第30話 卑怯でわがまま

 近藤が「少し乗らせてくれ」と憧れの戦車に乗らせてもらい、そのまま調子に乗って砲撃を繰り出し、かの有名なパリのエトワール凱旋門を破壊した。ナポレオン三世は一瞬心臓が止まったのではないかと思われる程綺麗に目を剝きだして硬直し、その後、毛という毛を逆立てて近藤を戦車から引きずり下ろした。

「馬鹿者! パリの象徴エトワール凱旋門に何をやっておるんだ! この悪の権化が、やはり貴様ナポレオンの手先だな」

「でも確かエトワール凱旋門って、ナポレオンが製造を命じたんじゃなかったっけ」

「黙れ、反省しろ!」

 そんなやかましい光景を見ながら、私とトゥサン・ルベルチュールは同じ席について静かに言葉を交わしていた。

 縮こまる私とは裏腹に、トゥサンは背筋を地面に垂直にした美しい姿勢でコーヒーをすすっていた。

「五郎、聞いたよ。お孫さんとうまくいっていないんだって?」

「あぁ」

「悩んでいるなら話を聞こうか? 多少なりとも人生の先輩としていい助言ができるかもしれない」

 人より多くの事柄を知っていながら、それを自慢げに語ることなく静かで親しみやすい雰囲気を醸し出すトゥサン。澄まし顔とはまた違う、自然的に澄んだ表情と雰囲気に私は口を開く気になっていた。

 私は孫に言われたことを語り、言っている内にどんどん肩が落ちていった。

「私は生きている間、真央に何もしてあげられていなかったのだとわかったんです。私としては、いい祖父を演じているつもりだったけれど、いい祖父を演じようとし過ぎて、あまりにも淡泊で何にも印象がない人間になってしまっていたようで……。そんな奴が、死んだ途端に図々しくも孫に甘えてしまったんです。私のためになら真央は動いてくれると、自分でも驚くくらい何の疑いもなく思っていました。真央はきっと私のためと言うより、私を憐れんで付き合ってくれていたのに、勘違いしたまま私は彼女に嫌な仕事を押しつけていたんですよ」

 トゥサンは「ふむ……」と呟き、優しく先を促した。

「それで、この先どうするんだね」

「わからないんです。私は妻に会いたい。会うためにはナポレオンと戦争をして勝たなければならない。戦争に勝つためには、真央の協力しか方法がない。でも、真央はもう協力してくれない。真央をどう説得していいかはわからないし、説得すること自体やっていいのかもわからないのです。知っています、私はこの世界でも稀にみる能力の持ち主で、私の働き次第でこの戦争が勝ちにも負けにも揺らぐんでしょう。いくら死なないとはいえ、いや、だからこそ、プライドが際立ち戦に賭ける思いが強くなるのはわかります。こちら側についた以上、ナポレオン三世やあなたに勝利を届けたいし、共に戦ってくれることを選んだ仲間たちに苦痛を与えたくはない。しかし、しかし……堂々巡りして戻ってくるんです。私はもう真央に会うことなどできない。生前何もしてこなかった私が、今更に絆を持ち出して助けてくれと乞うことを、彼女はきっぱりと拒絶したんです。当然です。当然だとわかるからこそ、私にはどうしていいのか」

「やるべき行動は一つしかないが、その行動をとることに迷いが生じている、といったところか」

「えぇ」

 トゥサンはもう一度「ふむ……」と呟くと、腕を組んで言葉を探した。

「私は幼い頃は農園の奴隷として過ごしていたんだ。知っているかな? しかし私は恵まれていた。そこの領主は私に読み書きを教えてくれ、増えた語彙や教養のおかげもあって、私は奴隷の中でも裕福な部類に入ることができ、後に奴隷から解放された」

「えぇ、聞いたことがあります」

「私は確かに恵まれていた。だがしかし、もしかしたら、他の奴隷や周りの人から見たら、私は卑怯な存在だったのかもしれないと思うことがあってな。例え当人に悪気がなくとも、誰かの幸運は、別の誰かにとっては卑怯に感じられる」

 話の意図がつかめず、私は黙ったまま首を傾げた。

「君の能力は卑怯ではなかろうか」

「なっ……!」

 私は言葉に詰まった。

「他の人は死んでからは何もできない。知名度がこの世界の金であると知ったところで、生前の世界で知名度をあげることなどできないんだ。だが君はできる。言うなれば、生前の失敗を挽回することができるんだ。私からしたら、他の人からしたら、一体どれだけ羨ましいか」

「私を痛めつけているんですか? 私に諦めろと言っているんですか?」

「いや、そうは言っていない。生前、例え卑怯だと言われても、私は語学の勉強を止めることはなかっただろう。卑怯だと思われてもやればいい。自分に向いた奇跡を最大限生かせばいい」

「じゃあ結局――」

「だが、卑怯であることを忘れるな」

 私の言い分を制してトゥサンが言った言葉は、大いなる謎を残して私の心にのしかかった。

「言葉を言い換えるならば、そうだな。謙虚になれ、客観的になれ、驕るな、足りないことを考えろ……遊べ、楽観的になれ、自分を貫け……そんなところかな」

 トゥサンは私の背中に手を置いて力づけるようにさすった。

「どうせ卑怯と言われるならば、とことん卑怯になろうではないか。生前に残した悔恨があるのなら、今ここで解消してしまえばいいではないか。そうだろう? 恐れる必要はない。誰かの顔色を疑う必要もない。運が転がってきたなら、素直に使え。せっかくの卑怯も、有効に使わなければ卑怯である意味がない」

 それだけ言うと、トゥサンは私の元から静かに立ち去っていった。私は自らの皴だらけの手を見つめ、こみ上げる涙を両手で抑えた。

 私は戦争のことを忘れた。ナポレオンのことも忘れた。自分が死んだことすら忘れ、この瞬間だけは、哀子のことも忘れることにした。目的を全て失った心は、それでも残る渇望に手を伸ばした。その先には真央がいる。真央は、たった一人の孫。


 五郎は目をつぶり、もう一度家に戻ろうとした。


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