の端に移ったスマホケースが、そこにいるのは西町であると私の脳に警告する。絶対に聞くな、と脳はしっかりと暴れるものの、手で耳を塞いだりするような解決策は提示しない。

 西町の嘲笑の波が私の足元をすくった。

「……したら、急に調子のってきてさ、こっちに近づいてくんの。マジでないわぁ。……でしょ、私もそう思う。大人しくしてればいいのにね。ああいう動物は黙ってればさ――そう、生ごみ。……え、何? 口臭い? あははは、確かに、絶対臭いよね、ゴミだもん。嗅いだごとないけど。てか、口臭が感じられるような場所まで近寄ったことねぇし。え、逆に近寄れるの? やばぁ、嘘でしょ。ちょっとあんた私に近寄らないでくれる? 臭い移るんですけど」

 手に持っている本が重くてしかたがなかった。二百人もの偉人を持ち運べる程、今の私は力持ちではない。途切れそうになる呼吸を動かし、涙目で下駄箱を目指す。些細なことで限界になる自分が悔しくてたまらなかった。

 下駄箱に寄りかかると、礼の如く眠気が襲ってきた。おじいちゃんが呼んでいるのだ。薄れゆく意識の中で、私は悔恨のはけ口だけを探してしまっていた。必要なのは悔しさの理由であり解決で、発散ではなく、暴力ではなく、逃避ではないのに。まるでそそのかしているかのように、欲したはけ口は目と鼻の先にあった。

 私は気を失った。


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